冷静沈着の夕暮時。
あの時の私は、あなたにどう映っていましたか?
とある日の午後五時過ぎの夕暮れ時、あなたはいきなり私に言った。
「いい加減にしろ‼︎ お前はなんも俺のことをわかっていない‼︎」
怒鳴ってきた彼の手元には包丁が、そして包丁の刃先は私に向けられていた。
今にでも刺してきそうな恐ろしい形相と、外まで聞こえるくらいの怒鳴り声をあげる彼を目の前に私は何も感じなかった。
恐怖や不安なんてものもない、心拍数も上がるわけじゃない、至って冷静だった。「何故この人はこんなに怒っているんだろう?」と疑問に感じ、数分前の自分の行動を思い出したりしたが皆目見当もつかない。
もう仕様がないから直接彼に聞くと、「お前が優柔不断で一向に決めないしだらだらしているからだ。俺がどんなに気を遣っているかわかっていない」と言われた。
言われてみればそうだったのかもしれない。
ことが起きる三十分前に、私は仕事を終えて帰ってきた。
「おかえり」と言って迎えてくれた彼は「今日のご飯どうする?」と聞いてきたので、私は「そういえば外食行きたいって言ってたよね?外食にしようか」と言った。
彼は少し嬉しそうに「じゃあ、どこで食べる?〇〇〇にする?〇〇〇は?」と聞いてきたので私は「〇〇〇は最近行ったばかりじゃない?〇〇〇は……」と考えていて、ぼーっとしていた。
元から外で飯を食べる酒を飲むが好きな彼は、私が最近仕事が忙しく疲れているのに気を遣い「外食」を控えていたらしい。それゆえに今回の外食は楽しみだったのだが、私の言動が粗末に感じて気に食わなかったみたいだ。
「ごめんね。ごめんなさい。ひどい態度だったね、優柔不断でごめんなさい。」
私は深く頭を下げて謝罪した。
でも彼の怒りは収まらなかった。
「本当になにもわかっていない!もう俺に愛情がないんだろう?じゃあ、もう死んでやる」
私に向けられていた刃先は彼の喉元に向けられた。
「一旦落ち着こう。話し合おう。だから包丁を下ろして。気づいてあげられなくてごめんね。仕事帰りで疲れてぼーっとしていただけだったの。」
「死んでやる!止めるな!」
「落ち着いて。お願いだから包丁を下ろして。」
「死んでやる!死んでやる!」
このやりとりが三十分くらい続いた後だった。
何かの糸が切れた私は「止める言葉」を発するのをやめて、沈黙してしまった。沈黙の中、私の思考は賑やかだった。
あぁ、また始まった。この前も包丁を片手に騒いでたんだ、この人は。
前は本当に殺されそうになったんだっけ。3時間ずっとずっと怒鳴られた。
そのことがあってからずっとずっと機嫌を伺ってニコニコしてたじゃない。
なんでたくさん働いているか知ってる?あなたの借金を返済するために昼、夜働いているのわかっているの?たくさん働いて、空いた時間はあなたの機嫌をとって、私は何をやっているんだろうか。
このまま私が刺される可能性もあるかな?その時は相手も道連れにできるかな?痛いだろうな。刺すならすぐ死ねるように刺してほしい。
血が飛び散るよね。部屋が汚れるから居間で死ぬなら風呂場でやってくれないかな。血は拭き取りづらいってどっかで読んだし。
救急車呼ぶ時何番だっけ?まず警察か?
あ、でも私、犯人になる?ちゃんと話したら警察の人わかってくれる?
取調べ受ける?親にも連絡される?嫌だな。
引っ越し先どこにしようかな。
本当めんどくさい。もうどうでもいい。やるならさっさとやってくれ。もう疲れた。やっと解放されるんだ。はやくみせて。
見ててあげるから。
「何か言えよ!」
彼の言葉で我に返った。どれくらいの沈黙が続いていたのか覚えていない。
少し間をとった後、私は「どうすればいい?謝ってもダメだし、包丁も下ろしてくれない。あなたは私にどうしてほしいの?」と聞いた。
彼は何も言わないで、そっと包丁を私に渡してくれた。
その後のことは覚えていないけれど、その日は夕日が差し込み部屋一面が赤く染まっていたことだけは覚えている。
あの時の私は、あなたにどう映っていましたか?
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