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11才の少年がやっと泣くことができた理由 〜 SDGs・探究への招待 #136 ~

 以下の内容は、勤務している高校で全生徒向けに実際に配信した記事です。高校名や直接特定につながりそうな部分等は伏せたりぼかしたり削除させてもらいました。また、1回で一気に配信したのですが、noteでは500字~1000字程度に分けて掲載します。校内の生徒向けの文章です。内容・表現等、偏っていたり適切でないところもあると思いますが、ご容赦ください。


3/6【Project ●●SDGs Vol.129 】 3.11
11才の少年がやっと泣くことができた理由

 昨日みなさん紹介した2011年12月放送のNHKスペシャル『震災孤児1500人』の続きです。

 番組では海音ちゃんともうひとり、取材しています。
 雄貴くん。取材当時は小学5年生、11才です。10年経った今年、成人(式)なのではないでしょうか。

 取材当時、雄貴くんは、お母さんを亡くして、父親と2人で仮設住宅で暮らしています。父親は働いていた工場が全壊し、職を失っています。両親と妻、1才になる次男の一世(いっせい)くんの4人を亡くしました。

 父親は、家族を救えなかった自分を責め続けています。家があった場所に行って、瓦礫の中で思い出にひたってはため息をつき、泣きます。
 震災のとき、妻に次男と一緒に避難するように指示して、自分は雄貴くんを迎えに行き、結局自分たちだけが助かりました。

「おれは助けられなかったって。あのときに何で自分は助けられなかったんだって。そう思ってるとだんだんね、自分は本当に、あのとき助かってよかったのかって。あのまま自分も一緒に死んでればよかったんじゃねえかって。家族の人たちに、申しわけないって」

 父親は泣きながらそう言います。そう言って泣く父親の目の前で雄貴くんはただうつむいて聞いています。そして、そんな父について、雄貴くんは喘ぐように宙を見上げたり、うつむいたりしながら、苦しそうにカメラに吐露します。
「おれなんかよりも、全然、悔しさが、悔しさが、違う」
 11才の少年が、そう言います。海音ちゃんと同様に、雄貴くんは決して涙を見せません。泣くのは父親ばかりです。

 まもなく父親は、雄貴くんに勉強をがんばれと言い出します。それに応えるように雄貴くんは勉強をがんばり出します。

 父と息子は、隣町の釜石で開かれたお祭りに行きます。ところが、小さな子どもの泣き声が聞こえると、父親は敏感に反応して頭を持ち上げてそちらの方を何度か探すように見て、やがてがっくりと頭(こうべ)を垂れます。
 その様子を雄貴くんは見ています。

「お父さんにがんばれって言われて、つらいことはある?」
と取材者に質問されて、雄貴くんは答えます。
「いや。少しはつらいですけど、いや、お父さんが悲しんでるから、自分も頑張りたいなって」

 深く傷つき、生き延びたことを後悔し、自分を責め続ける大人たちを、ひたすら子供たちが支えようとする姿が、雄貴くんを通してくっきりと見えてきます。
 
 雄貴くんが通っている小学校では、次々に被災した友だちが首都圏や遠方の親族に引き取られて転校していきます。
 父親に、首都圏の親戚のいるところに引っ越そうと言われました。今までお父さんの言うことに全力で応えてきた雄貴くんはこれだけは強く反対し拒否します。
「自分が育った町、一世(亡き弟)が生まれたところ、家族がいた場所。いろんな思いがあります」

 雄貴くんが、学校で書いた「私の夢」、それは
「昔のような町に戻すこと」

 私たちが修学旅行で考える地方創生とは全く違う思いに支えられた「創生」が、彼の夢です。
 そんな雄貴くんに担任の先生が、ある言葉をかけます。その言葉をかけられて、雄貴くんはその場で泣き出したそうです。
 担任の先生がかけた言葉、それは

「がんばらなくてもいいんだよ」

 赦し(ゆるし)の言葉でした。




 東日本大震災の悲しみは、なぜこうも終わらないのでしょうか?
 

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