見出し画像

【寄稿】風景を眺めるために/文:福井裕孝さん

演出家の福井裕孝さんに、ソノノチ×Robin Owings『あなたはきえる』のレビューを寄稿いただきました。

下記、寄稿文です。


風景を眺めるために

連日の猛暑ですっかりくたびれそうになりながら、自転車で30分ほどかけてようやく会場のアトリエみつしまに着いた。入り口で迎えてくださった制作のべってぃー(渡邉裕史)さんと挨拶を交わした後、「開演までこちらでお待ちください」と、舞台とは別のこじんまりとした座敷へと案内された。
開演を待つ観客がパラパラと座っているなか演出の中谷さんが挨拶に回っていた。少しして整理番号順に舞台へと案内される。かつては織物工場だった場所とのことで、それらしい痕跡が残る梁や壁面などはそのままに、エアコンやレールライトが取り付けられ「スペース」と化している。天井からは本作のモチーフらしき布が点々と吊るされていて、その向こうに俳優らしき人影が見えたり見えなかったりする。これまでソノノチが取り組んできた「風景演劇(ランドスケープ・シアター)」というシリーズに続く新作パフォーマンス作品とのことで、その言葉からなんとなく連想されるイメージ通りというか、場内は落ち着いた雰囲気に包まれていた。

エアコンが涼しくて最高である。

前説があって間も無く上演がはじまった。布の向こう側にいた俳優が舞台上をゆったりとした歩調で静かに移動しはじめる。動くのをやめたと思ったら、今度は別の場所にいた俳優がまた動きはじめる。「歩く」「見る」「座る」といった単純な行為や仕草ばかりで、それ自体が何かをあらわしている感じはなく、そのうち規則性や物語性が見えてくる感じでもない。とにかくこの場を刺激しないような控えめなふるまい、いまここに流れている時間と空間の流れに寄り添うようなやさしい演技に徹している。彼らは何をしているのか。彼らは「注意」を促している。その身振りや視線の先にある何かに。
俳優の一人が立ち止まってある方向を見る。その動作自体に特別な意味が込められているわけでも、それから想像が喚起されるわけでもない。ただ方向が示される。ほかの観客がそうしたように私もその方向に視線をやる。何か目新しいものや注目すべきものが待ち受けているわけでもなく、私たちが注意を向ける前からそこにあったアトリエみつしまの壁や美術の布があるので、そこにそのようにしてあったのだなと気付いたり、思い出したりする。俳優の身振りと視線によって「風景」の輪郭がなぞられていく。
ここでの彼らの役割は、新たにイメージを立ち上げ「風景」を上書きすることではなく、いまここの「風景」が膠着しないよう視線を投げかけ、身振りを繰り出すことであり、彼らの抑制の効いたふるまいが、あるがままの「風景」に対するわずかな抵抗として、かろうじて時間を繋ぎ止め、紡いでいくのだった。私たち観客は彼らの眼差しに促されるようにして、いまここの「風景」と出会い直す。

俳優たちが静かで繊細な演技に徹しているのに対し、エアコンは構うことなく大きな音をさせ、自分の仕事に従事している。皆それぞれに役割がある。エアコンは場内に快適な空気を供給してくれている。私は客席に座って、これを書くために時折メモを取りながら静かに上演を見ている。

「風景」はじっと「見る」というより、ぼーっと「眺める」といった方がしっくりくる。そして「見る」よりも「眺める」の方が、観客にとってなんとなく気楽というか、どこか自由で平等な雰囲気もあってイイ感じがする。「見る」が「眺める」と言い換えられるとき、中心が失われる。対象がぼやけ、視界が広がっていく。それでも「見る」ことに慣れ切った私たちの平凡な視線は中心を求めて宙を彷徨う。どこかに「見る」べきものがあるはずだという期待や欲望に駆られて。
「見る」というのは、同時にほかの何かを「見ない」ことである。そう考えると「眺める」というのは、何かを「見ない」ということをせずして「見る」ようなことで、それは結局のところ何も「見ていない」のであり、いわば「見る」ことに失敗し続けたまま、移り変わりゆく現実を前にして力無くウンウンと頷くことしかできない主体があるというような状態なんじゃないか。現にこれを書いているいま、そこで「見た」はずのものやことをほとんど思い出すことができない。

◼︎そこで「見た」もののメモ
壁 人 エアコン ピッチャーの結露した水滴 氷 カメラ カメラマン 布についたしわ 布のたわみ 影 木 山っぽいモチーフ(布) スタンドライト マイクのもふもふ 背の高い人 窓越しに漏れる外光 OSB合板 裸足 家っぽいモチーフ(布)
  

前に座っていた人がウトウトしはじめたので、自分も倣って目を閉じてみた。家に置いてきた仕事や日々のつまらない心配事などは一切忘れて、自由に「風景」を想像してみる。脳裏に浮かんだのは、親戚の家の近くに広がる棚田の風景。デカい空。遠くに望める山々。年明けの澄んだ冷たい空気が鼻を抜けていき、土の匂いがツンと香る。誰しも「風景」へのあこがれというものがあるんじゃないだろうか。
「風景」には全部がある。それを眺めているだけのちっぽけで無力な「私」以外の全部がある。その壮大なスケールに包まれながら消えていくことができればどんなにいいだろうと想像する。「風景演劇」とは、そういった素朴なあこがれを喚起し、満たしてくれるようなパフォーマンスだったのだろうか。このまま眠りにつくことができたら幸せだろうなと思いながら、想像が尽きたところで目を閉じるのをやめた。

なんとなく終わりを意識し始めたころ、突然エアコンの電源が消された。静寂が訪れ、エアコンの稼働音の背後に隠れていたさまざまな音が聞こえるようになる。そして、俳優の手によって舞台奥の窓が開けられ、「外」の新鮮な音や光が場内に注ぎ込まれた。その間、沈黙させられたエアコンについて考えていた。もう十分に空間は冷やしてくれたし、ここは「外」の環境音や場内の音の気配を楽しむ時間なのでお役御免ということだろうし、自分の余計な気分に過ぎないのだけれど、これまでの俳優たちの浮世離れした繊細なふるまいに比べて、エアコンの電源を消すという操作はとても大胆で俗っぽく、人間らしい手つきに感じられた。そのことを少し残念に思ったのと同時に、どこか不思議とほっとした気持ちにもなった。上演が終わって「外」に出ると来る時よりも一層陽が照り付け、蒸し風呂のような暑さになっていた。エアコンの風を懐かしく思いながら帰った。

撮影:脇田友

福井裕孝さん

1996年京都生まれ。演出家。人・もの・空間の関係を演劇的な技法を用いて再編し、その場に生まれる状況を作品化する。近作に、テーブルの上を舞台に上演する『デスクトップ・シアター』(2021)、劇場の不可視化された「もの」を観察し、記録する『シアターマテリアル』(2020,2022)など。ロームシアター京都×京都芸術センターU35創造支援プログラム“KIPPU”選出。2022年度よりTHEATRE E9 KYOTOアソシエイトアーティスト。


演目:ソノノチ×Robin Owings『あなたはきえる』

日程:2023年7月20日 -23日

場所:アトリエみつしま Sawa-Tadori(京都市北区)


本作品の上演に関するレポートをweb上で公開しています

作品の創作過程をたどる読み物として、クリエイションメンバーとの振り返りクロストークや、演出家・福井裕孝さんのレビュー、作曲家・高木日向子さんとのアフタートークの内容なども掲載しています。
ご覧いただけますと幸いです!http://sononochi.com/performance202307_report/

作品アーカイブ

もっとこの作品のことを知りたい方へ、ソノノチオンラインショップで上演のパンフレットを販売しています。創作プロセスを写真やコラムで綴ったパンフレットです。ぜひご覧ください。https://sononochinochi.stores.jp/items/64cc9c8f7beeeb003935762b


おかげさまでソノノチは結成10周年。まだまだやりたいことがたくさんあります。 ぜひサポート・応援をお願いします。 応援いただいた金額は、ソノノチの創作にまつわる活動に大切に使わせていただきます。