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【親との確執】

少なからず、誰しもが抱える問題だと思っている。
ただ、考え方が極端に違うため分かり合えることがない。
中々、悩ましい状況である。

高校3年の時に祖父が体調を崩して病院にちょこちょこ行くことに。
私は、いわゆる外孫という立ち位置であるため、別に本家の誰かが対応すれば何も問題は無い。
ただ、頼みやすい人に電話をしやすいのだろう、毎日私に電話がくる。

対応は、できるのでなんでもする。
下の世話だろうがなんだろうが問題ない。

祖父が骨折をして手術をするかしないかで本人が悩んでいる際に相談を受けていた。
手術をすることで大量の出血を伴うので命の危険がかなりある。
本家の長男夫婦との人間関係は、決していいとは言えない状況である。
長男夫婦の下した決断は、祖父に従うといったもの。
祖父は、家で世話になるのは、難しいので自分のことができなくなるのであれば、致し方ないと手術をすることを選択。
当時、大学生の私からしたら、かなり衝撃的な内容であった。
実の親でなく祖父ということもあり、変な冷静さがあったので、「自分のことができない」のと「長男夫婦の世話にはなれない」という問題点が、
解決できないか検討した。
丁度、介護保険制度というものができたため、補助金やサポートできる仕組みを最大限利用した場合に
「歩けない」 ことは、電動車いすでフォロー。農家のため家が広く改築しやすかった。
「長男夫婦の世話にななれない」ことは、訪問ヘルパー制度を利用して対応。
この2つを説明し理解を得てもらい手術を回避することになった。

この説明をしたときに祖父が涙を流しながら「そうか」と言ったのが忘れられない。

数年後に老衰であろうが、徐々に食事ができなくなり2週間程度の入院を経て亡くなった。
亡くなる前日の夜に目も開かずに声もかすれて話せない状態であったのにも関わらず、
握手を求めて「あとは頼んだ」と言われたのは、どこかの小説を読んでいるような不思議な状況であった。
翌朝、病院から電話で亡くなったことを知らされるも大学の授業があったため、私は、授業が終わってから病院に行ったと記憶している。

正直、6,7年近く傍にいたので、私も放心状態だったのでよく覚えていない。

私が24歳の時の話ではあるが、そもそも、親兄弟で何とかしろや!とも思っていた。

この出来事から少しして、東京で仕事をし始めたので、親との交流が減り始めた。

そもそも、考え方が合わないので、結婚、出産を経て東京勤務で私の出張が多く、ヘルプで私の実家の世話になるべく、
妻と子供で行かせたら、まさかの妻から
「帰りたい」と連絡が来た。
どうやら、母から「子供の面倒がみられないのに何故産んだのか?」といったことを言われたらしい。
速攻で自宅へ戻して、父親に状況を聞くも知らぬ存ぜぬで話にならない。
これをきっかけとして、完全に壁ができる形となった。

ただ、親も年をとってきているので、今後のことを考えると色々悩ましい。
しかし、相談する相手もいない。
介護のyoutubeを参考にするときが間違いなく来ると感じている。

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