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オノマトペ

森山良子にサトウキビ畑という歌があって、これはなかなかにいい歌だと思う。フォークで育った僕らには懐かしい調べだし、彼女の透き通った歌声や歌唱力の素晴らしさはまがうべくもない。沖縄戦の悲劇が切なく歌われていることもサトウキビ畑の哀切な響きを魅力あるものにしている。

同時に、何と言っても、あの「ざわわ」という言葉が繰り返し繰り返し歌われて、それが耳に心地よい。「ざわわ」はサトウキビが風に揺れる音だが、一面のサトウキビ畑が夏の日差しを受けながら、青く通り抜ける風に波打っている様子を爽やかにイメージさせてくれる。沖縄の青々とした海まで見えるような透き通った響きである。単純な反復だが、ことばの持つ力を実感させられる歌であると言える。



言うまでもないことだが、この「ざわわ」のように、音をことばで表したものを擬音語と言う。

電車がゴトゴト走る
雨がザーザー降る
肩をトントンたたく
などという表現。

似たようなものに擬態語があり、こちらは動作や状態をことばに置き換えたものである。

しっとりとした肌
牛がのろのろ歩く
胸がじんわり熱くなる
のように言う。

パチンコで、玉が「ジャラジャラ出る」と言ったら擬音語
玉が「ジャカジャカ出る」と言ったら擬態語

「ヨン様がホホホと笑う」は擬音語
「ヨン様がにっこり笑う」は擬態語


この両者を併せてオノマトペと呼ぶが、日本人好みらしく、日本語にはたくさんの擬音語、擬態語がある。「ざわわ」が受け入れられたのも、そうした日本人の好みがべ一スにあったのかもしれない。

少し例を挙げてみたいが、日本は湿潤な国であるために、水に関するオノマトペが非常に多いと言われる。
ちなみに「雨が降る」をオノマトペを使って表現してみると、

しっとり降る
しとしと降る
じっとり降る
じとじと降る
じめじめ降る
ぽつぽつ降る
ぱらぱら降る
ざーざー降る
ざんざん降る
ばしゃばしゃ降る
がしゃがしゃ降る
ごーごー降る

・・となる。まだあるかもしれない。これらは全て違ったニュアンスを持った言葉なのであって、それらを僕らは何の苦もなく使い分け、そのことばの「感覚」を共有している。これは、実はすごいことだと思う。

「夜がしんしんと更ける」と言えば、僕らは夜の闇と共に静かに深まっていく静謐な空気を感じることができ、「軍艦マーチがガンガンなる」と言えば、パチンコ屋の賑やかで楽しい空気をイメージすることができる。「カミさんがガミガミ言う」と言えば、尻に敷かれて小さくなっている亭主をすぐに思い描くことができる。泣き方も笑い方も、このひとつの副詞が入ることで、全く違う、さまざまなニュアンスの表現が可能になるのである。オノマトペは僕らのイメージを具体的に表してくれる、すぐれた表現方法と言えよう。

ただ、非常に感覚的なことばであるから、万人に通じるわけではない。カラスナエンドウのことを、僕らはその実で作る笛の音から「シビビイビイ」と呼んでいたが、広島の奴に言わせると、それは「ピーピー豆」ではないかということだった。さっきの雨の表現を全部英語で表そうとしても無理であろうし、「しっとり降る」と「しとしと降る」の違いを外国人に説明しても恐らく理解してもらえまい。「夜がしんしんと更ける」も僕らにしか分からない実に微妙な表現といわなければならない。限られた祉会の中で共有される、ある種の「民族音楽」のようなものと言えようか。

そういう宿命を持ちながら、しかし、オノマトペの魅力は計り知れない。おなじみのいくつかの例を思い出していただくだけで、それは容易に実感していただけると思う。

例えば、童謡
あめあめふれふれ母さんが蛇の目でお迎え嬉しいな。ピッチピッチチャップチャップランランラン。

また例えば、昔話
大きな桃がドンブラコッコスッコッコと流れてきました。
オムスビオムスビコロコロスットントン。

例えば演歌
与作は木を切る。トントントーントントントーン。

蕪村の俳句に「春の海ひねもすのたりのたりかな」とある。
芭蕉の「梅が香にのっと日の出る山路かな」もいい。

こんなふうに見ていくと、多彩なオノマトペが、僕らのイメージを存分に喚起し、日本語をいかに豊かにしているかが分かる。定番の使い方もあるが、これらはその雰囲気をつかんだ作者が創作したものが定着していったものである。「夜がしんしんと更ける」も斎藤茂吉の造語らしい。詩人や童話作家になったつもりで、新しいオノマトペを創作してみるのも楽しいことかもしれない。
息子がまだ小さいころ、僕らは炭酸ジュースのことを「ぱちぱちジュース」と呼んでいたが、なかなか良く雰囲気をつかんでいるではないか。



最後に、僕の好きな渡辺松男という歌人の歌を紹介して、終わりたい。斬新なオノマトペの使い手である。

キャベツの中はどこへ行きてもキャベツにて人生のようにくらくらとする
地に立てる吹き出物なりにんげんはヒメベニテングダケのむくむく
重力は曲線となりゆうらりと君の乳房をつたわりゆけり
再会の山毛棒(ぶな)の樹幹を抱くときその悦びのぐぐぐぐと春


まったくのついでながら、僕の歌も紹介したい。

教室といふ四角い箱はごとごととごとごとと煮らるるおでん
生きるとはただ漂ふてゐるだけの ふはりふはりとふはりと海月
ことことと ことことと煮る里芋の あったかい夜のやうだな 君は

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