チキンフィレ

夕方から久しぶりに会う友人と出かける為、家族の夕食を事前に用意する。ここまで家族に手取り足取りしてあげなくても、たまには自分たちで食べるものを自分で用意させてもいいようなものとはわかっている。けれども私は、友人とのお出かけが楽しみでたまらないので、家族にもおいしいものをきちんと食べて欲しいのだ。私が楽しんでいる陰で、家族につまらない思いをさせたくない。安心して出かけるためにも、しっかり食事を用意しておく。

簡単に温められる美味しいもの、みんなの好きないつものサラダも準備した。でも、もしかしたら物足りないと思うかもしれない。私が出かけることで家族に不満が少しでも出るのは嫌だ。追加としてチキンフィレを焼くことにする。
大きく見えるように薄く切った何枚ものチキンフィレに、いつもは私が使わない、でも夫が好きな化学調味料を振って焼く。これが念のためにそこにあれば、食べるものが足りないとの文句はでないだろう。

ここ数年、我が家に常備され、連日焼いているチキンフィレ。夜遅くに、庭にある小屋でウエイトトレーニングをする息子が、トレーニング後に毎日食べるのだ。筋肉を作るために、そういう食べ方をするらしい。焼いているチキンフィレは、夕食の追加分と、このトレーニング用になるのだ。

よその家でもチキンフィレはよく使われていると思うけれども、我が家で消費するだけでも、どれだけの鶏を短期間で育てる必要があるのだろうかと思う。これを考えると、余り気持ちのいいものではない。食べるチキンを我が家の庭で育てるとしたら、毎週、2-3羽のひよこがかえり、そしてやっぱり、大人になった鶏を2-3羽、毎週絞めなくてはいけない。
あまり気分のいいものではないと思いながらも、息子がチキンフィレを毎日食べたいというのだからと、こうして毎日焼いている。実際の所、便利な自然の食材だ。食べ盛りの息子は結局、夜食が欲しくなるのだから、ラーメンやビスケットを山ほど食べるより、チキンフィレが夜食となるのは、悪くないだろう。

ジュージューといつもの音をたてて、チキンフィレは焼けていく。こんな風に連日焼いて、数年になる。もう当たり前となっているけれど、これを始めた数年前、私は、このチキンフィレを毎日焼いて息子に食べさせるという事に、非常に大きく抵抗した。

息子が14才の時だったと思う。夫と息子が以前に二人で作った庭の物置小屋は、息子のウェイトトレーニングをするスポーツジムとなった。そこには大きな器具が置かれ、友達と一緒に毎日トレーニングをしては、鏡で筋肉を確認するという、私の目には何とも不可思議な趣味を楽しんでいた。
筋肉をどんどん作りたいという気持ちでいっぱいの息子に、プロテインのパウダーは取らないでほしいという事は理解してもらった。けれども彼はまもなく、「じゃあ代わりに、チキンフィレを毎日食べる。」と言い出したのだ。
「みんなと別のものをディナーに食べるってことは、わざわざ私が二つの別のメニューを作るってこと?冗談じゃないわ。」と、私ははっきり拒絶した。
「しかも毎日同じものを食べるなんて、体にいいわけがないわ。私は毎日しっかりバランスのいい美味しいものを、一から作ってあげているでしょ。しかも愛情を込めてるのよ。」
「変化があって、バラエティーに富んでいて、私がいつも作ってあげているもので充分なはずよ。」
私は熱心に説得をした。そう、私は自分の料理に関して、多少なりとも自負があるのだ。
筋肉を作るために食べるなんていうコンセプト自体、私にはおかしく聞こえた。自然とのつながり、料理を作る人の思いやりを受け止める事、感謝して食べたり、みんなで美味しいものを分かち合う喜びに至るまで、食べることには、精神的、社会的な価値が大きいと私は思うのに、筋肉の為に食事を用意しろというのだ。

息子は、「またお母さんの、愛情をこめたのよ!が始まった!」と、バカにし始めた。
私の主張はもっともだと、夫が息子に言い聞かせると思いきや、夫は私に、「どうして息子の為にやってあげないんだ。」と、不意打ちの一言を発した。
「彼にとっては大切なことなんだよ。」

この件に関しては共通意見を持っていると思っていたのに、まんまと寝返られた衝撃は大きかった。誰も私の自負なんか気にもしていないのだ。
プロテインが何グラム必要だの、炭水化物がああだこうだの、料理の手間なんか何でもないだろうと、夫はすっかり息子をサポートし、二人で私を追い詰める。私の目からは涙があふれた。
ここまでくると、私はやけになる。滅茶苦茶な話になろうが、こじつけだろうが、何でも言うしかない。くやしさの矛先は夫に向かうことになる。
「あなたねー。息子がどんなに筋肉のトレーニングをしても、あなたのナチュラルな筋肉質のボディーの方がずっときれいと私は思うけど、違う?」
「お酒飲んで、たばこを山ほど吸って、不規則に生活しても、それでもあなたがとても健康でいられるの、どうしてと思うの?」
私の声はどんどん大きくなる。そして最後の切り札を叫んだ。
「あなたのお母さんがねー、あなたが子供の時に、毎日毎日、バカみたいにしっかりご飯作って、食べさせてくれたからでしょ!」
義母は字を読めなかった。その代わり、家事を完璧以上にこなし、おいしい料理を毎日作ることを、丁寧に、そして誇りを持ってやる人だった。そして自分の作った料理を、子供たちに与えることを喜びとしていた。
私は夫から、そんな話をかなり聞いている。それは料理の話というより、ひたすら与え続けた愛の話に、私には聞こえるのだ。ただひたすら与え続けた愛は、決して裏切ることのできない何かを、我が夫に植え付けたことは確かだった。
「あなたのお母さんはプロテインがどうのとか、栄養の事なんか何も知らなかったはずよ。子供の為にただひたすら、愛情込めて毎日毎日、作ったのよ。」
「それを何よ!バカにして。天国にいるお母さんに申し訳ないと思わないの!」
夫はちょっと下を向いて、苦笑いをして黙った。彼の目はうるんでいる。私は心の中で叫ぶ。
「お義母さん、ありがとう!」
そう、何を言っても無駄な時、亡くなったお義母さんに登場してもらうと、夫はぴたっと黙るのだ。水戸黄門様の御印籠のように、その力は抜群だ。

夫も息子も静かになったけれど、頭を冷やした私は、数日後には、私にとって大切でなくても、息子にとって大切だという筋肉増強の為に、夕食とは別にチキンフィレを焼くことにした。
私が子供の頃、親にとってではなく、学校の先生にとってでもなく、社会の通念でもなく、私にとって大切なことを、もっと尊重されたかったと、思い返した末の選択だった。

チキンフィレはきれいな色をつけて焼きあがる。泣き叫ぶほど抵抗したのに、今ではごく当たり前の我が家の光景だ。さらには、食べ盛りの息子に食事を作るのが大変に思う時もあり、思わず夫に、プロテインの粉末で一食こなしてもらうのはどうだろうかと打診した日もある。私たちの主義主張は、こんなにいとも簡単に変化するものらしい。

息子はずいぶん、父親ゆずりの筋肉質な体になってきた。もしかしたらいつの日か、その健康で立派な体を、「お母さんが毎日毎日、バカみたいに愛情込めて料理して、ついでにチキンフィレを焼いてくれたから。」と、目をうるませて言う日が来るかもしれない。
もしかしたら、チキンフィレは、立派な筋肉だけでなくて、人として流せる涙のもとまでも作るかもしれないなと、お出かけ前のキッチンにて思った。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?