拝啓 あみ様(作詞のおすすめ)6

【これはシンガーソングライターの卵である「あみ」さんに、作詞のアドバイスをしたものです。ちなみに、私は別にプロの作詞家ではありません。】

椎名林檎はやっとかなくちゃ、とか偉そうに書いたけど、実は私は椎名林檎に関してそんなに詳しくありません。有名な曲を何曲か知ってる程度で、でも、カラオケとかで、知り合いが歌ってる歌詞画面とか見ながら、この人、他の人とはちょっと違うよなあって感心したりしてる程度です。そう言えば、カラオケって、歌詞の勉強にはとっても良いですよ。初めて聴いた曲でも、画面の文字を見ながら、あ、これ、すごいや! このフレーズ上手いなあ、ってチェックできる。歌詞カード見てるよりいいです。超おススメ。
さて、さて、そういうことで、これを書くために、ちょっと椎名林檎をにわか勉強なんかしながら書いて行きまする。
椎名林檎といふと、舊字體とか歴史的仮名遣ひなんかを多用して、難し氣な哲學用語なんかも使つてゐるものだから、「中二病」と勘違ひするヱピゴーネン(模倣者・亞流)がゐたりするのだけれども、さういふのとは違ふんです。(しんどいのでもうやめます)
この人の歌詞はね、多分、歌詞じゃない。「詩」ですね。「文学」です。完全に曲先(キョクセン‥‥曲を先に作って後から歌詞を当てはめる。知ってるよね?)らしいんだけど、そういう風には全然見えない。この点がまずすごいよね。それに、旧字体とか歴史的仮名遣いなんかは、もう、これはね、アングラアートの世界ですわ。彼女がどの程度意識してるのかは知らないけど、1960年代~70年代にアングラ(アンダーグラウンド)ブームというのがあって、その代表が、いわゆる「アングラ演劇」というヤツで、寺山修司の「天井桟敷」とか唐十郎の「状況劇場」という劇団があって、そこで使われていた横尾忠則のポスターなんかの世界観にそっくりです。(ググって調べてみてね)
だからね、この人の一見難しそうに見える「詩世界」はね、実は、寺山修司的な世界だったりする。それを知らない教養のない浅はかな連中が「中二病」と勘違いする。
ということで、まず、先に、寺山修司の紹介。

まわれ、まわれ、回転木馬、赤いランプは電気の悪魔。夜中の公園には必ず犯罪者が隠れているんだ。放蕩、忘却、すこまし。詐欺に、盗みに、親不孝。後悔は一掴みの灰。落ちて、落ちて、限りなく落ちていけば、底は底抜けの天国だ。暗い天国、火事ひとつ。自分の阿呆をつくづくと、照らしてみるにゃ火が一番。十五のときから俺は寂しい火付け男になった。そうさ、俺は放火魔さ。愛しい人形に火をつける!

                        寺山修司「阿呆船」

公衆便所には窓が一つしかない どの窓も北を向いている
朝が来ると 男たち 壁に頭をうち
男たち ウイスキー瓶に灰をつめる 男たち 喉を引き裂き 
男たち 空き缶蹴飛ばし 男たち テーブル投げつけ 
男たち シャツを毟り 男たち 抱き合い
男たち コンクリートにのたうち 男たち 首吊り 
それでも 朝が来ると 朝が来ると

                      寺山修司「毛皮のマリー」

一番高い場所には何がある? 嫉妬と軽蔑、無関心と停電の時代を目の下に見下ろして、はるかなる青空めざし!
どこへ行こう? どこへ行こう? どこへ行こう? どこへ行こう?
新宿、品川、池袋 目黒、大塚、五反田、蒲田 上野、日暮里、信濃町 渋谷、浅草、御徒町 代々木、原宿、秋葉原
どこへ行こう? どこへ行こう? どこへ行こう? どこへ行こう?
朝日の当たる町ならば、朝日の当たる町ならば、書を捨てよ、町へ行こう! 書を捨てよ、町へ行こう!

                寺山修司「書を捨てよ、町へ出よう」

ね? どこか雰囲気が似てるでしょ? 言ってることわかるかな?
それとね、この人の詩が「文学」だって言うのはね、お客さんに媚びないの。サービスしないのですよ。書きたいことだけ書いて「わかるヤツだけわかればいい」ってところが、他のミュージシャンにはないところで、ああ、この人、アーティストでロッカーでかっこいいなあって思うわけです。ほんと、わかんない人にはさっぱりわからない言葉をポンポン使ったりする。例えば「丸ノ内サディスティック」では、「リッケン620」とか「マーシャル」とか「ラット」とか「グレッチ」とか、バンド用語だらけ。
こういう表現を見ると、聴いてる人は「ああ、オレ(私)には(この言葉が、この世界が)わかるゾ!」って、いわば、作者との間に共犯関係を結んじゃうわけで、こういう麻薬的な関係性は、音楽というより、むしろ文学の、作家VS読者の関係性なわけです。

本当のしあわせをさがしたときに 愛し愛されたいと考えるようになりました
そしてあたしは 君の強さも隠しがちな弱さも汲んで
時の流れと空の色に何も望みはしない様に
素顔で泣いて笑う君に エナジィを燃やすだけなのです
本当のしあわせは目に映らずに 案外傍にあって気付かずにいたのですが
かじかむ指の求めるものが 見慣れたその手だったと知って
あたしは君のメロディーやその哲学や言葉、全てを守る為なら
少し位する苦労もいとわないのです
時の流れと空の色に何も望みはしない様に
素顔で泣いて笑う君の そのままを愛している故に
あたしは君のメロディーやその哲学や言葉、全てを守り通します
君が其処に生きているという真実だけで 幸福なのです

                        椎名林檎「幸福論」

「幸福論」は19歳の時の作品らしいですが、うーん、やっぱり文学ですなあ。
最初の「本当のしあわせをさがしたときに」という時点で、もう文学です。だって、それは、「好きな人と一緒になりたい」みたいなのとは全然違うもんね。「人間にとって幸福とは何か?」「人間は幸福になどなれるのか? なっていいのか?」という哲学的命題なわけです。
完全なラブソングなんだけど、好きになり方が他の歌とはかなり違う。「時の流れと空の色に何も望みはしない様に素顔で泣いて笑う君」が好きなんですから。愛し方だって「あたしは君のメロディーやその哲学や言葉、全てを守り通します」ですからねぇ。ほんと早熟な人ですね。
こういうのを見てると、やっぱり、他の歌詞というより、「詩」と比べたくなりますな。
例えば、最果タヒという詩人がいます。椎名林檎より8歳若い人で、私はよく知らないんですが、若い人に人気があるようです。

好きって言える可能性だけが減っていくように、また朝がくる。寿命が無限だと思い込めるから海や山を見るのが、ひとは好きだ。何にも得られなくていいよ、お金をたくさん使って命をすり減らして傷ついて、何にも得られなくていいよって、揺れているススキのような友達が、すてきにみえて多分ぼくはもうだめ。人としての理性を見失っている。そこから、青春がスタートです。発射した銃弾、こめかみにたどり着くまで70年。恋愛しましょ。

                        最果タヒ「踏切の詩」

かっこいい詩でしょ? 椎名林檎のかっこよさは、こういうかっこよさに似てる。
この詩の世界観は、林檎の「ありあまる富」にちょっと似てなくない?

僕らが手にしている富は見えないよ 彼らは奪えないし壊すこともない
世界はただ妬むばっかり
もしも彼らが君の何かを盗んだとして それはくだらないものだよ
返して貰うまでもない筈 何故なら価値は生命に従って付いている
彼らが手にしている富は買えるんだ 僕らは数えないし失くすこともない
世界はまだ不幸だってさ
もしも君が彼らの言葉に嘆いたとして それはつまらないことだよ
なみだ流すまでもない筈 何故ならいつも言葉は嘘を孕んでいる
君の影が揺れている 今日限り逢える日時計 何時もの夏がそこにある証
君の喜ぶものは ありあまるほどにある すべて君のもの 笑顔を見せて
もしも彼らが君の何かを盗んだとして それはくだらないものだよ
返して貰うまでもない筈 何故なら価値は生命に従って付いている
ほらね君には富が溢れている

                     椎名林檎「ありあまる富」

あれ? そんなに似てないかな? なんで似てると思ったのかな? いや、やっぱり似てるよな。かなり微妙なところで。
最果タヒの詩をもう一つ。

ここにいるだけで誰かにとって暴力になるようなそんな存在になりたい。
私の言葉は届かない、生きていることがなにかを保証してくれるわけもなくて、私が知らない人は、私にとって死んでいるも同じ。
きみにとって私は、ほとんど死んでしまっているのだとわかっているのだ。
優しさとか美しさとかそんなもので、簡単に価値が手に入るわけがないから、私は、私の言葉が聞こえる人を探していたし、いないことは知っていたし、だから私はずっと目を覚まして、私の寝言にすら耳を澄まして、生きている、かろうじて。
孤独が気高さだと思っているなら、死んだほうがいいよ。
静かさはいつだってあなたの真後ろにある、すべてをそこに投げ捨てることなどいつだって可能で、そこから逃げ出し騒がしく心臓を鳴らしているのは、きみ、きみ自身だ。
声を出すことは騒音だ、使っている言葉はほとんどが通じず、私の胸の中で飼うしかないから、私は胸に穴を開けたんだ。
きみが、私を恐ろしく思うなら、それはただきみが弱くて後ろめたいからだろう。しがみついている、生に。
価値がない人間は死ぬしかないとひとが言うなら私は、価値がないまま、生き続けるよ。
人と、人がかきまぜられる交差点の真ん中。私はここにいるだけで誰かにとって暴力になるような、そんな存在になりたい。

                        最果タヒ「なりたい」

これって、「幸福論」にすごく似てないですか?
「私はここにいるだけで誰かにとって暴力になるような、そんな存在になりたい。」ってフレーズは、
「あたしは君のメロディーやその哲学や言葉、全てを守り通します。君が其処に生きているという真実だけで、幸福なのです。」というのとそっくりだと思いませんか?
言ってることわかる? わかんなくてもいいけど。
ということで、椎名林檎って文学だよなあというのが私の結論です。

後ね、宇多田ヒカルもいいんですよね。この人、曲も詞もいいんです。私は大好きなんですけど、なぜかここで解説したいとは思わないのよね。どうしてだろ?

ということで、今日はこのへんで。

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