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我が愛しの映画たちの思いで第三回

第三回 「映画バトル・ロワイヤルと、生きると、山本太郎と渡辺勘治(志村喬)」

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(映画バトル・ロワイアルの山本太郎氏をイメージして、映画・生きるで有名な夜のブランコのシーンを描いたものです。あまり似ていませんが)

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 映画バトル・ロワイアルは、高見広春の小説を原作とし深作欣二監督作品として2000年12月16日に公開された。

 内容は、政府の方針により小さな島に集められた中学生たちがお互いに殺し合い最後まで生き残った者だけが島からの脱出が許されると言うものだ。

 これは、政府が恐怖政治によって国民を支配する事が目的であり拒むことは、なんびとも許されないのであった。


 私は、この命をかけた生き残りゲームの設定が、まるで現在の日本の姿に重なって思える。

 その理由は、諸外国に比べても明らかなように日本のコロナ対策が全く国民目線ではなく政府の都合や考えを押し付けるものでしかないように。

 多くの庶民の雇用形態が不安定なのも賃金が安いのも本来は政治の責任であるにもかかわらず全て自分の努力不足であると自己責任を求められ。

 満足な生活を望むのならば他者よりも努力して、相手を引きずり下ろし蹴落として昇っていくしかない。との考えが現在のこの国では正義で真っ当な事のように思いこまされてしまっているのだ。

 いうなれば、この島国である日本列島自体が映画バトル・ロワイアルの少年少女たちが無理やり送り込まれて生き残る為にお互いに壮絶で残酷な殺し合いをする以外に逃れる事の出来ない島そのものなのだと思えるのだ。


 現在、政治政党・れいわ新選組の代表を務める山本太郎氏は、この映画に出演していた。

 彼は、ゲームに強制参加させられたクラスの一員ではなかったが、同じクラスの仲間たちが次々と殺し合い死んでいく中で、途中で知り合ったクラスメートの二人を護りながら共に生き残りをかけて戦うのだった。

 その彼の姿が、私にはまるで映画の中での彼の姿と、現在のこの国の庶民や弱い立場の人たちを護る為に山本太郎が身を挺して戦う姿が本当にダブって見えてしまうのだ。

 そしてそれは、映画、生きるの中で、自らの命の期限を告げられる事によって、人の生きる意味を知った市民課長の渡辺勘治(志村喬)が。

 市民の願いであった、小さな公園を作る為に命をかけて実現する姿とも重なるのである・・・。

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第三回 「映画バトル・ロワイヤルと、生きると、山本太郎と渡辺勘治」

終り

コメント 2020-07-15 154257


2020.8.24 25加筆

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