見出し画像

この朝に刻む

27年、早いものです。

買ったばかりの自転車での出勤に気合が入っていたあの時も、センター試験後の朝でした。
登校して自己採点する3年生の生徒がいたので、吹奏楽の朝練の部員たちにいつもより早めの片づけを促すために5時過ぎに起きて、お弁当の卵焼きを焼いている最中だった私。

大型トレーラーが何十台も走って来たかのような地鳴りがしたと思うと数秒後、突然マンションにそれらすべてが突っ込んだと思ったほどの衝撃、そして上下感覚がおかしくなるほどのグニャグニャの揺れ。
食器棚が開き、お皿がわたし目掛けて飛んできた。
慌てて外へ、ところが玄関のドアが歪んでで開かず、手に持っていたフライパンで力いっぱいゴンゴンと叩いてどうにか開けられた。
卵まみれのパジャマの上からコートを羽織りブーツを履いて1階へ降りた。
目の前にちょうど走ってきた新聞配達の人が「そこの名神高速、落ちてしまいそうや!エライこっちゃ」と何度も繰り返し言い去っていった。と思ったら牛乳配達の人が「今さっき、新幹線の下通ったらバラバラっとなんか降ってきた、建物危ないから気つけてな」と。

マンションから次々と住民が出てきて口々に「こんな地震初めてや」と言いながら、駐車場の車にみんなで身を寄せ合ってラジオからの情報を待った。
自分たちの周りに起こっていることが把握できない、理解できないもどかしさの中で進む時間のなんと遅いことか。

じっとしていられず、すぐそばの電話ボックスから実家へ電話を試みるが繋がらず、東京にいた弟にかける。「寝てた?早い時間にゴメン。今こっちで大きな地震があったみたいで家に電話かけたけど繋がらないんよ。私は無事だから伝えとこうと思って・・・」と言い、急いで切った。
電話ボックス脇のお宅からは「家族が挟まれてる、救急にかけて!」の声。消防にも、警察にも繋がらない。

大きく深呼吸して顔を上げると、赤橙色の大きな月が見え、少しずつ空が白んでくる中で目に入ったのは、砂煙と火の手の上がる異様な光景。

マンションの下では、まだ出てきていないお家のかたたちを確認して回ろうと意見がまとまった。
私と同じく玄関扉が歪んで開けられずに困っていた人たちも出てくることができ、まずガス栓を閉めること、しばらくは各家庭の扉を少し開けたままにすること、貯水槽がもっているうちに浴槽や鍋などに水をためること、など話した。20軒余りのコンパクトなマンション、日頃は挨拶をする程度のお付き合いだったのにこんなにも連携が取れるとは・・・と一人暮らしが心細くなくなった瞬間だった。

家に戻ったのは7時前。
水を貯めながら、テレビを起こしスイッチを入れると映った。「神戸で甚大な被害がでているようです」の言葉に再び両親を思い浮かべた。
突然、後ろで電話が鳴った。
アメリカに留学中だった友人がニュースでこちらの地震を知り、実家に電話したけれど繋がらないので近所の私に見に行ってほしいと。
「見に行きたいけど、わたし一昨日に事故で車が廃車になったのよ。タイミング見てこっちからも電話してみるね。」

マンションじゅうのほかの家がすべて電話不通の中、この国際電話があったためか、我が家の電話だけは問題なく繋がっていた。
電話が通じることがこんなに安心を生むのなら、とお隣さんから電話の延長コードを借りてきて「みんなで使いましょ」と電話機を玄関先に置く。

家の中はグチャグチャのままだが職場も気になる。
生徒たちはどうなっただろう、自己採点の3年生、修学旅行で信州に行っている2年生、その前に学校はどんな様子になっているのだろう。

電話は共用廊下に、玄関は開けたまま、大事なものをポケットへねじ込み、まっさらの自転車で出発した。

その先に広がる景色に、日常に、想像が追い付かない現実があるなんて想像もしないで出勤した朝だった。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?