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たったひとつだけの理由の価値

一般的に何かを主張するときは複数の理由があった方が良いとされる。

「プランAが良いと思います。なぜなら、①XX、②YY、③ZZの観点でメリットがあるからです。」

こういった会話は今もビジネスの世界で飛び交っていることだろう。

日常生活でも、例えば、高い物を買うときに「デザインは~、機能性は~」と複数の理由で勧められた商品にどこか安心感を感じることがあるはずだ。

早い話、理由が複数あった方が諦めがつくのだと思う。
たとえのちに”間違い”が発生したとしても、あのときはXXの理由でもYYの理由でも納得したのだからしょうがない、、と。

また、綺麗に整理されて導かれた理由には一定の美しさもある。

僕は普段コンサル業界にいるのだが、一流コンサルタントが描く”理由”には唸るような納得感を纏うものも多い。

でも1つ問いたい。
複数の理由を聞いて、心が波打つ感覚になったことはあるだろうか。

たしかに2つ、3つと理由の柱が立つことは安心感の醸成に繋がるかもしれない。でも僕は思う。

心の底から魅力を感じたものをプレゼンするときや重大な意思決定をするときには、最強の”ひとつ”の理由だけで十分なんだと。

だって、あなたにとって一番大切な人を思い浮かべてみてほしい。
そして、その人がなぜ思い浮かんだのかを教えてほしい。

ほらね?
やっぱり○○だからかなー、、という”ひとつ”が出てきたのでは、、?

人なんて自分の想いや好きを説明するには元々ひとつの理由で十分なのだ。
心の奥底から湧き上がってくるような感情は、いつだって一本足の理由が支えている。

だから、本当は2つも3つも理由を用意する必要なんてない。

でも自分を信じ抜くとき、誰かに気持ちを伝えるときに、その強力なひとつの理由を届けるには、表現力がないといけない。
その理由がいかに価値あるもので、確固たるものなのかを示すために。

自分にとっての絶対的な理由が皆にとってもそうとは限らない。

こうしてnoteを書き続け、自分の絶対に譲れない想いを支える”理由”を人に届ける手段として、僕は表現力を磨いていきたい。

水無月 双


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