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上司はなぜ思いつきでものを言うのか?——儒教文化と日本の組織

「長幼の序」を説く儒教は、「年功序列」を肯定します。儒教が本来的に身分制度を肯定するものであるかどうかは解釈次第ですが、身分制度の中に儒教を導入した場合、身分制度が確固として動かなくなることだけは確かです。なにしろ儒教は、「上に立つ者は徳があらねばならない→上に立った者は徳がある」をたやすく肯定してしまうからです。(中略)
「日本では、形式的なことが重要である」——このことが重要なのは、日本が変わらない官僚文化の国だからです。

橋本治『上司は思いつきでものを言う』集英社新書, 2004. p.173-175.

橋本治(1948 - 2019)さんは、小説家・評論家・随筆家で、1977年に作家としてデビューした後、博学や独特の文体を駆使し、古典の現代語訳、評論・戯曲など多才ぶりを発揮した。1968年、東京大学在学中に「とめてくれるなおっかさん 背中のいちょうが泣いている 男東大どこへ行く」というコピーを打った東京大学駒場祭のポスターで注目されたという(当時は東大紛争のさなかだった)。

本書『上司は思いつきでものを言う』は、儒教の伝統にまで遡り、日本特有のサラリーマン社会の構造を読み解いた組織論的評論である。「なぜ上司は思いつきでものを言うのか」とは面白いテーマである。そこには「なぜ上司はいつも愚かなのか」という「上司は愚かで部下は正しい」という前提が見え隠れする。そこをもっと掘り下げていくと、「上司が愚かなのに、なぜ部下はいつも黙っているのか」という日本特有の文化に行き着く。そこには「儒教文化が影響している」と橋本氏は指摘する。

聖徳太子の時代に伝来した儒教を、日本は「十七条の憲法」で取り入れ、それを冠位十二階の制としてしっかりと官僚文化に取り入れた。約1300年前のことであるが、その日本人のメンタリティは今もって大きな影響を与えている。儒教では「長幼の序」を重んじる。それは「上に立つ者は徳がある」という前提に立っている。その上司の「徳」が部下にまで及んでいくから社会が安定するというわけである。

しかし現代では「徳」ではなく「能力」が中心となる「能力主義」である。これは近代になり、民主主義とともに欧米からやってきた。能力主義は民主主義である。しかし日本人にはいまだに実は「上に立つ者は徳があるべき」という儒教文化がしっかりと根づいているために、愚かな上司であっても部下は簡単に反論できないというわけである。

それでは、この儒教文化と能力主義(民主主義)が混在する現代の日本の組織において、愚かな上司がいた場合、部下はどうするべきなのだろうか。この本にはそれほど簡単な処方箋は書かれていない。橋本氏は、単純な欧米追従主義は否定している。むしろ、日本らしいやり方、例えば「現場主義」に立ち戻っても良いのではないかということを書いている。現代は「やせた現場」満ち満ちていると橋本氏は言う。「現場」に活気がなくなっている状況、あるいは「現場」を実際に見もしないで決断する組織構造のことを批判している。上司は「やせた現場」を実際に歩き回って、「どうすればこの現場をもう少し豊かに出来るか?」を考えることが必要である。部下は「現場の声を届ける」というところを意識して上司と対話をするということも重要になってくるだろう。



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