見出し画像

余命と金木犀の香り

平成30年10月初旬。


父が放射線治療を終え、再び転院する日を迎えました。朝8時過ぎに病室に行くと母が既に荷物をまとめていました。父に声をかけるも、眠っており反応がありません。


退院の手続きなどをし、病室にいると介護タクシーの方がみえました。挨拶をして行き先を確認すると、看護師さん4名がかりでリクライニング型車椅子に移乗していただきました。父は身体が大きく、体重は当時80キロを越えていました。


また、少し前からトイレに行くことができなくなり、オムツを使用していました。発語はほとんどなくなり、声をかけて単語が返ってくるくらいになっていました。



車に乗り、約30分ほどで最初に入院した病院に到着しました。ゆっくりする暇もなく、手続きを行います。父は様々な検査を受けていました。検査を終え、ベッドに戻った父は長時間車に揺られた疲れもあったのかずっと眠っていました。



母と私は主治医の先生に呼ばれ、現在の父の状態や今後について話をしました。始めに入院した時よりも、悪化しているのは分かってはいましたが改めて話をされるとショックはとても大きかったです。今の状態では抗がん剤治療を行うことはできないと言われました。そして、最期はどのように迎えたいか。母は自宅で看たいとその時話していましたが、私は頭が混乱して先生の話を聞くことが精一杯でした。この時、がんの進行度や余命については触れられませんでしたが、相当良くなかったものと思われます。



先生と話を終え、母も私も放心状態。「やっぱり、かなり良くないんだね。」絞り出すように言いました。夕食の時間になると父は黙々と介助を受けながら食べ続けていました。


「とりあえず、食欲はあるから一安心だね。」その日父が眠るのを見届けてから帰宅しました。


それから数日後、仕事から帰宅中に母から電話がありました。車を停車し話を始めると「父さんが39度代の熱をだして、今は食事を取らず点滴だけなの。先生から話があるってことで叔母さんと一緒に聞いたんだけど。」


「かなり状態が悪くて、あと1週間もつかどうかって言われたからすぐに来て。」


突然の余命宣告でした。「わかった、すぐ行く。」とだけ言って運転を再開しましたが、涙がどんどん出てきて大声で泣き叫んでいました。


外に出ると、どこからともなく金木犀の香りがする季節でした。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?