病室にWi-Fiを!

~はじめに~

この議題について考えるきっかけをくれたMami Kogaさん
本当にありがとうございます。
抽象的な社会的課題は自分が当事者でなくなってしまうと、より無関心になりがちです。
ただ、今回の内容は誰もがいつか当事者になりうる問題です。
それに対して、関心を発起させるためには
より具体化してそのイメージを多くの人と共有すること。
そのために自分の経験を書き起こしたいと思います。

~入院生活とテクノロジー~

私は2020年3月19日の夜に救急車で運ばれ、
その後急性骨髄性白血病と診断されました。
その日から2020年10月6日まで一時退院を都度挟みつつも、
基本的には病棟で暮らしていました。
私は無菌病棟という隔離病棟に入院をしておりました。
血液疾患の方は感染病などの危険性が高い為です。
加えて、2020年という年はcovid-19によって
人と人がコミュニケーションが取りづらい環境がそこにありました。

私の場合(あくまでも個別ケースとしてご覧ください)
2020年3月の入院当初、
若干の家族面会などは許容されておりましたが、
covid-19の蔓延から病院の面会規制などはより厳格化されていきました。
子供、友人、家族を含めて例外なく面会は出来ませんでした。
妻は荷物の受け渡しに来てくれましたが、事前申請が必要で、且つ、病棟への立入は出来ませんでした。
なので、病棟に繋がる2枚の自動ドアがあるのですが、そこからお互いに手を振る。
like a ロミオ&ジュリエット。。
なんて綺麗な言い方したもんですが、好きな人とも直接話しが出来ない環境がありました。
もちろん、病棟にいる医師、看護師、療法士、清掃員、クラークさん皆さんから沢山元気をもらいました。楽しかったです。
でもね、でもね。
生活のベースが病院にある訳ではないんですよ。あくまでも病院は仮の暮らし場なんです。
だから、家族や友達と入院中もコミュニケーションを取りたい。
好きな音楽を聴きたい。
好きな映画を観たい。
また、それを共有したい。

病院に居たってそんな欲求は当たり前に出てくるんです。

私は入院中、毎日、自宅にいる妻と子供とテレビ電話をしていました。
子供とコミュニケーションを取れるのはテレビ電話越しのみでしたが、
当時3歳と5歳という子供の年齢を考えても、
半年間、子供とコミュニケーションが取れなかったらと考えるとゾッとするし、
テレビ電話がネット環境で使えるという時代で本当に良かったと思っています。

~情報強者と情報弱者~

タブレット端末は開発当初、シニア向けにつくられたハードウェアという話を聞いたことがあります。
文字を拡大する。
家で買物をする。
照明などを操作する。
テクノロジーは何も特権的に使われるべきではなく、
汎用性が高いことがメリットな筈です。

必要な所にそのテクノロジーはあるのかどうか?
そしてその人達が手に触れて使えるかどうか?

入院中に感じた事。
①入院中の通信環境はどのように整えるべきか?
まずはwifiって病室で使って良いの??
何か電波とかって医療機器に障害とかあるのかしら???
でも、wifi見てみるとバンバン飛んでるし。。
ポケットwifi高いなぁー。あと3日で10G制限んだぁ。
テザリングとかやり方覚えないとな~。

②コロナ禍でスマホとか使い慣れていない人達は寂しくない??
私みたいなそこそこパソコンやらスマホをイジイジしていた世代は
まー、どうにか出来るんですよ。
スマホでテザリングしたり、ポケットwifi使ったり色々とね。
一番大変なのはパソコンやスマホを利用してこなかった高齢世代の方々です。
血液内科の入院患者は若い方からご年配の方まで幅広い年代層の方がいらっしゃいました。
もちろん、環境はみんな一緒。面会は全面禁止。
これでも、環境一緒じゃない。。そう思ったんですよ。
スマホもパソコンもお持ちでないご年配の方は
何を持って入院生活を裕福にしていくべきか。
今は人とも会えません。
僕が見た限りでは、、
同じ病棟の人と世間話を長くしていました。
病棟内にエアロバイクがあったのでそれをやっていました。
本を持ってきて本を読んでいました。
(ちなみに、閉鎖病棟では自らコンビニなど売店に行く事は出来ませんでした。移動売店というものはあったけどね)

テレビ観て独り言を言っていたおじいちゃんがいて、看護師さんを呼び止めて無駄話ばかりさせていたことがあったんです。
「キモチワル!」ってその時は正直思ったんですが、今思い返してみると彼にはエンターテイメントもコミュニケーションもテレビや看護師さんしかなかったんですよ。
なんかそれを理解した時にはとても悲しい気持ちになりました。

私と似たような病気の方は抗がん剤治療や放射線治療、造血幹細胞移植など色々な治療方針があるのですが、個々の体力年齢や死生観などによって選択の仕方がかわります。
仲良くさせて頂いた70代中盤の患者さんは完治は目指さず残りの人生を如何に有効に過ごすかと自分の方針を語ってくれたことがあります。

今思えば、ご高齢の方と私のサブスク使って、昔の音楽でも聴けば良かった。
その時の思い出話を沢山聞けば良かった。
私のスマホやパソコンを使ってテレビ電話とかしてもらえば良かった。
自分の人生が残り何年と感じたら、多分、子供や孫と喋りたいだろうな。
オンラインでも久しぶりに再会したい人はいるだろうな。
王長嶋の天覧試合とか見返したいかな?
歴代横綱の名シーン見返したいかな?
万博の映像かな?東京オリンピックの映像かな?

今思えば、入院中に自分が使役的に出来ることは沢山ありました。

~アクセシビリティ~

clubhouseでふらっと話しを聞いていたら、こんな取り組みに辿り着きました。

病室にパブリックwifiを病院の負担ではなく、国からの助成を促して環境を作っていくという活動をこちらではされておりました。
また、ホームページではWi-Fiや電磁波についての理解など様々な観点から書かれています。

今はコロナ禍で人と会えません。
僕の場合、
もしも明日死ぬと分かっていたら、
テレビ電話でいいから好きな人みんなに「ありがとう」を言いたい。
子供の頃に聴いていた音楽を聴きたい。
最後に一番お気に入りの映画をもう一度みて泣きたい。
そして、こういう場に何かを書き残しておきたい。

病室にWiFiを設置するということはそういうことがやりたくてもやれない人に環境を提供することが出来る取り組みだと思っています。

判断は個々それぞれです。
ただし、選択肢が沢山あるということは豊かな証拠です。

~おわりに~

皆さん"生きている間の時間"というものを意識したことはありますか?
死を少しでも感じた人はこういう感覚あると思うんですよ。
生に対して有限であることに気付かされるんです。
当たり前のことを言っておりますが、本当に皆さん日常で意識していますかね?
「明日死ぬかも」って。
誰もがその可能性があるのに不確実性なのか、
現実逃避なのかは分かりませんが考えないようにしている気がするんです。

死を意識すると自分自身の行動に積極性が出てきます。
好きな人に「好きだ!」とどんどん言いたくなるんです。(愛情でも友情でもなんでも)
病人にコミュニケーションの手段が必要な理由は何も励ましてもらう為ではありません。
生きている内に「伝えたいコト」「伝えたいヒト」が沢山湧いてくるんです。
だから、僕は「病室にWi-Fiを!」を心の底から応援しています。

上記のようなロボット開発が進むことで空間という発想の変化が起こりえます。
治癒に必要なことは医学的治療ばかりではありません。
テクノロジーは人生を豊かに出来るはずです。

私目の記事で「こんな社会課題があるんだ」と少しでも思って頂けたら幸いです。
それではさよーなーらー!