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仕事が長続きする魔法の言葉「せっかくの何々ですから」異動された先輩の口癖は今も胸に~本日の書【74】折角(せっかく)~


本日の書【74】折角(せっかく)写真像より(投げ銭はおいくらでも大歓迎です。)


「せっかくの何々ですから」

最近「せっかく」という言葉を使っていますか?
もし使っていたらそれはどんな時どんな場面でしたか?

せっかくという言葉をよく使ってる人を思い出すのです。

およそ2年と半年も前に交わした言葉のやりとり。

実際に仕事中にお世話になった先輩上司の口癖でした。

この先輩上司は気配りの達人と呼ばれるほどの評判でした。
お店で飲み会などがある時でもその店員さんに実に丁寧な気配り言葉遣いをされていてその度に素敵な人だなぁと感じたものです。

せっかくのお写真ですから
せっかくのご来店をいただいたんですから
せっかくの同じ会社に入社してくださったんだから

私のお世話になった先輩上司の口癖

おそらく貴重なご縁ですとか価値の高いモノや
機会という文脈で「せっかく」を口癖としていたように思います。

せっかく何々ですからという後に続くそれを大事にしますというのが先輩のお気持ちだったと今になって振り返るのです。

気持ちを大事にするということとお店の売上や粗利ももちろんのこと大事なんですけれど。今日はそこはちょっと脇においておきましょう。

そうたいさん、これも(せっかくの)仕事(のうちですよ)

先輩上司の口癖のその2は「これも仕事」

直接の接客以外にもできる仕事があります

レジ応対できるほど器用じゃないけれど。

裏方だから直接お店の利益には結びつかないから地味でつまらない仕事だとかあまり意味の大きくない仕事だと私はそのような仕事に対する認識はそんな程度でいたんです。

いえいえ。そんなことありません。仕事は仕事。これもあれも仕事です。

時間拘束されている時間に仕事をしてなんぼの世界

ちなみに私は非課税の単身者世帯主です。ばか高いお給料は稼げません。

それでも最低賃金以上の仕事をしています。
いくら障害者雇用だからといっても自らの稼ぐ力を卑下したくもありません。

障害者雇用だから誰だってできる仕事でよいとか、まったく私語を謹んで黙々と言われたことを作業を続けてさばいたりこなすだけよいとか全くそうは思えません。

作業のない仕事なんてない。だけども?

たまには同僚どうし仲良く軽口を叩いたっていいんだと思います。

ありがたいことに今の職場ではそうストレスは大きくありません。

むしろ言われたことや求められる水準に及ぶ結果を出すことが作業という側面であり、その作業に対してどんな主体性を持って取り組めたかという勤務態度はその裏面です。

仕事は作業と勤務態度の両面と私はとらえてもいいと思っています。
繰り返しますが仕事には表の仕事と裏の仕事その両面性があるというように定義することをオススメしたいです。

働くの語源は周囲を楽にする傍を楽にすること。だからこそ私にとってのどんな些細な裏方のお仕事であれ仕事の本質という意味では変わりのないことです。

私は今の仕事に満足するつもりはありません。

言われたことを言われたように仕事をするよりも裏方としてできることはないか探します。

たくさんの仕事ができるのは自らの生産性を上げることです。

先輩から私からの反応「こころをこめて何々を」

仕事はつくるものです。どんなにささやかな仕事であっても「こころをこめる」ことはできます。

こころをこめて仕事をすることは自分の仕事に対する姿勢を評価されることにもつながってきます。仕事をこなすさばくという次元に収まりません。

雑に済ませず丁寧に後の仕事をする人や今の作業の後に続く仕事をどう楽にしたり助けたりするのが仕事です。

仕事をこころをこめることでたくさん数を重ねるうちに今やってる仕事の改善の道筋も見えてきます。

というか改善できない仕事ってありますか?

常に仕事って変化していきます。

同じ仕事は二度と繰り返せないから

仕事も書道も一発勝負という側面

仕事でもいつも同じ中身で似たような作業ばかりしてるというと飽きてしまったり苦痛でつらい状態という話はよくあるものです。

ちょっと似たような作業でも全く同じということはありえませんよね?

(私の好きな書道でいうと二度と同じ字にはならないのと一緒です。
私なりのキレイな字を書けることはあっても同じ字が二度再現できるなんてとてもじゃないですが書けません。)

掃除にしろいわゆる単純作業にせよ数をこなしてるうちに今までのやり方よりももっと優れたやり方を志向するような仕事でなくて何が楽しいのでしょうか?

本当に恵まれた職場にいて幸せなのが「この作業をやっておけ」というような雑な仕事の頼まれ方もされません。

自分を成長させるために仕事をするしお金ももらう

およそ6年前の今を振り返ってみると仕事に対する理解や姿勢が全く変わっていることにむしろ驚きます。

お店(会社)に行きたくないなとほぼ毎週のように思っていました。

採用された当時の店長から「限られた仕事しかしていない」と何度も言われていましたし、しっかりと回復しきれていなかったせいか記憶力も仕事の覚えも実に鈍いものだったんです。

いつも周囲の気分が怖かった。周囲からの一定の要求を満たせてるかばかりに囚われていたのです。

今は少し違います。顔をあわせているもう6年目とでもなり同じ職場の先輩からは同僚として仲間意識が生まれているように働きやすいです。

会社の人事部など会社の上部の組織にって障害者雇用でも働きやすいように配慮が続けられた結果だとも思います。

先輩上司からは不器用な私にも向いた仕事をたくさんの作業ができるように様々な仕事を与えてくださった方でした。

私が作業終了の報告をすると丁寧な感謝とニコニコした笑顔でねぎらってくださいました。そんな職場生活でどれほど仕事についてのヒントをもらえたかわかりません。

私が働いてきた職場のうち私が障害者であることに一番親身になって悩みを聞いてもらったり励ましを受けたりしたのです。

今に至るも私の職場は販売店です。障害者雇用で一般就労としてとあるカメラ屋さんで仕事をやらせてもらい主に店頭の清掃やバックヤードの整理や駐車場の草取りやのぼりの張り直しなど直接の接客以外で裏方を担当しています。

辞書によれば「せっかく」とは

Weblio辞書によるとせっかくという言葉は実に多くの意味が込められてるということがわかります。

いろいろの困難を排して事をするさま。無理をして。苦労して。わざわざ。「—来てくれたんだから、ゆっくりしていきなさい」「—のみやげを汽車の中に置き忘れた」
(「折角の」の形で、体言に続けて)滅多に得られない、恵まれた状況を大切に思う気持ちを表す。「—の休日だから、どこにも出かけたくない」「—の好機を逃がしてしまった」
全力を傾けて事をするさま。つとめて。せいぜい。手紙文などで用いる。「先生のお言葉を忘れずに、—勉学に励む覚悟です」

Weblio辞書よりせっかくという言葉の意味より引用

先輩のせっかくの意味合いは上から1番目2番目であり3番目の意味も意外と関係してるような感じもします。

仕事を全力で取り組むのも自由。適当にやり過ごすのもまた自由です。

お店でお客様と接するのは口頭だけとは限りません。

ちなみに手を抜いたであれこころをこめた仕事であれ仕事をした結果は嘘をつかないです。誰かが見ています。

溜まったゆくホコリ。店頭の棚板や吊り下げられたパッケージには静かにも溜まっていきます。誰かが掃除する作業せずに片付くなんてことはありえません。

自動洗浄などでも落としきれないトイレの汚れは誰かが洗ってくれたから清潔に保たれています。

風にはためくのぼり看板も結構な頻度で痛みます。取り替えるのも実に面倒ですが美観を保つのにもひと手間かかっています。

何度でも作業してる時に先輩上司の言葉が脳内でよみがえります。

「そうたいさん、これも仕事だから」
「あ、そうたいさん、ありがとうございます!」

記憶に残る先輩上司の言葉を脳内再生

もう遠くへ赴任した先輩社員さんにはめったなことではお会いできません。

もしどこかで偶然会ってももう仕事のことなんかはどうでもよくお互いの趣味のことだけでも話せば十分です。

「せっかくのお時間ですから話題は仕事抜きでも」などと生意気にも先輩上司の口癖を真似て言ってみたいですね。

先輩上司は店長となって遠くでの店舗でやはり赴任中です。こちらに戻ってきたらまた会いたいなぁ。

さて、お店において障害者雇用は半年ごとの契約更新です。
今現在、お店ととの契約更新が継続されました。継続更新の際の書面は全て大切に保管しておきます。

今月1日から今年の9月の月末までは続けられます。今年の夏をもってお店での継続はいよいよ6年目です。

ここまで読んでくださりありがとうございます!
皆様にとってのささやかな「せっかく」を発見する何かの触媒みたいな文章になっていたら幸いです。

そしてまたの機会にもお会いできますように。

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仕事のコツ

with 日本経済新聞

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