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子どもをつくる理由は何ですか?

女性も男性も、既婚も独身も、同性を好きな人でも、まだ若くても、高齢者でも。

子どもをつくる(つくった)理由は何か。


同年代の女性が「子どもには、大きくなったなら自分のことは自分でやってもらわないと。親を当てにしてもらっても困る」と言っていた。

よく聞く言葉で正論かもしれないが、
「生んだ責任」ってないのかな、と疑問に思ったので、書いておこうかと思う。


その女性の息子も娘ももう結婚していて孫もいる。大人だから、もちろん自立した生活をするのは当たり前かもしれない。
でも、もしお金に困っていたり生活が苦しいなら、親が援助してあげても良いのでは、というのが私の考え。

私も、全然裕福ではないけど、自分の生活を削っても子どもに援助したいと考える方である。

別の人の話では、「子どもは自分で何とかすべき」との考えの側で、壮年夫婦はハワイだ、沖縄だ、と年金で悠々自適な生活をしながらも、若い子どもには一切援助しない。よく話を聞くと、大学も奨学金で行かせたそうで、それを返すので精一杯で結構苦しい生活を子どもはしているらしい。

でも援助はしない。

自立心を養う、とか、大人なんだから自分の力で何とかすべき、とか、立派な言葉には聞こえるけど、

じゃあ、何のために子どもを生んだのだろうか?作ったのだろうか?と疑問に感じた。

①子どもを成すのは国のため。国や社会の発展のため。
②結婚したら子どもを作るのは、みなが普通にやっていることだから。
③愛する人との子どもが欲しいと思ったから。
④人間の本能。
⑤家の跡継ぎ。
⑥将来、老後の面倒を見てもらうため。
⑦可愛いから。欲しかったから。
⑧欲しくなかったけど出来たから。

子どもを育て、社会に役立つ大人にし、もしくは自分のDNAを継ぐ人間を長生きさせて子孫を残すには、それなりに適切な援助が必要だと思う。
昔は貧乏だったけど、大人になったらそれなりに稼げるようになる、って社会はもう終わった。
貧乏は一生貧乏だ。
年金さえも70歳をすぎないともらえないかもしれない。

そういう意味で、私は子どもにお金及びその他の援助を惜しまない。
例え、20歳を過ぎても、40歳になっても、私は子どもの生活を守りたい。

そして、私が息絶えても、子どもが生き延びてくれれば、「私」というDNAは生き続ける。


「子どもは作ったけど、18歳までしか援助しない、あとは自分で何とかしなさい」の人は、本当に十分な育成を施した自信があるのだろうか?
それほど必死に、最高の教育やしつけを行ってきて、「もうこれ以上はない!」とやり切った後の言葉なんだろうか?

ろくな教育もせず、ろくな環境も与えず、「うちにはお金がないんだから我慢しなさい」と大学にも行かせず、したくもなかった仕事に就かせ税金を払わせるだけの人生を歩ませる。
そして、「結婚は?」「孫は?」と言いながら、「親のお金を当てにするな」。

え、じゃあ、生まなければよかったんじゃない?


最近、結婚もしない、子どももつくらない人が多い。
みな、その意味を見失っているからだと思う。

可愛いから?ペットじゃない。
でも、可愛い、って本能?
愛する人の子だから可愛い?

結婚をし、子どもをつくった私たち中年・壮年・高齢者だって、「子どもをつくった」理由をちゃんと説明できないのかもしれない。


あなたの、
子どもが欲しい、つくった、つくりたい、つくるべき、
理由は何ですか?

それとも、つくるべきではない?


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