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卒業論文・専門論文紹介①

こんにちは、久志本ゼミです!

今回は2022年1月に提出された卒業論文・専門論文の紹介として、久志本ゼミに所属する学生が執筆した論文のタイトルと要旨を公開します。

特に以下のような方におすすめの記事となっております◎

◆上智大学総合グローバル学部(FGS)に興味がある方
◆久志本ゼミに興味がある方
◆東南アジアに興味がある方
◆これから卒業論文を執筆する方

それでは、さっそく見ていきましょう!

1.ベトナム教育の地域間格差と改善~なぜ社会主義国家ベトナムで教育格差は改善されないのか~

 本論文は全4章で構成されており、「なぜ社会主義国家であるベトナムで、いまだに教育の地域間格差が改善されないのか」という問いに答えるため、ベトナム社会主義共和国という国家がどのような国なのか、都市部と農村部との差異を明らかにしたうえで、教育格差問題の内情を「量」や「質」の面、そしてこれまでベトナム政府が行ってきた取り組みを通して多角的に分析している。その結果、ベトナムの教育には地域間で量と質の格差が存在しており、その要因として経済や社会問題の存在が見受けられた。特にドイモイ政策によって社会主義共和国であるベトナムに市場経済化が取り込まれ、経済格差が拡大した事実は留意すべきことである。
 また、この問題の解決には国家規模の働き、つまりベトナム政府の協力が不可欠であり、ベトナム政府自体も教育格差を認識し、問題意識を持ったうえで改善に向けて多面的なアプローチを行っているということが分かった。しかし第3章では現状打破のために定められた政策や戦略は教育格差の改善につながる一方で、新たな課題の発生、そして格差の創出にもつながっていることが明らかになった。特に量の格差の改善に比べて質の格差の改善は難航しており、政策の施行とともに複雑化している面も見られた。これらを受け、私は結論として問いに対する答えを5つ導き出している。
 政府は各時代に応じて政策を更新し、臨機応変に対応する必要がある。しかし現代のグローバル社会の中で、ベトナム社会主義共和国がどのような国家として存在していくのか、その方向性が教育政策を定めるうえで最も重要になると考えられる。国力をより成長させるために資本主義的要素を取り入れていくのか、それとも社会主義の実現に向けて「平等性」ある政策を掲げていくのか。海外の教育を倣うだけでは解決できない地域間の教育格差という問題に対して、時代背景に合わせて固有の文化や地形、民族構造を持つベトナムがどのように向き合い改革を行っていくのか。ベトナム教育の未来はベトナム自身にゆだねられている。

2.日本における多文化の子どもたちの教育の新たなあり方――ミャンマー系学習教室の事例から

 本論文の目的は、東京のあるNPO法人で行われる多文化の子どもたちの教育現場の様子を通じて、人々の国際移動が活発化した今日の日本における、多文化の子どもたちの教育の新たな実践を描き出すことである。
 現在の日本は、国境を超えた人々の移動に随伴する子どもたちや日本生まれの外国にルーツを持つ子どもたちも多く存在する。そして、そのような多文化の子どもたちについて、教育の問題も多く議論されてきたが、それらの中心は、日本語教育・教科学習と進路支援・国際理解に関する教育・日本語以外の言語教育であり、子どもたちがそれらのニーズを複合的に持っていたり、一人一人にニーズがさらに細かく持っていたりすることを想定する実践や、子どもたちからの発信も含む教育の実践には注目されてこなかった。実際には、多文化の子どもたちの教育のニーズは多様かつ重層的である。そこで、小論では東京のミャンマーコミュニティ学習教室の参与観察で得たデータから、そのような多文化の子どもたちの教育現場では、これまでマジョリティ側が想定してきた形とは異なるあり方で、学びの場づくりが模索されていることを示した。
 筆者は、高田馬場に拠点を持つ在日ミャンマー人によって設立されたNPO法人の一事業である学習教室で調査を行った。当教室はオンラインツールを通じて開催され、在日ミャンマー児童生徒やミャンマーからつなぐ児童生徒、一方の親がミャンマー人である児童生徒らが生徒として集い、日本語や学校科目、ミャンマー語などを少人数クラスで学習する。そしてそのようなミャンマーと日本というキーワードのもとに集まった児童生徒らが協同でワークを行う時間もある。このように、一人一人のニーズをそのままに受け入れクラスを形成し、しかし同時に多様なニーズを持った子どもたち同士がそれぞれの学びを進めつつ、協働して関わる場面のある教室だった。本事例で見られたようなミャンマー語と日本語の両方を中心に据えた教室の展開は、かつて第一世代として日本に来日した人々が親世代となったことや、ミャンマー語や英語によって授業が可能になった人々の増加ということが背景の一つにある。
 つまり、日本の多文化の子どもたちの教育は、日本語補償教育や国民国家の「伝統」としての文化紹介といった旧来のテーマをどのように行うかという議論や、日本人という中心グループの方法にどう適合していくかという議論にとどまる段階ではない。豊富な人的リソースにより、特定のエスニックグループの文化や教師を中心化した権力関係の生まれる構造を解消し、年齢や教師・生徒の境界をできるだけ取り払おうとする教育の実践が可能な段階に突入している。こうした多文化教育の新たな側面は、単にインフォーマルな学びの実践の運営に関わるだけでなく、今日において世界的に重要視される多様性の尊重やマジョリティとマイノリティの関係性の問い直しを行う方向性を考えるにあたっても、非常に示唆深い事例であると考える。

3.途上国における通貨競争‒カンボジアにおけるドル化と⾃国通貨普及に向けた取り組みから‒

 東南アジアで最も「ドル化」の⽐率が⾼いカンボジアにおいて、⾃国通貨「リエル」は通 貨価値の安定を基準とした通貨競争の中にあると⾔えるのだろうか。本稿で検討する「ドル化」とは、自国通貨に代わって米ドルなどの外貨が使用される現象であり、カンボジアでは 日常的な取引の多くが「米ドル」で行われている。
 カンボジアにおける「ドル化」の研究は、国際協力機構(JICA)がカンボジア国立銀行(以 下、NBC)と共に開始した共同家計調査(2014~2015)および、その報告資料「Dollarization in Cambodia: Evidence from Survey conducted in 2014-2015」(2016)によって、地域の事情に即したドル化の要因とその実態が明らかになった。しかし、カンボジアにおけるドル化を評価する研究は、経済的な影響の分析が主であり、通貨に関する政策でありながら通貨の実態に対して十分な検討をしていなかった。そのため、国による貨幣発行の独占が金融政策を通じて歴史的に過剰な通貨供給を招き、通貨価値を下落させてきたという途上国特有の事情に対する配慮を欠いていた。
 そこで本稿では、通貨競争が通貨価値安定に寄与するとしたオーストリアの経済学者 F.A ハイエクの通貨競争の理論に基づき、カンボジアにおいて通貨間の競争がどのように起こり、通貨競争が途上国側の貨幣発行にどのような影響を与えるかを明らかにすることを試みた。ハイエクの理論を参照し、通貨制度が一旦完全に破壊されたという稀有な歴史を持つカンボジアの通貨利用の歴史を分析するとともに、カンボジア国立銀行統括局長であるチア・セレイ氏のインタビュー記事から、通貨の捉え方と今後における自国通貨普及に向けた 展望を分析した。
 カンボジアにおける通貨の歴史からは、通貨は交換の結果として自然発生的に生まれるものであり、価値の維持が重要な基準として人々に選ばれ、競争するものであることが明らかになった。しかし、「ドル化」が浸透した後のカンボジアの事例から、通貨の特性として「ネットワーク外部性」があり、支配的な通貨が一旦確立された社会では通貨間の競争が起きにくいこともまた明らかになった。ただし、チア・セレイ氏のインタビュー記事から予想される米ドル利用に強い規制を掛けず、国民が自主的に自国通貨を選ぶようにするという今後の通貨政策は、通貨価値の安定を基準としたハイエクの通貨競争の理論にある程度沿っているとも考えられる。
 本稿の課題としては、インタビュー調査による貨幣経済復活時の詳細な分析、そしてハイエクの議論の欠点であった「投機」という問題の詳細な検討を欠いていたことが挙げられる。

4.失踪問題から見える技能実習制度の限界―ベトナム人技能実習生の駆け込み寺「大恩寺」の事例から―

 本論文の目的は、失踪したベトナム人技能実習生を受け入れている支援団体「大恩寺」に焦点を当て、失踪問題の実態及び課題を知ることで、技能実習制度の限界を分析・考察することである。
 現在の日本においてコンビニやスーパーで販売されている食品の製造現場、工事現場や農業の現場等は外国人労働者無しでは成り立たない。しかし、日本で単純労働者を合法的に受け入れている主な手段である「技能実習制度」には数々の問題点があり、それらが多数の技能実習生の人権を侵害していることから「奴隷労働制度」とも言われている。その様に言及されているにも関わらず、この制度を通して来日する技能実習生は現在約41万人おり、その数は年々増加している。中でも、最大の送り出し国はベトナムであり、約41万人の技能実習生の実に半数以上を占めている。
 また技能実習生の増加に伴い、実習生が仕事場から失踪してしまう、いわゆる「失踪問題」が近年深刻化している。失踪した実習生は2020年には1万人を超えたと言われており、それはつまり40人に1人が仕事場から失踪していると捉えることができ、その確率の高さからいかにこの失踪問題が深刻な問題として捉えられるべきかが伺える。しかし、これまでの先行研究では失踪者の増加や失踪理由などに関しては指摘されてきたものの、失踪後に多くの技能実習生がたどり着く民間の支援団体の実態や、団体でサポートを受けているベトナム人技能実習生の想いは明らかにされてこなかった。
 そこで本論文で筆者はベトナム人によって運営されている仏教寺院「大恩寺」に焦点を当て、失踪問題の実態及び課題を知るべくインタビューを行った。インタビュー対象は失踪したベトナム人技能実習生二名と、彼らをサポートしている「大恩寺」の住職のティックタムチーさんの三名である。失踪したベトナム人実習生二名には失踪前後の状況や想いについて、住職のチーさんには大恩寺の住職を務めるに至った経緯や失踪した実習生に行っているサポートについて、そして双方に技能実習制度に対する課題や想いを伺った。
 これらのインタビューを通して、日本側の実習生へのサポート不足によりベトナム人が同胞のベトナム人実習生を助けざるを得ない状況があるという現状があることや、韓国や台湾など他の出稼ぎ国が魅力になってきている事実があること、そして実習生に一切の選択権がないことから、技能実習制度には限界があることが明らかになった。今後日本が持続的且つサポートが十分に行き届いている技能実習制度に改善していかなくては、ベトナムと日本の狭間にいる実習生にさらなる被害が生まれ、彼らの日本に対する感情も悪くなり、日越関係にも変化が生じてくるのではないだろうか。

5.ごみと、貧困と生きる人々-グローバル、ナショナルな社会経済の変化から、パヤタスのローカルな「貧困」を考える-

 今日、国際社会では目まぐるしく「グローバル化」が急進し、それと同時に貧困や経済的格差が拡大している。実際に、「グローバル化」や国際的な貧困を対象にした貧困研究は数多存在する。しかし、そのような研究が現実に活かされていない、または、研究においてフォーカスされていない「貧困」がこの世界には存在する。そのひとつの事例として、フィリピンのパヤタスを取り上げた。私は、2019年の夏にパヤタスを訪問した。パヤタスで目にした、いくつもの衝撃的な現状を今も忘れることはできない。パヤタスの景色やそこで生きている人々は、当時の私が抱いていた貧困者のイメージとは単にかけ離れているだけでなく、彼ら自身がひとつのコミュニティを築き、そのなかで生きること以外に、人生の選択肢として持っていないような、独特な貧困のなかで生きているような印象を受けた。なぜ私は彼らが置かれているような貧困を知り得なかったのか、なぜ彼らはゴミ山のなかで生きているのか、ゴミ山で生きるという選択以外に選択肢を持っていたのか否か、私は数多の疑問を抱いた。
 本論文では、これまで数多くの研究者が研究してきた国際社会の貧困、また特定の地域に根ざした貧困研究を批判的に取り上げながら、それらの研究がパヤタスの貧困に活かされていない原因を分析し、パヤタス特有の貧困がどのようなものなのかを明らかにした。フィリピンのパヤタスというローカルな視点、フィリピンの国家全体のナショナルな視点、そしてグローバルな視点を活用しながら、多様なレベル感で分析し、歴史的経緯に沿って、パヤタスの貧困がどのように形成されたのかを分析した。
 フィリピンは、スペインとアメリカによる長年の植民地支配下で、モノカルチャー経済システムが構築され、それに伴い、労働力の移動が活発になり、さらに労働力が多層性を帯びたことで、労働や文化に基づき、エスニシティによる分別が行われた。のちに、フィリピンは独立し、輸出志向に則り、工業開発が進められた。主に都市部が発展し、都市部の人々が富む一方で、都市部の外では経済的に貧しい状態に陥る人々が数を増やしていき、地方間の不均衡が拡大してしまった。
 政府主導の4カ年計画や様々な経済開発に加え、国際社会全体でグローバリゼーションが進展し、「植民地なき植民地主義」とも唄われる国際的な分業化が進められた。これまで国内で行われていた労働における分業が国を跨ぎ、規模を大きくし、自分の労働力が最終的にどのような形で消費されるのか、すらも、見えないような生産活動が蔓延し、人々がそのような生産活動に従事することで、フィリピンは一国家として、今日のような、国際社会でのポジションに置かれるようになった。さらに貧困が偏ってしまった地方部では、賃金が比較的少ない、また安定性の低い都市ノンフォーマル部門の職に就く人々が増えた。
 パヤタスという小さなコミュニティでも、ヒエラルキー社会が構築されており、スカベンジングひとつ取っても、分業化がされている。スカベンジャーの中でランク付けがされており、彼らがスカベンジングして、収集されたゴミは国際社会に売買される。パヤタスの彼らのコミュニティ内でも分業され、さらに彼らの労働力は、国際的に国家を跨ぐ分業の一部と化している。分業化された仕事でしか、発揮することができない彼らの労働力と労働は、彼らの貧困を彼ら自身で再生産する仕組みになっており、その仕組みを上から固めるように、国際社会が彼らの労働力を搾取していることが彼らの今日の貧困を形成していると分析す る。植民地時代から構築されてきたフィリピン社会は、今日までに様々な形に変わりゆき、植民地こそなくなったものの、パヤタスの人々の貧困を支配し、その上に生活を構築している人々が存在するのだ。私もそのひとりなのかもしれない。

最後に

いかがでしたか?

ゼミ生たちの関心が多岐に渡ることがお分かりいただけたかと思います。
対象地域やテーマ・分析方法も様々で、個性あふれる論文になっていますね。

この投稿が多くの方の参考になれば嬉しいです。

最後までお読みいただきありがとうございました!

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