不食とは、3次元の楽しみを捨てること・・・不食レポート④
不食レポート②で、欲望や願望の量と、食べる量は比例すると、不食は仙人になる道。と書いたが、
「不食実践ノート」と言う本を読んだら、その中で同じことが書いてあった。
この本の中の不食者の方の一人、尾崎元信さんと言う僧侶の方がこう語っている。
釈迦は、「法句経」の中で、このように説かれている。
「修行が進むと、楽しみが楽しみでなくなるであろう。」
「腸の汚れは人間(俗)の楽しみを生み、腸の浄化(不食)は人間の楽しみが消え、仙の楽しみを生む。」
このようなことが書かれていた。
私も思いだした。
私が、真の明け渡し、魂の目覚めが起った時は、まさにこれで、この世での楽しい事は楽しい事ではなくて、
楽しいとか考える必要もなく、在るだけで至福の感覚の中にいた。
なんとか生活を維持していく過程で、それの本質が忘れられて、若干だが3次元世界に戻されていたわ。
楽しいことを選んでいくとか、楽しい選択をするとか、楽しんで行こうとか、楽しいすらも手放して、
「そんなの関係ねぇ!どっちだっていい!」ってなった時に、本当の源の世界にたどり着く。
だって、そこに行ったら、楽しいとかそう言う次元じゃないもの。
何も考えない。何も意識しない。何も行動しない。何もやらない。それでいて立ってもいられないほど、至福の幸福感が身体の内から湧き上がる。
私は、魂・ハイヤーセルフ・アートマンが、エゴ(思考)が引っ込んでお出ましになったことを何度か経験しているが、
ただ在るだけで、言葉に表すことができないような、身体が歓喜のあまり倒れ込んで、身動きが1mmも出来ないほどの幸福のエネルギーを感じるようになる。(最大でそれが1時間以上続いた)
それが本物の源の世界なのに、生きるために生活していると忘れちゃうんだね。
オレもいつの間にか、この3次元社会を楽しむように戻ってたわw
だから前回も書いたけど、ガンシューティングの大会に出て見ようとか思ったんだね。
週休7日で時間はあるから、そんな横道にそれようとした。
でも、何もしなくても、何をやらなくても、楽しみを求めなくても、楽しみを選ばなくても、
最高、最大の至福や幸福感は、これまた自分の中にあったんだよ。
以前のブログで、オレは何度も書いているのに、うっかり3次元につられて忘れちゃってたよ。
それほど、この3次元で楽しみを追求するって、面白いんだわな。
どっちがいいって話じゃないから、どっちが上だ。なんて言う奴もいるけど、上も下も無いから。
でもね。この3次元を楽しみたいならば、完全なる不食、仏陀の言う仙の世界にはならない。
今はまだ、3次元を楽しみながら、不食も挑戦して遊ぶってことはできるけど。
誰が、どの道を選ぼうがすべて自由だし、どれも上下は無い。
ただ、自分はどれを選ぶのか、はっきり決めておかないと、3次元に留まるのか、5次元に向かうのか。
これはあと10数年で、完全に地球から問われることになるだろう。
どっちを選んでも、問題は何も無いけど、「オレは3次元からきっぱりと足を洗う。」ことを選ぶ。
なぜか?。それは、オレの人生の流れだと、その方が遥かに幸せだからだ。
しかし、3次元で幸せだと言う人もいるから、これは俺だけの話。
自分の人生の流れを見れば、自分がどれを選べば最適かわかるはず。
今は、3次元と5次元が両方混在して、まだ3次元が強く残っているから、両方やって遊ぶことも出来るけど、
あと10数年で、それは地球が許さなくなるだろう。
必ず地球に、「あなたは5次元に移りますか?それとも3次元に行きますか?」と問い詰めらる時が来る。
だいたいスピをかじっている人は、ポジティブとか楽しいって言葉に異を唱えると悪く言ってくる。
3次元を楽しみたいために、スピリチュアルをやっているから、そう反論するのは当然なのだが。
完全不食になるってことは、完全に3次元世界を忘却して、5次元世界に至福を掴むこと。
3次元世界の楽しみに、うつつを抜かしているようでは、完全不食も5次元も不可能だな。
夢の世界が楽しかったのなら、夢から覚めたくはないよな。
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