娘の激痛 (その5)

激痛の引かない娘を、家に連れて帰るわけにもいかず、結局、救急外来で泊まることになった。病棟に入院するというのではない。専門医が週末に不在だったからか、検査技師が足りないのか、病棟のベッドが足りないのか。とにかく痛みの原因が特定されない中、他に行き場はなく、痛み止めを取りつつ検査を受け、救急外来で過ごした。
次の検査を待っているのか、痛みが引くのを待っているのか、診断がつくのを待っているのか、医師からの次の診察を待っているのか、もう何を待っているのかわからなくなるほど、時間が経っていた。
付き添いの私もまともに食べていない、まともに寝ていない数日で、フラフラしそうになった。
「何か欲しいものがあったら、何でも言って。何時でもバイクですぐ持って行けるから」
息子が私を心配して、スープを温めて持って来てくれたのがうれしかった。

私は娘の傍らに座り、少しでも彼女を癒そうと、起きている間はずっと、言われるがまま、手や足をもんであげた。他に彼女の癒しとなりそうなことは、何もないようだった。
「お母さん、トイレについてきて。中に一緒に入って」
痛さから不安になるのか、病院にいる間じゅう、彼女は私にトイレに一緒に入るようにお願いした。普段の彼女からは考えられない事だ。病院のやや広いトイレの個室の中で、毎回、私は彼女を背にして、壁に向かって立った。17歳の彼女から完全に信頼されているのを感じつつ、不安な彼女のために、そばにいてあげられる事がありがたかった。

痛みが多少コントロールされると、いつもの娘の表情が帰ってきた。それでも私が聞くと、かなり痛いと言う。本来、短時間すごす場所であろう救急外来に、もう、何日もい続けた。
「あれー?まだいたの?」
職員の人たちと顔なじみになって、笑いながら言葉を交わす。
「楽にしていられる大きな椅子があるから、持って来てあげるよ」
何日も付き添う私をねぎらって、大きくて重いアームチェアをわざわざ運んでくれる人がいた。本当に優しい笑顔だった。
「進路は決まったの?病院で働くようなのはどう?」
血液を採りながら、血圧を測りながら、まだ若い我が娘に波長を合わせた、楽しい会話が次々とされる。最近見たおもしろいテレビ番組だの、大学を行きなおして医者になった経緯だの、歳をとった親の面倒を見るために移住先から帰ってきた看護師の、楽しかった異国での一人暮らしの話だの。緊張と不安を強いられている救急外来での時間に、多くの職員の方たちが、明るさで接してくれたことは、とてもありがたかった。明るさに救われる思いだった。明るさは、私たちが思っているよりずっと、力強い働きをしているのだ。人と接する時の姿勢として、大切にしたいと思った。

(続く)

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