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企画創作 『ジルコンの記憶』

※この物語にはバイオレンス(暴力的・残酷)な表現が含まれます。

『宝石の狩人』https://shindanmaker.com/a/1082114
『血を吸う宝石』https://shindanmaker.com/a/1081652
 弁柄丸さま(@bengara0)による診断メーカーの設定原案・診断結果を基にした一次創作物語です。創作物の発表、設定の自由補完など許可をいただき有難うございました。

 『宝石の狩人』・『血を吸う宝石』の診断結果や独自設定のまとめなどはこちらです。


───────────────

『ジルコンの記憶』

 人の姿を得た宝石は人間の生き血を啜る。そして永らえる。

〈1〉

 夕刻近く、馬車が悪路を進んでいた。狩人が葬った吸血宝石の亡骸を街まで運ぶ途中だった。
 人間そっくりの宝石が頻繁に出没することから、〈不気味の谷〉と呼ばれるようになった峡谷の程近くにさしかかった時だ。荷車が大きく揺れた。昂奮した馬の目が、光の屈折による輝きを捉える。天井に何かが垂直落下した衝撃。いち早く狩人が馬車から脱出する。御者が干からびた骨と皮の遺体となっていた。
 馬は逃げ、宝石の亡骸は持ち去られ、それを宝石狩りの武器にするため取引に同行していた武器職人の召使いが、御者と同じく殺害された。
 そんなことが毎日のように起こる。

 だからあの谷あいには近寄るなって言われてるのに。酒場で誰かが呆れた溜息を吐く。一週間前の〈不気味の谷〉での事件は、さして取り沙汰されることはなかった。皆、こんな報せには飽き飽きしていた。犯行は間違いなく吸血宝石によるもので、同胞の亡骸が自らを葬らんとする武器へ造り変えられるのを阻止するために行われたのだ。分かりきっていても、寄り合い酒場やコーヒーハウスに舞い込むのは同じような話題で、また同じような会話が繰り返される。
 別の誰かがパイプ煙草を揺らし、立ち上る煙をぼんやりと見る。知らなかったわけじゃあるまい。できれば近寄りたくなんぞなかったろうさ。それでも街への近道を選んだんだ、運が無かったんだよ。するとカウンター席から管を巻く酔っ払いの声が飛ぶ。運と言やあ、近ごろユニコーンがさっぱり冴えねえんだ。あんた、酔っ払うといつもダービーの話ばかりだな。そういえば領主さまの持ち馬が盗まれたって本当? ばかだねえ、デマに決まってるだろ。ばかと言えばほら、先月の、どっかの貴族もそうさ。今時、いつ吸血鬼になるか知れない宝石を飾って愛でて毎日語りかけてたっていうんだから。金持ちの考えることは分からないね。話題はころころと移り変わる。
「なあ。そこのほっかむりのあんた、狩人だろ」
「もしかしてこの辺りに滞在してるって噂のかい」
「ウソ、〈青の復讐鬼〉?」
 ダービー男が声をかけ、色めき立った酒場の注目が一点に集まる。群衆の無意識に絶えず伏流する、ゴシップへの欲求。まず、狩人であることは尋ねるまでもなかった。カウンターの端でひとり飲んでいる人物の足元には、黒玉(ジェット)が嵌め込まれた、ピストル(片手持ち)クロスボウが置かれている。
「噂なんて当てにはならない」
 酒杯に目を落としたまま、狩人はそれだけ答えた。

〈2〉

 折り畳んだクロスボウを背負い、酒場〈アイランド〉を後にした狩人は、市街地中に対宝石用の罠を張り巡らせた。
 通称・ジェットの弓銃は、一度装填して魔導力を充填した発射物を設置さえしておけば、宝石を察知した際、狩人へ信号を伝える。本体のトリガーを引けば遠隔操作で発射され、宝石のみ目がけて弾道すら変える。曲がった軌道では初速は劣るものの、この追尾弾が数多の宝石を撃ち砕いてきた。
 この地方をあまねく支配する領主一族は、比較的宝石に対して穏健な姿勢を示している。言うまでもなく、そういった地域は吸血宝石の温床になりやすく、市民にとって危険の兆候であるにも関わらず、権力者や富裕層が宝石を匿っている可能性がある。そう予想して訪れたこの地では、やはり上流階級の人間が、いつ吸血鬼と化すかもしれないという危機感もなしに石っころを愛でているらしい。
 罠を張り終えた狩人は、ジェットを片手に煉瓦の壁に背を預け、街並みを眺め思案する。雑多な話題が飛び交う酒場で、それでも欲しい情報は幾つか手に入れた。
 今夜にでも──。
 その瞬間、鼓動するジェットの響応。狩人は反射的にトリガーを引いていた。どこかで瓦礫の衝突音とざわめきが沸き上がる。逃げろ。宝石だ。殺されるぞ。慌てふためき走ってくる人々のなかから誰かが叫ぶ。着弾地点を見据え駆け出す間際、周囲の状況に動転した子どもに、外套を掴み縋られる。
「狩人さん助けて!」

 いつからそうなったのか、もう誰もよく憶えていない。遠い国のお伽話のようだった吸血宝石はいつのまにか隣人を、同僚を、友人を、家族を殺すようになっていた。その実在を疑う者は居なくなった。
 金本位とした経済はまるきり根底の基盤を失うことになり、予感されつつあった資本と産業の華々しい時代は遠退いた。世界はひと昔前の生活水準へ退行した。すなわち、非科学である。人類は技術でこの世の首位生物となることをひとまず諦めた。世界機構は魔法や魔力の存在を再び認め、極地へ追放した魔族などの入国や渡航を許可した。
 各国は揃って「吸血宝石の全世界駆逐」を表明したものの、情報筋の話によれば、どの国もこぞって宝石や魔力、魔族たちの軍需利用を暗に画策しているとのことだ。嘘か真か、いずれの権力者も「まだ対策が十分でなく被害が計り知れない」などと説明し、なかなか軍隊を率いての討伐に踏み切らない。
 そのため、各地のギルドで狩人による部隊や一般市民の義勇軍が結成された。なかには硬い鱗を持つワニやヘビ系の竜人族、ゴブリンなどの魔族も多く集められた。あちらに宝石が出たぞと聞けば狩人が騎馬で馳せ参じ、むこうにも現れたとあらば武装した義勇兵らが行列で進む。国王は各地の領主にその治権を与え、「民に害なす吸血宝石には特殊武器を以って対処せよ」と宣ったきりである。活動家や民間組織が奮起し、世界中で宝石狩りと、宝石の亡骸を埋め込んだ特殊武器の生産が急がれている。
 この長閑な町にも、鍛冶屋や刀工、研ぎ師が増えた。表面上、人びとの生活は変わらない。週末に開かれる市場で賑わう通り。野菜やパン、チーズや魚が地産地消され、薬屋には瓶詰めのハーブティーの茶葉や魔法薬が並び、妖精や魔法使いが道端で興行を披露する。都市部では遠い外国の珍しい生糸で編まれた紗や、一風変わった洒落着や異国の装飾品が若者たちの関心を集めるという。
 だが、そこにかつて彩りを添えていた宝石はもう無い。彼らは富と栄華の象徴から、人類の敵へと完全に変わったのだ。この十数年足らずの間に。

〈3〉

 そして今や平和な町は混乱に陥っている。渦中の者、宝石はまるで水中に潜るように瓦礫の影に飛び込んだ。
(──罠! けれど聴いた発射音。追尾する弾丸。あれはなんの武器か? 町は既に敏感。ぼくは指名手配犯? 生きるための算段。膨大な血の晩餐。できる限り密かに。この月が満ちるまでに!)
 クロスボウの標的となった宝石は、着弾した近くの物陰から住宅の影、木立の影へと移り渡り、誰にも見つかることなく町外れ、森の入り口にある丘まで逃れた。移動しながら、暗闇と思考のステップを踏む。
 追手が来ないのを確認して、ようやく安堵と痛恨の息を吐いた。狩人に先手を打たれた。呑気な人々の密集地帯でどさくさにまぎれ、大量の血を吸うという計画は実現できなそうだった。それどころか、この様子では町のどこに居ても罠に引っ掛かりそうだ。
「ああ、時間がないのに」
 だが分かったこともある。あの飛び道具の反則技は、着弾したらもう追尾はできない。威力のある分、可能なのは大まかな軌道変更のみ。それに直線上の有効射程距離も、人間の身体能力をはるかに上回る宝石の最速走行歩数にしてせいぜい五、六歩分とみた。
 とはいえ、見つかるのはまずい。焦るな、と宝石は自分に言い聞かせる。暗がりから町全体を見渡す。ひときわ大きな館が目に留まった。穏健派と目される領主の邸宅。うまく取り入れば、もしかすると庇護が──。
「やめておいたほうがいい」
 唐突に投げかけられた声。途端に身を翻す。姿は見えない。だが、生まれたての宝石は同族の慕わしき気配を初めて感じ取った。まるで心を読むかのように、凛として落ち着いた声は続ける。
「援けは得られないわ。領主は宝石を次々と処刑しているから」
「……それ、本当です?」
 無言の肯定。飢えた宝石は苛烈な笑みを浮かべる。淡々としつつ流麗な同胞の言葉が、宝石をますます昂揚させる。忠告はした、とだけ言い残し、同胞の気配は去った。形だけの忠告。それはむしろ甘言。生まれたての宝石でさえ聞いたことがあるくらい、よく言われていることだ。より多くの宝石を葬った人間の生き血は、宝石にとってより強大な糧となる、と。
 いちかばちか。長考する時間はなかった。
 既に昼下がりの西方には、橙色になりかけた空、淡い桃色の雲、宵の気配が滲んでいる。

〈4〉

 左右の道が領主の館への一本道となる交差点。ショクダイホタルを籠に入れた街灯柱が立ち、ほの明るく辺りを照らしている。
 狩人と宝石は対向する道をやってきて、同時に立ち止まった。偶然の逢瀬に宝石は大げさに目を丸くして作り笑いを浮かべ、小首を傾げた。
「こんばんは。領主さまに何か御用でも? 狩人さん」
 狩人が携えるクロスボウに埋め込まれたジェットの亡骸の一部が、同胞の気配に響応して輝いた。これにより安全装置が〈SAFE〉から〈FIRE〉へと切り替わったことを報せる。
「おまえこそ何の用か知らないが……否、貴様ら宝石の欲するものなどただ一つか。ちょうどいい、おまえもここで狩る」
 問答無用で放たれる一撃。予期していた宝石は街路樹の影に隠れる。矢は宝石を追って木を貫通したが、影に潜った宝石には当たらず、そのまま幹に串刺しになった。
 影に身を潜めたまま、宝石が慌てたように声を上げる。
「待った待った。“ちょうどいい、おまえも”? ということは、ぼくに出会したのはたまたま?」
「答える必要はない」
「いやあります。もしこれが偶然なら、ある仮定が成り立つ。こちらは夜中に人間が立ち入るはずもない獣道、あちらは領主の元へ向かうばかりの道、弓銃は既に装填済み。あなたは館を襲撃するつもりだ。違います?」
「……違うな。領主に雇われて周辺を警備している」
「へえ。“おまえこそ”と仰ったのに? 変ですねえ。雇われてる? 宝石に寛容な領主さまに、〈青の復讐鬼〉ともあろう方が?」
 再びトリガーを引こうとした狩人の指先が静止する。
「闇にひとり佇み。黒い猫の瞳。死体でも出てきそうな夜だ。もしやぼくがそうなるとか? 別に負けませんが」
 言いながら影からわずかに宝石が姿を見せた瞬間、狩人は躊躇いもなく撃った。
 宝石は消え──狩人の足下の影、すぐ真後ろに立って囁いた。
「そう簡単にはいきません」
 一瞬で背後に。
 寒気を払うように、振り返りざま装填、素早くもう一発。撃つと同時に飛び退いた勢いで外套が風を孕み、狩人の素顔が露わになった。一房に結われた髪が揺れる。しかし、再度撃っても同じことだった。宝石は影に潜む。地面に撃っても効果がない上、近すぎる。かえって危険なだけだ。
 相手が無駄弾を撃たないと判断した宝石は、改めて狩人の目の前に悠々と移動した。木立の影からゆったりと歩み出て、さながら探偵か何かのように人差し指を立てる。
「ジェットの弓銃の達人。今の反応。あなたやっぱり、いま町に来てると巷で噂もちきりのひとですね」
 狩人は苦々しげに顔を歪めた。口さのない連中のかまびすしさにもうんざりだが、目の前の宝石のずけずけと不遜な態度もさらに気に食わなかった。
「饒舌な奴め」
「ええ、生まれつきお喋りでして。まともに会話したのはあなたがほぼ初めてですけど。社会性というんですかね。衝動的な発露。学習的な発話。つまり望むは知恵の輪。生まれたての人間もこうしてよく喋るのでしょう?」
 頭の上で円環を描くようにくるくると指を回す風変わりな動作を狩人はねめつける。
「べらべらと喧しいぞ、吸血宝石」

 〈青の復讐鬼〉などというものものしい異名は、数年間の鍛錬を重ね、狩人として武器を持ってから一年にも満たぬうちに単独で葬った吸血宝石が十九にのぼったことから、時を経た今では話に尾鰭がついて、名前だけが一人歩きしている。短期間でそれだけの宝石を狩ったのも、復讐鬼というのも間違ってはいない。ただ、詮索好きの輩に騒がれることを嫌って、いつしか特徴的な青い髪と蒼い瞳を隠すようになっていた。
 以来、誰かに素顔を晒したのはこれが初めてだ。
 狩人は距離を保ち、宝石から目を逸らさぬまま、懐に手を突っ込んだ。数枚の紙を巻いて重ねた順番の記憶を頼りに一枚の用紙を選び取り、提示した。精緻に描かれた青年の似顔絵。
「こちらも確認する。おまえはこの手配書の〈無邪気な風信子石(ジルコン)〉で間違いないな」
「おお、よく描けていますねえ! 生まれたお屋敷の鏡で見たぼくの姿そっくりだ」
 ダイヤモンドに似た大きな瞳が輝く。対して、狩人の氷の瞳は冷え切っていた。
「返答を肯定と受け取る。……おまえが皆殺しにしたはずの貴族一家と使用人たち。とっさに洗濯していたシーツの山に隠れて生き残った一人が、おまえの姿を見ていたという」
「良いんですかそれ言っちゃって。考えないのですか、もしもその生き残りをぼくが狙うかもとか?」
「既におまえの面は割れている。一人のために街中に出向くほど危険な真似をするものか。それに、今夜ここで殺せばそんな心配もなくなる。情報によればおまえは生まれてちょうど一月。満月までに営養を得なければただの“石”に逆戻り。その様子ではまともに生き血を吸えていないのだろう」
「おっとよくお分かりで。ならば早い話です、ぼくは領主の生き血が欲しい。でもあなたの血も欲しい。天秤にかけて悩ましい。こんな夜にいかにも暗殺者ってふうに館に向かうあなたもちょっとやましい。そこで考えてみてほしい。今この時だけひとつ手を結ぶということを!」

〈5〉

「……何?」
 狩人に次々と疑問が沸く。領主の生き血が欲しい? 手を結ぶ?
「さしずめ、お優しい領主さまに命乞いして下手人の血でも分け与えてもらおうと考えていたのではないのか」
「ええ、ついさっきまではね。しかしまるで天啓。流浪の同胞から助言を得ました。領主が宝石を次々処刑していると。宝石の生命を奪うほどその人間の生き血は甘美になると、本能も知っているのです」
「……騙そうとしても無駄だ。領主一族は宝石擁護派。少なくとも現在、二体の宝石を匿っているはずだ。酒場やギルドで複数の情報屋から証言を得ている。仮に貴様が助言とやらを得たのが事実だとしても、素性の知れぬ宝石の言葉などより信頼できる」
「いいえ、つまり! 真実がどうあれ、この広大な敷地内で領主を見つけてふん捕まえたいのは同じってことですよね」
「ふざけたことを」
「言ってません。大真面目ですよ。そうですね、まあ、あなたの言うとおり宝石がふたり、領主側についているとしましょう。ぼくも含めて相手できます? かなり厳しくないです? ここで手を組めば想定上の戦力は二対二。ぼくもなりふり構ってられない、いまこの時だけでも仲間がほしい!」
 沈黙の間を、冷えた夜風が吹き抜けた。

 同盟成立。よろしくお願いしますね。にっこりとジルコンが笑った。狩人と宝石が、肩を並べて領主の館の門前まで向かうことになる。狩人も足を忍ばせていたが、影が広がる夜道で、ジルコンはまったく足音をたてなかった。このような相手が味方なら、成程、さぞかし頼もしかろう。しかし狩人にとっては、未だ受け容れ難いことだった。思わず片手で眉間を押さえる。宝石の力を借りるなど。
「前代未聞だ……」
「そうなんですか? 狩人さんけっこう頭カタいですね」
「宝石にカタいと言われたら終いだな」
 かちんときて言い返してやったが、これでは仲良く軽口でも叩き合っているようだと気を取り直す。
「ジルコン」
 突入直前、小声で呼び止めた。〈無邪気なジルコン〉の通り名にふさわしく、宝石は無垢な表情で振り返る。
「おまえが生まれたてだとて、一時的にせよ協力関係にあるとて、復讐者は容赦しない。憶えておけ」
「ふむ。了解です。ところで、ジルコンって呼び名は誠に単純明快で歓迎なんですが、あなたを何と呼べば?」
「ただの狩人でいい」
「いや、それじゃ困ります」
 知ったことかと取り合わない狩人に、ジルコンが聳える邸宅を横目に見ながら食い下がって説得する。もしも領主一族が宝石を処刑しているなら、内部には特殊武器を持った狩人が居る可能性もあるのだ。
「報復者に名乗る資格などない」
「どうしても駄目なら青鬼さんって呼びます。で、応えたひとをあなたと判断します。ちゃんと応えてくださいね。ぼく人間の年齢とか性別? とかよく分からないし。みんな同じに見えるし」
「勝手にしろ。いや待て。人間の識別ができないのか。共同戦線を張ろうにも支障が」
「だから言ってるんです。けどもういいや。こうして対話したことで、ギリギリ、声や外見的特徴から他の人間とあなたを区別できます。誰が領主なのかを教えてくれたらそれでいいです」
「……おまえ、勘だけで生きてきたんだな」
「頭が良くないと言いたいんですか? そりゃあまだ分からないことだらけ、生まれたばかりですからね。でも腹ペコのわりにはよく考えているほうですよ、というか考えざるを得ない。誰かさんがこの一帯を厳重に警備してくれてるおかげでね!」
 飢えているわりに理性的。それは狩人も感じていた。吸血宝石の頑健屈強な生命力のおかげか、思考に回すエネルギーはまだまだ有るということだ。厄介な、と内心毒づいた。

〈6〉

 狩人の携帯する長縄を持って、ジルコンがいともたやすく二階まで跳躍した。影から影への移動で簡単に館内に潜入し、内側から窓を開けた。縄に捕まって狩人が外壁をよじ登る。
 館は四階建て、四階目は町を見渡せるような平たい屋上だ。領主は権威を示すため筆先のような塔を建てることが多いものだが、この館の主はそうでないらしい。少なくとも、平民や貧民に対して見せかけくらい取り繕う頭はあるようだ。
「領主が居るのはたいてい最上階の寝室と相場が決まっている」
「どうでしょうね? 流言飛語が錯綜する今、こういう賊の奇襲に備えて身を隠している可能性もありますよ。身代わりを立てるとか、それこそ最上階という読みの裏をかいて地下とか、隠し部屋くらい幾らでもありそうなものです」
「やたらと人間の心理を読む」
「ああ、知りたいんですよね。捕食対象とか敵だからとかじゃなくて。この姿を得てからは意識的に、人間たちの会話はよく聴くようにしていました。率直に、色んなことを理解したい。聞き齧るだけじゃなく、腑におちるまで」
 一月前、吸血された貴族一家は、変異する前のいわゆる“ただの石”だったジルコンを大切に扱い、毎日語りかけ、宝のように愛でていたと聞く。おそらく、その語りかけ、無辜の慈愛が、人の姿を得たジルコンの社交性や共感性に反映されていると考えるのが妥当だろう。
 虫唾の走る思いを煮えくり返る腹の底に押し込める。
「宝石のくせに……」
「言ってる場合じゃなさそうですよ」
 ショクダイホタルの薄明かりの向こうに、雑兵の群れが見えていた。

「勘付かれていたか」
 だが、敵方にはまるで殺気も統率もない。槍を持ったり持たなかったり、亡霊のように両手を伸ばして迫ってくる者たちは、威嚇でジェットの弓銃を向けられても、脚に向かってナイフを投擲されても、まったく怯まない。これではまるで。
「憲兵までも宝石……!?」
「違う、あなたも分かるでしょう。彼らは人間ですよ」
 意識を奪われて操られている。それは明白だった。言わずもがな特殊武器は対人用ではない。たとえ攻撃してくる人間に向けて引き金を引いたとしても安全装置がかかる設計だ。だからこそ護身用の携帯武器を数々忍ばせている。だが。
「こんな形で大量消費することになるとは」
 兵たちを片づけてゆくにつれ、次第に接近戦、体術戦闘にならざるを得なかった。一人の攻撃を受け流し突きとばす間に、狩人の背後から槍が迫る。ジルコンが瞬時に影を移動し、槍を両手で掴み押し止めると、鋼鉄の大腿部でまっぷたつにして援護する。
「槍持ちは引き受けます!」
 離れて小型の弓矢を撃ってくる後陣の攻撃も、ジルコンにとっては痛くも痒くもない。矢尻は宝石の身体に刺さることすらなく、頼りなく弾かれる。狩人はジルコンを盾にしながら、一人ずつ確実に倒してゆく。
 恐れ知らずにかかってくる戦闘兵を薙ぎ倒し、ついに最後のひとりとなった時、いただき、とばかりにジルコンが憲兵のがら空きの喉元へ腕を伸ばした。
 が、間隙に飛んできた弾を避けるため直前で前屈姿勢に切り替え、支柱の影に転がり逃れる。狩人の撃った煙弾がジルコンを追い支柱に炸裂。外套と襟巻きで目や口鼻を保護した狩人が、前後不覚になり咳き込む憲兵を気絶させて、廊下の奥へ足蹴った。
「共闘はする。だが人間の血は吸わせない」
 貴重な小麦粉爆弾を使わせるな、と小言を吐く狩人。くう、とジルコンが歯噛みする。換気のため狩人が開けた窓から見える空には、濛々と立ち上る煙の向こうで、もうじき満ちる黄金の月が笑っていた。
 剣呑な雰囲気のなか睨み合った時、不意に声が響いた。
「ああ、どなたか。どなたかこの声に応えて」

〈7〉

 悲痛な声。狩人とジルコンは瞬時に眴せ直感した。宝石だ。
 声は声であるようで、耳で聴き取る音ではなく頭のなかへ聞こえてくるようでもあった。
「誰でもいい。館に残るはこの私だけ。哀れな私にはもう何も縋るものがないのに」
 ジルコンが、返事をするなと合図を送ってくる。口を開きかけた狩人は、教えられるまでもない、と言わんばかりにふんと鼻を鳴らした。
「聞こえているんでしょう? どうして何も応えてくれないの?」
 一向に反応がないと、声はなお芝居がかってきた。分かりやすい挑発だ。回廊を慎重に進む間に小声でやりとりする。
「どうする。誘いに乗ってやるか」
「構っている暇はありません。早く目標の居場所を見つけないと」
 言うが早いか、ジルコンの眼前を遮るようにサーベルが突き出していた。隠し部屋があったらしく、乱闘で崩れかけた石壁を刺突して繰り出された一撃は、これまでの操り人形たちのそれとはまるで気迫が違った。稲妻のごとく、衝撃音が後から聞こえてくるようであった。重量感のある柄を握る拳が異様な存在感を放って見える。
「みいつけた。鬼ごっこはもう終わりにしましょう」
 笑いを含んだ声。自然とふたりは距離をとり、腰を引いてすぐにも飛び退ける体勢をとっていた。瓦礫を踏み分ける音とともにサーベル遣いが物陰から姿を見せる。その緑玉を見た瞬間、ジルコンは叫んでいた。
「青鬼さん!」
 ──宝石が、特殊武器を使っている!
 最悪のパターンだった。対吸血宝石用特殊武器の唯一にして最大の弱点は、吸血宝石が取り扱うと人間に対しても殺傷力を発揮することだ。元々、埋め込まれた宝石の魔力を導源にして攻撃力や性能を増幅させるのが特殊武器である。宝石同士が共鳴・響応するのは想像に難くない。宝石を葬る万能武器にして、彼らの手に渡れば人間を破滅させかねない兵器。まさに諸刃の剣だ。
 相手が神速の踏み込みで迫り、今度はふたりいっぺんに片付けようと斬技を振るう。咄嗟にジルコンは狩人の前に飛び出し、直前でサーベルの刀身を掴み取り押さえ込んだ。そのまま宝石の超人的腕力で薙ぎ払われ壁に叩きつけられる。引き抜かせまいと刀身を両手で全力固定、両脚を絡めて宝石の腕を封じ、狩人が走り抜ける隙をつくる。
「領主のところへ行ってください! 早く!」
 拮抗するジルコンを一瞥し、狩人は館の奥へと駆けていった。
 相手と密接する必要がなくなり、ジルコンは回廊に落ちる月影を転々と移り渡って距離をとる。陽の光と見紛うごとく冴え冴えとした月明かりだった。時が近づくほど飢えが昂奮をもたらし、一方は獰猛な、もう一方は恍惚とした笑みを浮かべる。

〈8〉

 二階の部屋はどこも無人だった。三階に駆け上がり、最奥の大扉に目をつけて走り寄ると、ブンと蝿が耳元を掠めて飛んだ。
(腐敗臭……!)
 狩人が勢いよく扉を蹴り開ける。カーペットには大量の血液が染み込み、すでに乾いた血痕が、白い石壁にまで飛び散っていた。その光景を見とめ、狩人は片手を腰に当てて嘆息する。
 暖炉がある。かつては暖かな団欒と談話のための空間であったことだろう。中央のテーブルに書き置きを見つけた。

『主よ。いまこの頭上にましますれば、どうか私の最期の言葉を、その広き懐に迎え入れ給え。
 申し上げます。我が一族に代々受け継がれてきた宝石が、ついに変身を遂げました。私達は歓喜しました。この血統の儚き運命に終わりを告げ、うまく交わることができれば、一族は栄え、不老長寿の身となれる、と。私も、妻も、いとおしい娘も。その次の世代も。
 これまで奉り上げ愛でてきた、ふたつの宝石。当然、我々に感謝し、血筋のため仕えてくれるだろうと思っていました。なに、男であれば娘と、女であれば私と結ばれればよいのです。宝石たちは恩義に報い、喜んで身を差し出すに違いないと、そうなるほかないと、信じていました。
 ですが、あろうことか──あろうことか、“亡き娘へと姿を変えた宝石”は、目の前に居た末娘を拐って行方をくらましたのです。息子も娘も次々斃れ、たった一人になってしまった私達の宝を。

 残るもう一体は「まあ皆さん、とにかくお話をいたしましょう」と言いました。こちらは打って変わって友好的で、従順でした。誰ともすぐに打ち解け、よく笑い、人間に危害を加える様子もありませんでした。娘は失いましたが、これで領家の血が途絶えることはないだろうと安堵しました。
 その時、宝石は、私達にこう告げたのです。
「私と会話した者はすべて私の支配下に置かれる」
 何もかも手遅れだったのです。もう既に配下の者どもも、全員が宝石の術中にありました。
 私は、いま、奴の操り人形と化した妻に首筋へ刃をつきつけられながら──ナイフとフォークより重いものを持ったことのない妻の細腕が、人間とは思えない力で私を取り押さえるのです──あえてひとりだけ正気で生かされ、この遺言書を書いています。宝石は、それを嗤って見ているのです。どうしてか、楽しそうに、嘆くように、嗤っているのです。その心境など想像したくもありません。
 このようなことがあるでしょうか。
 慚愧に耐えられず屈辱に咽ぶ私にも、ひとつ理解に及んだことがあります。吸血宝石は、我々人間の愛と願望が生み出した、我々を絶滅させる生命体です。
 何であれ、積年の悲願は無残に散りました。ここに、私は、私の責任をもって、ひとつの愛情と尊き血を終結させねばなりません。願わくば、奇跡が起こり、我が最愛の娘の生命がこの世のどこかにあらんことを。主よ。先祖よ。お許しください。』

〈9〉

 石廊に響くゆるやかな足音。近付いてきた気配に、狩人は振り返った。
「庇われたからといって恩に着ると思うなよ」
「生きていたのか、くらい言ってくれてもよくないです?」
 扉にもたれかかって腕を組むジルコンが苦笑した。憔悴した様子だが、満身創痍というわけでもなさそうだった。返事をせず、狩人は紙片をぞんざいにつまんで掲げた。
「会話をすると意識を乗っ取り肉体を操る能力、だそうだ。貴様、知っていたな?」
「ええ。“素性の知れぬ同胞”から助言を得たと言ったでしょう」
 なぜ教えなかった、と言外に問う狩人に、当然と言いたげなジルコンが肩を竦めて微笑んだ。
「だってフェアじゃないですよねえ。あなたはぼくの邪魔をしたのに?」
「……分かった。この件については不問だ。それで?」
「勿論、勝ったからここに居るんですよ。聴きたいですか、ぼくの大活躍」
「要らん。それより具体的に答えろ。逃したのか、殺したのか」
「あの廊下に転がってるのを後で確かめたら?」
「後でな」
「ええ、後で。あなたが生きていたら」
 まだやることはある。もう一体の宝石と末娘の行方を探さねばならない。彼女らが共謀犯という線も有り得なくはない。領主の遺書を思い返して、狩人は素朴な疑問を呈する。
「人間と宝石の混血など可能なのか」
「さあ、知りません。領主さまは固く信じていたようですけど」
 ともあれ、領主一族に関する謎はこれが最後だ。自分から共闘を持ちかけたからには最後まで付き合えと押し切られて、ジルコンもしぶしぶ探索を手伝う。館のあちこちを機敏に移動しつつ、また無駄口を叩くのだった。
「そういえば、狩人さんのお師匠さんって、何の師匠(せんせい)だったんです?」
「……宝石などに話すつもりは」
「だーからもー、言ったじゃないですか。知りたいんですって、どんなことでも。相手が誰でも。欲しいのは話し相手。生き血だけじゃない。話して、知ることによってぼくの中に生じる感情を求めてもいるんです。対話は大切にしないと。使える時間は有限なのですから」
 相手を知ってこそ倒すことができる。ジルコンにそういう魂胆がないわけではなく、狩人もまたそれに気づいていないわけではなかった。しばしの逡巡の末、狩人はポツリと呟いた。
「……宝石鑑定士だった」
「え? ってことは、あなたはそのお弟子さん」
「宝石を大切に扱え、と毎日のように言われた。実際に任せてもらうことは遂になかったが。おまえたちが突然変異する以前の世界では、それが誇らしい職業だった。魔鉱石の数々に魅入られ、どんな持ち主が相応しいかを夜な夜な語り合った。世界も、師匠も、宝石を愛していた」
 師の面影が、狩人の記憶の水底からよみがえる。否、師はいつも心の水鏡に映って、その存在を一日たりとも忘れたことはない。
「愛したものに殺されたのだ、師匠は」
 棚に立て置かれた品々。そのなかに、額縁に優美な彫刻を施された手鏡がある。手を伸ばしても届かないところにいってしまったひと。鏡面に狩人の指先が触れた。
「……ぼくが言うと、ただ腹立たしいだけでしょうけど、……それは、つらいこと、でしたよね」
 ジルコンは、精一杯の想像力を巡らせて言葉を選んだ。それ以上の言葉をジルコンは知らなかったし、狩人もまた応えようがなかった。捜索を終えるまで、ふたりは無言だった。

〈10〉

 館の下から上までくまなく探しても、結局、末娘ともう一体の宝石は見つからなかった。屋上で佇むふたりは、これから決闘に臨むとは思えないほど気楽に並び立つようになっていた。ジルコンがやれやれというように頭の後ろで手を組む。
 吹き渡るは秋の薫風。いまは豊穣の時。生命を繋ぎ、実らせ、蓄え、結び、彩る短い季節。
「あんがい、彼女たちも仲良くなってふたりで逃げたんだったりして」
 ジルコンの態度は余裕綽々というよりも、今すぐにでも始めなければならないこれからのことと、今夜繰り広げた出来事の数々とを思い、ほんの少しばかりの躊躇と未練に浸るようだった。
 狩人も目を伏せていた。けれど、そのままで良しとはしない。このままでは終われない。
「“も”とはなんだ。おまえと仲良しこよしになったつもりはない。領主亡き今、やることはひとつだ。忘れたのか」
「まさか。ぼくだって同じだ。もはや我慢も限度だ。さっさとかかってこいですよ」

 同盟解消。決闘開始。
 影を縫い、隙を狙い、接近と離脱を繰り返しながら、互いの体力を削る。遮蔽物のない屋上ではどちらにとっても有利とはいえなかった。
 不意に、ジルコンが直立したまま、ふらりと真横へと倒れる。ニヤリと笑みを浮かべて。“自らの影”へと飛び込み、狩人の影から現れた。特殊武器を奪うため、狩人の手元を狂わそうとする。
「……っこの!」
 双方揉み合いになり、絡み合いながらバランスを崩し、屋上から落ちる。狩人がジェットを最大出力で発射。反動で飛距離を稼ぎ、ジルコンを緩衝材にして、庭の噴水へと落下した。
 かはっ、とジルコンの苦鳴。しかしすぐに飢餓者は生き血を求めて腕を伸ばしてくる。
 冷たい水はまだ凍るほどではないにせよ、狩人の衣類と体感に染み込んで動作を鈍らせた。舌打ちをしてトリガーを引く。相手は自然と距離をとらざるを得ない。狩人も近くに影のない庭の中央へと転がって態勢を立て直す。姿勢をごく低く保てば、ほとんど自身の影は生まれない。どうやら、ジルコン自身の身体より小さな影には移ることができないようだ。
「そこに気付かれちゃったか……」
「おまえの言うとおりだ。確かに、相手を知ることは重要だな」
 ジルコンはもう笑わない。
「ぼくには時間が、ないっ!」
 焦りで精彩を欠いた直情的な攻撃は容易く避けられる。狩人は、もはや満月の刻まで時間を稼げばいいだけだった。
 頂点に達する飢餓感。ジルコンの輝きに満ちていた眼球はいまや正気を失い、頬は痩け衰えてみえた。狂気を感じ取り、狩人は地面を大きく蹴り上げ飛び退く。

 時が来た。
 完全なる円環を迎えた月がいっそうの輝きを放つ。
 突然、ジルコンががくんと両膝をついた。次第に、凍ついてゆくような、宝石特有の条痕らしきものが表皮に現れ始めた。茫然と自らの身体を見下ろすジルコン。
「死にたくない」
 勝敗は決した。狩人が近付くと、引き攣った声なき悲鳴で怯え、後退する。この無防備な身体に、憎き吸血宝石に、一発撃ち込むだけでことは済むのだ。一歩、また一歩、近づく。トリガーにはいつでも指をかけられる。それなのに。
(ばかな奴だ。お喋りにかけた時間が命取りになって)
 本当に追い詰められた時。飢えた生命体は、死を覚悟してでもこちらに飛びかかってくるものだ。そうとしか考えられなかった。だが、ジルコンは逃れようとしている。もはや正常な思考が働いているとは思えない。闘争して然るべき状況で、逃走を選んだのだ。
 狩人は奇妙な感覚のなかにいた。
(私は、いま何をしようとしている)
 この瞬間、なんのために引き金を引くというのだ。
 死にたくない、死にたくない、と呟きながらジルコンは這いずってゆく。狩人が一歩踏み出すたびに、怯えたように肩を揺らし、少しでも離れようとする。その身体はぎしぎしと軋み、動くことさえままならないようだった。
 狩人はもう追わなかった。
 月光の下、ジルコンはものいわぬ石に還った。

〈11〉

 明け方。朝陽が眩しく手のひらの上の“ジルコン”を照らす。なんというクラリティ。屈折率の高さ。複屈折(ダブル・ダブル)による至上のファイア。無色透明のジルコンは、宝石鑑定士の間でダイヤモンドの双子と呼ばれるだけのことはある。
 敷地のそこかしこに礫が散乱し、館はところどころ倒壊していた。旅人は瓦礫に当たって粉砕された噴水の縁に腰を下ろし、そこから動けずにいた。普段肌身離さぬジェットの弓銃も後方へ置き去ったまま、ただ、“石”を見つめ続けていた。いつのまにか髪留めが外れ、伸ばしっぱなしの青い前髪が旅人の顔に影を落としている。

 ゆっくりとやってきた一頭の馬が、陽射しを遮った。重たい頭を持ち上げる。逆光だが、朝の明るみのなかで馬に跨る彼女らの顔が見えないわけではなかった。
 小柄な娘と、騎士のような妙齢の女の姿。ふたりとも、よく似た凛々しく気高い目をしている。
「……何者だ、あなたがたは」
 言いながら気付いていた。娘の胸元のブローチが、領家の紋章を象っていることに。
「見届けなくてはなりませんでしたから。父と母と、たくさんの従事人たちを弔うために。あなたがたの闘いも、遠くから見ていました」
 娘が、自身を支えるようにして手綱を握る女を顧みた。
「このアクアマリンは、亡き姉の姿を模しています」
 領主は代々短命な一族。彼女の姉もまた若くして亡くなった。アクアマリンは、ある人間が最も慕う者の姿へ変身する能力を持つという。
「……成程。盗まれた領主の持ち馬、亡き娘へと姿を変えた宝石……ジルコンに入れ知恵したのもあなたか。どおりで、館の連中が待ち構えていたわけだ」
 アクアマリンが無言で首肯した。ジルコンと違って余計なことは喋らない性格らしい。
「なぜジルコンを差し向けようと?」
 娘はしばらく、遠い目で館を見上げていた。そうして、もう止めたかったのです、と呟いた。
「こちらからもすこしお尋ねを。あなたは、なぜその宝石を撃ち砕かないのです?」
「……私は、復讐者だ。報復者だ。吸血宝石に師の生命を奪われたことは忘れない。だが、飢えながらも逃れようと這いずるジルコンが師の仇だとは、どうしても思えなかったのだ」

 騎馬が近づいてきた。互いに害意がないのは手に取るようにわかった。ひそやかに娘は口を開く。
「私達が目指すのは、人間と吸血宝石の共存です」
「……ばかな。では、あなたはどうやって」
 アクアマリンには、娘が自らの月役を与えているという。共存は決して机上の空論ではない、と彼女は告げた。
「時間をかけて人々の理解を得ること、吸血宝石たちへ呼びかけることが前提、ではありますが、提供者を募り採血したそれを保存する技術、あるいは魔法で、吸血宝石用の新鮮なエネルギーを大規模に確保する……未来へ託す長期的な計画です。まだ荒削りではあるものの、理解者や協力者はこの時代にもひそかに、確かに存在します」
「公言したら即処刑か、私刑に遭うだろうな」
「歯痒いですがその通りです。私も、なりゆき上、いまは吸血宝石に拐われた身として振る舞わねばなりません。そうでなくては人類への反逆者、危険分子として殺されるでしょうから」

〈12〉

 それでも、娘にはこれからやるべきことがあるという。誉れ高き彼女らの名を記憶に刻むと、今度は逆に尋ねられた。
「あなたのお名前もどうか教えてくださいませんか」
「とても名乗れる者ではない。ただの……」
 狩人として生きてきた。これからも狩人として生きてゆくのか、心を定められず、旅人はしばし言い淀んだ。
「ただの人間だ」
 返答を聴くと、彼女らは顔を見合わせ、かすかに目を細めた。そして娘は、名残惜しそうに朝の町並みを眺める。
「私達はじきにこの地を離れねばなりません。故郷の風景を目にすることは二度とないでしょう……このような時のために、酒場〈アイランド〉のバーテンとして、信頼のおける部下に働いてもらっています。彼に、国王への至急の報せと、民の安全保障に関する嘆願書を届けてくださいませんか。アクアマリンに、父の筆致を完全に真似て書いてもらいました。人が集まる前に、父の血印と公文書証の印璽を手に入れてきます」
 気も失せんばかりに青褪めた顔色で館を仰ぐ娘を見て、旅人はようやく立ち上がることができ、それらは自分が持ってくる、と申し出た。父母らの変わり果てた姿はとても見せられない、と思った。

 ジルコンと交わした会話のとおり、サーベル遣いの生死を確かめるべく、兵たちが倒れる廊下の先へ進む。そこで、自らの胸に剣を突き立て果てている宝石を見た。エメラルドの亡骸は嬉しげに泣き、悲しげに笑っていた。
 “鬼ごっこはもう終わりにしましょう”──。
 あの言葉が脳裏をかすめた。そういえば兵たちも領主一族も、誰ひとり吸血されていない。この宝石は、もしやはじめから、生まれたことを罪と悟り、生んだ者を殺めたかっただけなのだろうか。生存本能と闘いながら、誰かに殺してほしかったのか。そんな吸血宝石が存在するのだろうか。するかもしれない、と現在の旅人には思えた。ジルコンという稀有な存在に出逢ったからだ。

 再び庭へ戻る。彼女らは目立たぬよう外壁の影に隠れていた。必要なものが揃うと、領主の血が滲んだ遺書を、娘は砕け散りそうに沈痛な面持ちで受け取った。しかしすぐに眦を決し、果敢な開拓者の表情を取り戻す。
「ありがとうございます……。酒場での合言葉は、“涙のように熱い酒”です」
「分かった。確かに届ける」
 国王への書類をまとめて荷物に仕舞うと、旅人は手のひらに乗せたジルコンを差し出した。
「代わりに、こいつを預けたい」
「……私達に?」
「あなたがたのほうが、“大切に扱える”はずだ。すまないが面倒をみてやってほしい。時代の荒波を乗り越えて、目覚めるまで無事でいられるかは運任せだがな」
「ジルコンは、そう簡単に風化する宝石ではありません。たとえ長い年月のうちに砂粒ほどに砕かれようと、細かな結晶としてその性質を有します」
「ああ、知っている……それでもし再生したとしても、そいつはきっと“あのジルコン”ではないだろう」
 かもしれませんね、と、ジルコンをハンカチーフの上へ受け取りながら娘は切なげに微笑した。
「これから、あなたはどうなさるのですか」
 旅人は迷いながら言葉を探す。迷いながら、心の向かう方角を見る。
「まだ、わからない。ただひとつ、奴に伝えてほしい──きっとそれはあなたがたの意志を受け継ぐ後世の者の役目だろう──名もなき者より、ジルコンへ。永き時を経て、再び人間の似姿を得たら……」
 町が目覚め始め、どこかから人の声が聞こえた。
 時間だわ。この場で初めて声を発して、アクアマリンが馬を駆り始める。
「なんです?」
 立ち去る直前、最後に娘が振り返った。
 とても久しぶりに、ぎこちない笑みのような表情を浮かべて、旅人ははっきりと告げた。
「私の墓に酒でも持ってこい。話し相手になってやる、と」

〈了〉

 この物語の後日譚はこちら。




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