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栗日記58:フールの方が好き


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今日は姪っ子のお宮参りだった。

赤ちゃんの手はまだ、私の指を握るのにやっとという大きさだった。

ミルクを飲むのも眠るのも一生懸命だった。

生きていた。

生きているというのは不思議だと思った。

そして面白い。

私が小さい頃は、叔父さんや叔母さんにすごくよくしてもらった思い出がある。

私もこの子を愛したい。

今は色々と自分のことで手いっぱいだけども。

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今日こそは、途中まで見ている映画を最後まで見ようと思っていたができなかった。

生きていくだけで精一杯だ。

私は物語の登場人物では、愚かなキャラクターを好きになることが多い。

目的を間違えたり、目的に向かっていくための手段を間違えたりする人間は愛せる。

個人的にはやっぱり、最後はどうにか報われてほしいと思う。

「天気の子」で帆高君が手にした拳銃は、彼が後に下すことになる
「人道的じゃない解決法」、
彼の意思を象徴するアイテムだったと思う。

好きな子と、なんやかんやでホテルに泊まることになっちゃったりして、みんなで楽しく遊ぶ。

その時間を通して、視聴者と帆高くんの気持ちはひとつになる。

『この子を失いたくない。』

刹那的な感情に振り回される人物の方が好きになれる。

私にとって「天気の子」は傑作と言える作品。

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そういう意味で「ジョーカー」のアーサーってなんらかの究極なんじゃないか。

「ジョーカー」では始まって早々、コメディ番組を見ながらアーサーが妄想にふけっているシーンがある。

やけに自分と重なった。

地下鉄で不良3人組を一掃して、公衆トイレに逃げ込んで、自然に体がダンスを踊りだす。

悪役とはこうでないと。

いやもう、好きすぎて私もよく

(燃えてるのはお前のせいだ、に対して)
「そうさ!」
「美しいだろ?」
とか

(終盤のコメディ番組で)
「もうひとつのジョークはどうだい!」

「心を病んだ孤独な男を欺くとどうなるか」

「それをゴミのように扱う社会を掛け合わせるとどうなるか」

「答えを言うぞ!報いを受けるんだ!こうしてやる!」

(字幕が複数パターンあるから、頭の中で混ざってる)
とか

ひとりでよく演じながら遊んでるくらい。

可能なら記憶を消して、まっさらの状態でもう一度あの作品を見たい。

それぐらい好き。

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