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1人だとしても、『独り』じゃない。そしてしないから。

3.26。

今日はパープルデーなんだ。

パープルデーとはてんかん啓発の日。
世界中で行われている「てんかん」の
啓発キャンペーン。
「てんかん」という病気をもつ人は、
100人に1人。
珍しい病気ではないが、
なかなか人に打ち明けられない悩みをもっている人が多くいる。

「てんかんをもつ人を、
 ひとりぼっちにしない」


これを掲げてるんだ。


あなたの周りには、
“今は”そんな人は居ないかもしれない。
でもね。
それもそう思ってるだけかもしれない。
その人が打ち明けてない。
隠してるだけかもしれない。

あなたの見えない所で、

『独り』で闘ってるのかもしれない。


なんで『独り』で闘うの?
頼ればいいじゃん?



口では何とでも言える。

少し見方を変えようか。
確かに僕たちが言えば、頭には情報を入れたかもしれない。

でも、そうしないと理解できないの?
知ろうとすらしないの?


なんで、自分が動くって選択肢はないの?
相手から動くのが当たり前なの?
なんで自分を軸に周りを動かす事だけ考えるの?


じゃあ、このパープルデー自体を
何人が自ら調べて見つけた?
何人が、当事者じゃない人間が足を運んだ?
理解しようと動いた?

おそらく少ないだろう。

当事者でないと向き合おうとしない。
その割合が高い。
それが100人に1人の割合の病気でも。
それはなぜか?

簡単さ。


あなたが当事者じゃないから。
他人事だから。


当事者はもちろん動くし、知ってる。
自分の事だから。

でも当時者でないと身に起こってないし、
関係ないから、
動く必要が、意味がないって発想になる。


これが、損得だけで動く人だね。
これで動きすぎると無責任な事もしがち。

まぁ、そのうち分かるよ笑

そしていざ、当事者になればその人は言う。

「どうして分かってくれないの?」
「理解して!」
「辛い!」



“なんで『独り』で闘うの?
 頼ればいいじゃん?”



外野でこんな事言っててもコロッと変わる。


まぁ、仕方がないことかも知れない。
身に起こって初めて、
当時者になって初めて気づくこともある。

そして“てんかん”は説明が難しい。
なんせ十人十色だから。

だから、理解が難しい。
単純じゃないから。
当事者でも思う。

だから『独り』で抱えてしまうのかもしれない。


まずは知ろうとすることが大切かもね。
入り口は『他人事』でいいから。

『自分事』にまでしなくてもいい。

『知り合い事』くらいでいいからさ。


僕もその100人の1人。
世界規模で見ると莫大な数になる。
言えばゴロゴロいる。
みんなもなる可能性だってある。

そんな数のくせして、
一筋縄な病気でもない。


風邪って病気知ってるよね?笑
それを例にしてみようか。



風邪ってさ、みんな咳するよね?
みんな熱出るよね?
マスクさえすれば予防できるよね?
そして薬飲めば完治ってほぼするよね?
継続的に何年も薬飲まなくていいよね?
一生四六時中風邪の症状が付き纏うって、
まぁ、考えにくい。


僕達の病気ってそんなに甘くない。


発作も様々。
発作の要因も様々。
そして“てんかん”でも病名も様々。
幼児から高齢者まで。
薬も、予防も様々。

人によって違う、変わる。

だから基本的なものはあっても、

「これさえしとけばみんな何とかなるよね?」

そんなマニュアルなんて僕らにはない。



それが現実。



その現実を受け入れ、僕達は今生きてる。





僕はよく言ってる。



『当たり前ってないから』





これも突きつけられて初めて気づく。

『当たり前を当たり前』

そう思ってる人はそのようにしか動けない。
自分軸で生きるし、自分が良ければいい。

「あなたならこうするよね?」
「あなたってこんな人だよね?」

なぜ、表面でしか見ないの?

あなたがそう思うなら、
その人がそう立ち回る理由を考えてあげてよ。
そうせざるを得ない理由は無視かい?


それも優しさじゃないの?



人の言動に『当たり前』ってない。

この人だからこうだよね?
あの人だから〜もない。

背景が必ずある。


辛い事も、
嬉しいことも、
失敗も、
成功も、

それがあるからその人が出来上がってる。


「この人はこうするよね?」

舐めるな。ふざけるな。馬鹿にするな。


みんなそれぞれ乗り越え生きてるんだ。


そこを蔑ろにするな。

それをパープルデーの掲げる所で言うなら、

「てんかんをもつ人を、
 ひとりぼっちにしない」

ここじゃないのか?


なぜ、ひとりぼっちが出てくるのか?
ひとりぼっちになる原因は?

1つの理由は少なくとも、

『当たり前』への理解。


ここにあると思うよ。




僕は、てんかんであっても。
そうでなくても。

“独り”で抱える人を増やしたくない。

悩みって誰にでもある。
僕もある。
そういう時って誰とも会いたくないっ!
って人もいる。

でも“独り”になっちゃいけないと思う。

「“1人”になりたくても、“独り”にはなるな。」

僕はそう思って生きてる。


見方は皆んな違っても、
捉え方も違っても、
結局見てるものは一緒で、
変わりなかったりする。




そこで、僕が光過敏性てんかんになって
人と見え方が違う事もわかって
できない事も増えて
当たり前の素晴らしさを突きつけられた。

そんな時に出会った。

そんな歌の歌詞を載せるね。

これを読んであなたは何を感じるだろう?

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

星を見るのが好きだ
夜空を見て 考えるのが
何より楽しい
百年前の人
千年前の人
一万年前の人
百万年前の人
いろんな人が見た星と
ぼくらが今見る星と
ほとんど変わりがない
それがうれしい

君といるのが好きだ
星について 考えるのが
何より楽しい
星も笑ったあの時
悲しくって星がにじんだ
あの日 あの頃
ぼくらが昔見た星と
ぼくらが今見る星と
なんにも変わりがない
それがうれしい

いろんな人が見た星と
ぼくらが今見る星と
ほとんど変わりがない
それがうれしい

ぼくらが昔見た星と
ぼくらが今見る星と
なんにも変わりがない
それがうれしい

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

どうだろう?

みんな色々な見方がある。
そして悩みもある。

そして物理的に人と同じ事なんかできない事もある。
それに嘆き、悔やむ事もある。


僕の場合、
光過敏でみんなより見るものに制限もある。
そして、見え方もサングラスを外せば違う。

けどこの歌詞に当てはめるなら、

結局、

僕が見る星も。

あなたが見る星も。

ほとんど変わらない。


どの位置から、

どの角度から、

いつ見ても、

星なのは変わりない。



そう思ったら僕は楽だった。



光過敏で、てんかんで、
正直あの時は僕も“独り”になろうとしてた。

でも、

結局違っても、違う所あっても、
ただ違うだけ。

見てる所は同じじゃんって。


ひとりぼっちじゃないって。


僕はこの歌に出会ってそう解釈したし、
救われた。

そして、たとえ1人になりたい人が居ても。
“独り”にはさせないとも思った。
思えば、優しい人や助けてくれた人はそうだった。
“独り”にさせる事なくみんな最後まで寄り添ってくれた。

僕もそうありたい。



歌って解釈は自由。

だからこれを読んでくれてるあなたは、
あなたなりの解釈でいいと思う。



僕はそう感じたって話。

この話はこの日にしたいって、
前々から思ってたんだ笑


パープルデーはてんかん啓発だけども、

ひとりぼっちにしない

これは誰にでも言えるから。



僕のゴールにはここもある。

僕の成し遂げる事で、
コイツでもできるんだ。
こんなやつでもやれるんだ、笑えるんだ。

そう思って自信やモチベーション。
そして夢へ走る原動力になれば僕は嬉しい。
それも僕だからできる寄り添い方。
光過敏性てんかんの僕だから思いつく、
only oneのやり方。



それが僕の掲げる

“光過敏性てんかん”でも
できるという事を証明する!!


僕は頑張る人も必ず支える。

必ず笑わせるから。


こんな僕でも笑えるんだ。


だから君が笑えないはずはないよ?



今は辛くても、




必ず最後は笑わせるから。






だから、着いてこい!笑



その為に僕は今動いてる。叶えようとしてる。

パープルデーで学び、
得た事。
そして、これからも学び続ける。



僕のゴールを成し遂げる為にも、


“独り”ぼっちにはさせないから。







じゃ、またね。



また書きます。

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