見出し画像

わたしごと粗大ゴミ

わたしはもっと、できる人間だと思っていた。
平均より上の人間だと自分のことを信じていたかった。
気付いた時には、わたしの人生は赤点だった。
社会人になって、分かったことがある。わたしは、使えない、ゴミ同然の人間だった……。


働き方改革、パワハラ、セクハラなどが取り上げられる近頃の社会の中で、わたし春日部梓は、いわゆる“ブラック企業”と呼ばれる某企業で日々をあがいていた。
そもそも、週5で働いた疲れが、2日で補えるはずがないというのに、サービス残業に休日出勤、明日休みなのかは、本当のところ今日の夜まで分からない。
おかげで美容院の予約もできず、髪が伸びっぱなしだ。もう何度もキャンセルの電話をかけている。
今日も鬼上司に「お前は使えないな!」と罵声を浴びせられた。
そんな上司は、ちゃっかりと外回りのついでに髪を切っていた。
行きと帰りで髪型が変わっているのは、衝撃的である。

勤務して2年目。わたしの後に入って来た新人はすぐに蒸発した。
おかげで、この会社の下っ端は、今もなお、わたしが死守している。

「あれ? 春日部さん、まだいたの?」

「あ、はい。これまとめないといけなくて……」

「春日部さんさぁ、この仕事、向いてないんじゃない?」

「え……」

「まだ若いんだし、転職もできるでしょ?」

仕事のできる先輩に言われてしまった。
これは、やんわりと辞めてほしいと言われているのだろうか。
鬼上司も言っていた。
「君には、若さしか取り柄がないんだから」と。
若さはいずれ失う。そしたら、わたしには何が残る?
もう、なんの取り柄もない人間になってしまうのだろうか?

今日中に片付けなければならない仕事が終わった。
書類をつくり終えて、時計を見る。もう時計の針は10時過ぎを差している。
自分の要領の悪さも手伝って、このざまだ。
今日も帰宅してカップラーメンか。
そうだ、明日の朝は燃えるゴミの日だ。
オフィス内のゴミをまとめ、わたしはゴミと共に会社の外へ出た。
会社の前にゴミ袋を積む。
今日は追加で粗大ゴミもある。古い錆付いた自転車だ。

「それ、いらないから、手続きして捨てといて。欲しかったらそのまま春日部さんにあげる」

わたしが自転車を持っていないことを知っていたから、恵んでやったつもりだったのだろうか?
それとも、わたしはいらない粗大ゴミであると当て付けるための言葉だったのだろうか?
ダメだ。もう、悪くにしか捉えられない脳になっている。
わたしは自転車に粗大ゴミのシールを貼り、帰路を急いだ。


わたしは、学生の頃、卒業式ですら涙を流すことのなかった人間だった。
でも、社会人になってから、涙がとまらないでいる。
一人暗い夜道を歩いている時、ひたすらに溢れてくるんだ。
何のために、何が楽しくて、わたしは今を生きているんだろう。
こんな社会人になる予定ではなかった。
大学を卒業したら、何事もなく、内定をもらったその会社で、定年まで働くものだと思っていた。
なんだか、このまま死んでもいいやと思えてしまう。
誰からも必要とされてないと自覚した時、それは死に直結してしまうのかもしれない。


帰宅し、ソファーに倒れ込む。
電話が鳴った。
また、不備があった?今度は何をしくじった?

「お疲れ様です。申し訳ございません、お送りした書類に問題がございましたでしょうか?」

「ちょっとー、わたしよ、わたし! 誰だと思ってんの?」

「え……」

「梓、大丈夫?」

電話の相手は、小学校の頃からの腐れ縁の薮下萌結だった。

「もうさぁ、そんな会社、さっさと辞めちゃえば?」

「わたしは、どこに行っても使えない人間だよ……」

「何言ってんのよー」

わたしには、どうやらもう転職する気力がないらしい。
というか、きっと、怖いのだ。
もし、他の場所でも今と同じように使えない人間だったら……。
もう、自分に言い訳ができない。
なんとか、今の場所で結果を出さないと……。

「梓、気晴らしに旅行でも行こうよ! 愛菜も誘って3人でさ。愛菜もほっといたら二次元から帰って来なくなるしさ」

「そんなこと言われても、いつ休めるか」

「さすがにお盆は休みでしょ? ほら、わたしが旅館とか探して予約しといてあげるからさぁ! 梓は当日来るだけでオッケー!」

萌結はいつだってそうだ。わたしを、わたしの知らない世界に連れ出してくれる。
わたしにないものを持っている。今もこの見えない闇から連れ出そうとしてくれている。

お盆はやって来た。

「さっすが、わたし! 奥多摩にして正解だったわー!」

「今日泊まるところって、温泉付いてるんでしょ? 楽しみー!」

萌結と愛菜がはしゃいでいる。久々に学生の頃に戻ったみたいだ。

「梓もどうよ?」

「久々に青空見たなー。いつも会社と家の往復だけだったから。帰る時には、日も沈んでるし」

「わたしも久々に三次元に戻って来たかも。萌結に感謝だね!」

「愛菜はもういい加減オタクやめなよ」

「それは無理!」

萌結は大学を卒業してから、勤務していた会社をすぐに辞めて転職した。
けどそれは正解だったようで、今は充実した毎日を送ってそうだ。
愛菜はというと大学院に進学した。研究をしながら、その傍らでアニメの世界に浸っている。
二次元から戻って来ないと、萌結がいつも笑っていじっている。

「あのね、実は二人に報告があるんだ。わたしね、今同棲してる彼とね、もうすぐ結婚するの!」

「えーー! おめでとう!」

「まさか、それをわたし達に言うために旅行に?」

「まさか! 今日は梓を元気にしよう旅行よ?」

これは、絶対に結婚報告を自慢したい旅行だ。
萌結とは付き合いが長いからよく分かる。萌結は自慢したい事があると、何かと遊びに誘うからだ。
萌結が同棲している彼とは、もともとは、わたしが大学時代に好きだった人だ。
萌結はわたしがいいなと思うものは全て奪っていく。
いつもわたしとどこか張り合うところがある。
今はわたしが弱っているから、どこかご機嫌なのかもしれない。
けど萌結との付き合いをわたしはずっとやめていない。
真面目でがんじがらめのわたしを解放してくれる、見たことのない世界に連れて行ってくれる、それが萌結だ。
だから結局、縁を切っていないのだろう。
それに、今のわたしには、もう奪いたい魅力などどこにもないだろう。

三人で奥多摩を満喫し、いよいよ温泉に。
旅館に行くとトラブルが発覚した。

「えっ!? 予約が取れてない? そんなはずは! ちゃんとわたし、藪下で3人予約しましたよ!!」

わたし達が泊まるはずだった旅館の部屋は、予約が取れていなかった。

「空いてる部屋ないって!」

「そりゃ、お盆だもんね……」

「今から他の宿泊施設探すって言ったって……ねぇ?」

「まさかの日帰り?」

「えー、ないわーー。温泉!!」


責任を感じてか、さすがの萌結も元気がない。
周辺の宿泊施設を必死に調べてくれている。


「空いてるとこ、見つけたかも!」

「萌結、それホント!?」

「これ!!」

ホームページには色鮮やかな花が咲き、小川が流れている庭園と民宿、温泉が載っていた。

「『かすみ苑』? 綺麗なとこだね」

「まだ空いてるか、電話してみる!」


電話を終えると、笑顔の萌結が戻って来た。

「確認したらまだ空いてるってさ! お待ちしておりますって言われちゃったよぉ! ここからもそう遠くないし、行こっ!」

素泊まりで、ということではあったが、『かすみ苑』には空きがあったようだ。
お盆真っ最中だというのに、珍しい気がした。
『かすみ苑』は、料金も安く、少し変わった民宿のようで、全てがセルフサービスだという。
各自でご飯が作れるようになっていて、キャンプ場のように使用するものなどが借りられるらしい。
しかも、借りる分には全てがタダだという。


広い道路の反対側に、木々の茂った細い上り坂が見えてきた。
『かすみ苑』と書かれた古びた標識が坂の上を指している。
どうやら民宿は、この坂道の上にあるようだ。わたし達は、坂を上った。
坂道を上ると、目の前には美しい庭園が広がっていた。
こんな場所があったなんて……。
誰かが庭園の中で花の手入れをしている。

「すみませーん」

萌結が声をかけると、それは『かすみ苑』のオーナーだった。


管理棟で手続きを済ませる。

「いらっしゃいませ。わたくしは『かすみ苑』のオーナーです。先にお支払いをお願い致します。こちら何があっても返金は致しませんのでご了承ください」

オーナーは無表情だった。

「お一人様、4219円でございます」

オーナーは単純作業のように、一人ずつに領収書を渡していく。
ふと、オーナーの胸元の名札に目がいった。
オーナーの名札には“オーナー”と書かれていた。
外国の方? いや、まさか“オーナー”という名字なんてことはないだろう。
オーナーは部屋の鍵を取り出すと、話を続けた。

「その一、ここでは全てのもがセルフサービスとなっております。必要なものは『よろず屋』から各自運んでください。全て無料で貸し出しておりますのでご安心ください」

「その二、買い出しなど敷地外に行くことも可能です。こちらから自転車を貸し出しておりますので是非ご利用ください。こちらも無料で貸し出しておりますのでご安心ください」

「その三、帰る前にゴミ出しをお願い致します。では、素敵な時をごゆっくりお過ごしくださいませ」

「あ、あの、ここって温泉あるんですよね?」

「はい。『かすみ苑』の離れにございます」

オーナーは少し笑みを浮かべた。


歩いて行くと、敷地内に古い一棟の建物が現れた。
どうやら一棟貸しで、今日まで誰も予約を入れていなかったようだ。
『かすみ苑』と書かれた看板の『苑』の文字は、草冠が薄くなり消えかけている。
それは『死』とでも読めてしまいそうだった。
鍵を開けると、軋んだ音を立てながら、その扉は開いた。
中に入ると、大きな家財道具だけが並んでいる。
食器棚には食器が一つも置かれていない。
そして、奥の部屋にはブラウン管テレビが置かれていた。
まさか、令和に入ってからこの光景を見ることがあるとは。

「ブラウン管テレビ!? うっそ、これでアニメちゃんと映るわけ?」

「え、心配するとこそこ? てか、旅行に来てまでアニメって……。なんか、ホームページの写真は綺麗だったけど、部屋はなんというかアレね」

不満そうな愛菜と萌結。
『かすみ苑』は、レトロというよりも不気味と呼べる空間だった。

「何もないけど、これってオーナーさんが言ってた『よろず屋』じゃない?」

「そうか、食器とかも『よろず屋』に行って借りるってことね」

「それくらい置いといてくれてもいいのに」


わたし達は、『よろず屋』と呼ばれる場所へ向かった。
中に入ると、正座をし、目を閉じている老婆の姿があった。
あれはさすがに置物ではないだろう。

「いらっしゃいませ」

「!! あの、ここは……」

「『よろず屋』でございます。お好きなものをご自由にお持ちください」

『よろず屋』にはさまざまな物があり、日用品やバーベキュー器具なども完備されていた。
しかし、どれも皆、年季の入ったものばかりだった。

「ねぇ、器具揃えたら買い出し行ってさ、バーベキューしようよ!」

「うん、そうだね! でも萌結それ炊飯器……」

「あぁ、米炊くのは炊飯器でよくない?」

「え、バーベキューの意味!」

「そこは、文明の利器よ」


わたし達3人は、自転車を借りると買い出しへと向かった。
わたしは、久々に自転車に乗った気がする。
それもそうか。あの出来事以来、わたしはあまり自転車に乗ろうとしなくなったんだ。
だからこそ、今現在もマイ自転車を持っていなかったのかもしれない。

「この自転車、ちょっとおかしいんだけど」

スーパーに向かう途中、萌結が突然自転車に違和感を示した。

「何がおかしいの?」

「なんか、ブレーキが利かない気がするの! さっきから急に」

「ブレーキ……?」

「何ここ、不良品貸し出してんの?」

「何かとぼろいもんね」

これがタダというものなのか。
こういったことは、ある意味値段に含まれているのかもしれない。
わたしは、あの日の記憶が呼び覚まされる気がした。
心の中がざわざわする。

突然、背後でガシャンと大きな音がした。
後ろを振り返ると、萌結が自転車ごと転倒していた。

「大丈夫!?」

「いったぁあ!」

「足、怪我してるじゃない!」

大事故にならなかったのは幸いだが、萌結は足に怪我をした。
出血もそれなりにしている。


「そうでしたか。これは大変失礼致しました」

「いえ……」

「こちらで別の物と交換しておきます。取り扱いには注意してくださいね」

管理棟に自転車を持って行くと、オーナーは不敵な笑みを浮かべた。
それは違和感でしかなかった。

管理棟を去る時、突然「キィーーッ」と、ブレーキ音のような音が聞こえた。
辺りを見回したが、ブレーキ音を放つものは見当たらない。
一緒に自転車を返しに来た愛菜にも、特に変わった様子はなかった。
わたしの幻聴だろうか。


夜、静かなバーベキューが行われた。
炊飯器を選んでおいて正解だったかもしれない。
『かすみ苑』を見つけてくれた萌結のテンションは明らかに下がっている。
愛菜が一人だけ、楽しそうにブラウン管テレビでアニメを見ている。
この時代に、ブラウン管テレビがまさか映るとは。
もしかして、『かすみ苑』だけが見れているなんてことはないだろうか?

「これはこれで別にいいけど、やっぱ液晶テレビがよかったなぁ」

愛菜がぼそっと呟いた。
すると突然、ブラウン管テレビの画面が真っ暗になり、音も出なくなった。

「え? ウソ、ちょっと!!」

焦った愛菜が、ベタなやり方でテレビを叩いてみるが、ブラウン管テレビに反応は見られなかった。

「もう! 今重要なとこなのに! 今急にだよ? さっきまで普通に見れたのに!」

「今度はテレビ? マジで、呪われてるじゃん。もう、気分転換に温泉でも行かない?」

萌結が呆れている。

「うん……。まぁ、家で録画はしてあるからいいけどさ」

「録画してあるんかい!」

「わたし、温泉の前にテレビのこと、オーナーさんに言いに行くよ」

「え? 梓、ほっとけばいいよ。もしそれで別料金とか文句でも言われたらどうすんの」

「でも……」

「わたし先に温泉行くよ!」


萌結は怪我した足はもう平気なのか、離れの温泉へと一人先に向かった。

「梓、なんか、ごめんね」

「え? 何で?」

「だって今回の旅行、梓の為って萌結がせっかく計画してたのに」

「愛菜のせいじゃないじゃん。それに、萌結はぶっきらぼうなところもあるけど、わたしのこと心配してくれてるのは分かってるから」

「うん」

「わたしね、ホントのところ、最近かなり参っちゃっててさ。なんていうか、生きることに疲れちゃって。なんで生きてるんだろって、そんなことばっかり考えちゃってたんだ……」

「え……」

「だから、萌結には感謝してるんだ」

「さすが、小学校からの親友ね」

「もちろん、愛菜にも感謝してるよ」

「うん、ありがとう」

離れにあった温泉は、とてもよかった。
やっと、今日ここに来てよかったと思えた。
3人で温泉に浸かる至福の時、いろいろあったけど、どうでもいい気がしてきた。

「温泉は、間違いなかったね」

「結局、あのテレビ撤去されたの?」

「うん。でも料金はかからないから大丈夫だよ。『もう、使えませんね』ってオーナーさんも言ってた」

「そう」

温泉から出る時だった。
再びわたしの耳にブレーキ音が聞こえた。
もちろん周囲には聞こえてない様子だ。
脳に直接訴えかけているとでもいう様に音が響く。
これは耳鳴りか何かなのだろうか?


『かすみ苑』に戻って来た時だった。
突然、愛菜が目の前でふらっと倒れた。
愛菜は倒れたまま、ぐったりとしている。

「熱がある……」

「えっ? うっそ、さっきまで元気だったじゃん!」

「温泉でのぼせた?」

「わたし、『よろず屋』で冷やすものとか薬とか貰って来るよ。梓は愛菜のこと見てて!」

萌結は飛び出していった。
わたしは愛菜に風を送りながら、さっきまでブラウン管テレビが置かれていた台の上をぼんやりと見つめていた。
“もう、使えませんね”か……。
あのブラウン管テレビは、これまでしっかりと働いてきた。
その上で、使えなくなったのだ。
なら、初めから使えないわたしは……。
わたしは、人間としての不良品?
人間にも検品作業があったなら、わたしは社会人という世に出る前に捨てられる人間だったのだろうか。


萌結がすごい形相で戻って来た。

「梓! ヤバイよ! これはヤバイ!」

「どうしたの?」

「わたし達、とんでもないところに泊まろうとしてるのかもしれない。あの人達、わたし達を殺す気だよ!」

「え?」

「聞いちゃったの。オーナーとあの『よろず屋』の老婆が話してるところ。『タダより高い物はないとは、よく言ったもんです。無料と言われて人はどうするか』『今回は一体誰でしょうね』って!」

「あのオーナーと老婆、実は山姥で、夜中にわたし達を食べに来るとか? ケツの穴から指突っ込んで奥までむしゃむしゃ食べたろかって、いやぁああ!!」

「ちょっと、萌結落ち着いてよ!」

「この3人の中で誰かが死ぬんだよ! 生贄になるってことなんだよ!」

「そんなむちゃくちゃな」

「じゃあ、“今回は一体誰でしょうね”って何よ! 実際、愛菜が倒れてるし、わたしだって足怪我したし、呪われてるじゃない!」

「それは……」


萌結の話を否定することはできなかった。
実際おかしなことは起きている。
そもそも『かすみ苑』の全てが奇妙だ。
貸し出しシステムも、オーナーさんの笑みも、置物のような老婆も。

「う……」

またブレーキ音だ。
わたしは耳を押さえてうずくまった。

「梓! ちょっと! ちょっと大丈夫?」

萌結の声が少しぼんやりと遠くで聞こえる。
なんだろう。これは一体、なんだろう。

「大丈夫……。ただ、なんか耳鳴りみたいな」

「えぇ?」

「自転車返してからなんだけど」

「ヤバイじゃん! 絶対ヤバイじゃん!」

「なんか、からくりがあったりするのかな……」

「からくり?」

「うん。何かをしたから、何かが起きる……みたいな」

「わたし達何もしてなくない? ここ来ただけだし!」

「ねぇ、もし、人間だけじゃなくて、物にも心があったらどうする?」

「は? 梓、何言ってんの?」

「喋れないだけで、いや、その言葉をわたし達が聞けないだけで、物にも心があったとしたら……」

「梓までおかしくなっちゃったの? 変なこと言いださないでよ! 自転車やテレビに、わたし達が恨みでも買ったとでも?」

「恨みっていうか、傷付いたんじゃないかな」

「傷付く!?」

「取り扱いには注意してくださいねって、そういう……?」

「そういえば、変なこと……。『よろず屋』に行った時、炊飯器の中に変な黄色の紙が入ってたんだよね」

「黄色い紙? それ今ある?」

萌結は慌ててゴミ箱を漁ると、くちゃくちゃになった黄色い紙を取り出した。
紙を広げると、妙な文字が書かれていた。

『この物を使用する時は、使用上の注意だけでなく、使用に注意してください』

「使用に注意してください……」

「これ、ご飯炊いたの愛菜だよ!」

わたし達は顔を見合わせた。

ふと、わたしは置きっぱなしになっている領収書に目がいった。
領収書には『¥4219』とある。

「4219円……。し・に・い・く!?」

「死に行く!? 待ってよ! 梓、そんな怖いこと言わないでよ!」

また、ブレーキ音が強烈に聞こえる。
萌結がわたしを呼んでいる気がした。
けど、何故かそれに答えることができない。
わたしは意識が遠のいていった。

子供の頃、誰もが一度はやったであろう『はないちもんめ』。
あれは、本当に楽しい遊びだっただろうか?

勝って嬉しい はないちもんめ

負けて悔しい はないちもんめ

あの子が欲しい

あの子じゃ分からん

この子が欲しい

この子じゃ分からん

あの子は欲しくない

あの子はいらない

そうだ……。
最後まで選ばれなかったわたしは、やがて手を繋ぐ相手もいなくなった。
一対全員の、はないちもんめ。
それは、最後まで誰からも望まれなかった惨めな、はないちもんめだ。
わたしは、誰からも望まれない、使えない人間……。


目が覚めると、どうやら朝になっていた。
『かすみ苑』には、疲れ果てて眠ったのであろう萌結と、眠ったままの愛菜の姿があった。
わたしはゴミ出しをすることにした。
正直、誰もしたくないだろう。
それに、ゴミ出しは、いつもわたしの仕事だ。

外へ出ると、庭園には少し靄がかかっていた。
ゴミ捨て場に行くと、ゴミは細かく分別されていた。
『可燃ごみ』『不燃ごみ』『ペットボトル』『カン』『ビン』『粗大ゴミ』……
各スペースに表記がなされていた。
『粗大ゴミ』と表記されたスペースには、昨日ブレーキが利かなくなった自転車が置かれていた。
わたしは種類ごとにゴミを分別していく。

使えないなんて言われたら、誰だって傷付く。それはきっと、物だって同じだ。
このゴミ捨て場に来たゴミは、“もうお前は使えない”と突きつけられた物達の墓場だ。
昨日までは、大切にされていたというのに。
ゴミ捨て場の一番奥の狭いスペースに、昨日まで『かすみ苑』に置かれていたブラウン管テレビの姿があった。
そこは何故だか何の表記もされていなかった。

「寿命が来たみたいです」

突然声がして、わたしは声の方を振り返った。
そこには『よろず屋』にいた老婆が立っていた。

「このテレビ……ですか?」

「彼は家電リサイクル法で、粗大ゴミにもなれないんです」

「彼……」

「もう修理したくても、部品がありませんからね」

「随分と長く、ここで使われてたんですか?」

「ここにあるものは、もともと全てゴミです」

「えっ?」

「使えないと言われ、葬られた物達です」

「使えない……」

「使えないと思われてる物でも、直せばまだ使えるものもある。道を変えれば価値が生まれることもある。だからわたし達は、こうやって無償で提供しているのです」

「だから、ここにある物は年季が入ったものばかりなんですね?」

「中には、まだ使えるのに捨てられた物もあります。物は人以上に繊細です。軽率な行動をすべきではないのです」

「軽率?」

「あなたは物の気持ちを考えたことがありますか?」

「物にも、心が……」

老婆がうっすらと笑みを浮かべたように見えた。
それは、“この物を使用する時は、使用上の注意だけでなく、使用に注意してください”の答えのようだった。


「わたし、日常から逃れるためにここに遊びに来たんです。いつも辛いことばっかりで、何でわたしこんななんだろうって……。頑張ってるつもりでも結果が出なくて、結果が出なければ、それは頑張ってないのと同じで。生きるのに疲れて、明日人生が終わってもいいかなって少し投げやりに思ったりもして。けど、やっぱり死にたくなくて……。なんでだろ」

「それは、あなたが生きているからです」

「生きている……」

「方向性を間違えても知らないふりをして遠回しに生きる。間違ったのを分かっててそのまま生きていく」

「えっ……?」

「今のあなたです」

「……」

「一番怖いものって何だと思いますか?」

「目に見えないものとか?」

「そう、人の心。人は皆、自分を守る為には手段を選ばない。恐ろしいものですね」


老婆は『粗大ゴミ』のスペースへと歩いて行った。
わたしはつられるように、老婆の後を追った。
わたしは、ブレーキが利かなくなった自転車意外に、もう一台、子供用の自転車が置かれていることに気が付いた。

「似てる……」

思わず声に出してしまった。
わたしは昔、ある友達から自転車を借りたことがある。
しかし、その借りた自転車を、わたしは壊してしまったのだ。

自転車に乗って坂道を下った。
ブレーキをかけたが、ブレーキは利かなかった。
自転車はスピードを増し、坂道を下っていく。
ハンドルを切ると、わたしは転倒し、自転車は壊れた。
あの日から、わたしはあまり自転車に乗らなくなった。
今目の前にある自転車は、何故だか、あの時の自転車にそっくりだった。


「本当にあなたが壊したんですか?」

「どういう意味ですか? 乗っていたのはわたしです。わたし以外に誰が壊すって言うんですか?」

「初めから壊れてたりして」

「え……?」

ふと、辺りを見ると、先ほどまでいたはずの老婆の姿は消えていた。


『かすみ苑』に戻ると、萌結も愛菜も起きていた。
愛菜は熱も下がり元気になっていた。
昨日の出来事が嘘のようだ。

「萌結、あのさ……」

「あっ、梓、耳は?」

「え……、あれっ? そういえば……」

「みんな元気になったんだね!」

「梓聞いてよ、萌結がね、わたしが生贄になるのかと思ったって脅かすのよ?」

「だってぇ!」

ホッとして、皆顔がほころんだ。


管理棟でオーナーに鍵を返した。

「ご利用ありがとうございました」

淡々とした様子でオーナーはチェックアウトの手続きを済ませると、丁寧にお辞儀をした。


わたし達は来た道を戻り、坂道を下る。

「萌結、旅行ありがとね」

「何よ、梓、あらたまっちゃって」

「わたし、人生やり直そうと思う」

「へっ?」

「まだわたしも、使える場所があるかもしれないから」

「どういうこと?」

「『かすみ苑』が教えてくれたの」

「はい?」


わたし達は、広い道路横に出た。

「じゃあ、わたしはここで」

「え? 萌結どういうこと?」

「彼氏がここまで迎えに来てくれるの!」

「えっ?」

「ここで二人とはお別れ」

「じゃあねー」

「じゃあねー」

萌結と別れ、わたしと愛菜は駅に向かった。

突然、またブレーキ音が聞こえた。
え、これはまだ続くの?

「今の音、何?」

「え、愛菜にも聞こえるの!?」

背後に違和感を感じ、わたしは振り返った。

「えっ……!?」

ゴミ捨て場に置かれていたはずの子供用の自転車が、ひとりでに坂を下っていた。
坂道の下で彼氏と電話している萌結は気付いていない。
萌結めがけて、あの自転車が!!

「萌結!!」

自転車はスピードを増し、萌結に向かって行く。

「止まって! 止まって!!」


反対側の広い道路をトラックが走って来る。
このままだと……!!
あの自転車が、もしそうだとしたら、あの自転車は止まらない……

トラックのブレーキ音が鳴り響いた。
大きな衝突音がし、自転車は投げ出された。

あの日の記憶が蘇る。

「ならこの自転車乗って行きなよ、梓ちゃん」

「借りていいの?」

「うん」

「ありがとう、萌結ちゃん」

自転車には名札が付けられていた。そこには『やぶしたもゆ』とあった。
END

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?