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Floating Forever│あるがままを生きる

7th Jul.2023

note を ひらく。『 今日のあなたに 』から、知らない誰かの文章を読むたびに、顔も知らないその人が、とても素敵な 文章を書く人なのだと知る。


その数を考えたことがなかったけれど、note で 文章を書いている人は、どうやら たくさんいるらしい。なかには、きっと一度も出会うことがない人もいるだろう。

その 広大な海のなかで、文章を書くことで偶然出会うことができるとしたら。そして、この先も何度も出会うことができるとしたら。それは ちょっとした、奇跡のようなことなのかもしれない。


「 人生のなかで、僕が 海さんと出会う確率と、お遍路のなかで、海さんが同じ 逆打ちの人と3回会う確率は、どちらの方が 高いんやろな 」


ドライブの帰り道、はじめて尊敬できる大人だと思えた人が呟いた。『逆打ち』というのは、四国遍路において 88箇所の霊場を、逆回りで歩くことだ。挑戦する人は とても少ないため、一緒に歩く仲間は 0 に等しい。

逆打ちで四国遍路を歩きはじめた4日目。同じ逆打ちで歩く女性と、偶然出会えた。台湾出身で、歩き遍路は
2回目の挑戦らしい。会うたびに、いつも笑顔で大きく手を降ってくれた彼女。お寺や 遍路道の途上で、3度も会うことができたのだ。


「 それは  もちろん 、前者ですよ 」

「そうか。そう考えると、人生はちょっとしたことで、進む方向が ガラリと変わるものなのかもしれんなぁ」


本当にそう思う。この人と出会っていなかったら、わたしは 四国遍路に、こんなに早く挑戦していなかった。
そしていま、この場所に来ることもなかっただろう。


東京を離れ、直島にやってきてからの日々は、振り返るとすべて " 流れに身を任せて "  ここまで来たのではないかと思う。

海のまちを、渡るように暮らす日々。
それは、あたらしい出会いと別れの繰り返しだ。


そして、それは 必ずしも ポジティブな要因ばかりではなく、「身体を壊して、離島での生活が難しくなった」とか、「これから先も一緒に仕事をしようと思っていた相手が、変なやつだった」とか、そんな理由で 場所を移動することも、仕事を変えることもあった。


けれど 現状がどれほど苦しく、「ここで頑張りたいが、もうこれ以上 打つ手だてがない」というところまで追い詰められたとしても、新しい場所に移ったとき。


" 新しい場所が、以前より かならず「良い環境」に
なっている "
ということに  気がついた。



直島で身体を壊して、働くことさえままならなくなってしまったなかで、がむしゃらに「頑張ろう、まだここで暮らすんだ」と もがいたけれど、もう何をしても立ちいかなくなったとき、「ああ、わたしはもう こことは縁がなくなってしまったのだ。少なくともいまは」と、その現状を 受け入れることにした。

 そうして、しがみついていた思いを 手放したとき。


 " もう無理かもしれない " と 思うほどに 辛かった
  生活が、驚くほど、スムーズに 動き出した。




高松という、あたらしい 海のまちとの出会い。

直島に住んでいたときよりも、たくさんの友人や家族が、ここに会いにきてくれたこと。

そして、直島にいたときには出会えなかった、たくさんの人たちと出会えたことで、自分の視野や、仕事の幅が広がったこと。

  高松で暮らすなかで、偶然いまの
  仕事のパートナーとも、出会うことになった。



 
わたしの人生に 影響を与えてくれた ものの一つに、
『 Floating Forever 』という 曲がある。

なにか 思うところがありながらも、東京で所謂 " 業界大手 " といわれる会社で働いていた時代。社用車を運転するなかで、かけていたラジオから 偶然 聞こえてきた ナンバーだった。

細かい内容までは覚えていないけれど、パーソナリティーと話す 男性の声は優しくて、「漂うように生きる」という言葉が、とても 印象的に残っていた。

そして YouTubeで 曲を聴いてみると、パステルカラーの気球に乗った男の子のPVから、物語が動きはじめる。

Floating Forever  /  THE CHARM PARK


男の子は、なにもしない。
途中で天の川に流されたり、海に落っこちたりしても、そのまま ただ、気球に乗っている。

そして一度、たどり着きかけた『月』にも、どこからか飛んできた音符に弾かれて、たどり着くことはない。
ただ 広大な宇宙を、舵を取ることもなく、ひたすらに漂い続ける。

そうして " ただ流れに身を任せているだけ " に見えるなかで、もう一度『月』のそばまでやってくる。そして最後には、先ほど自分を弾き飛ばした音符が もう一度飛んできたことによって、少年は『月』に 着陸した。

 自分では、ただの一度も、気球を 操縦することなく。

そもそも、はじめから『月』に行きたいなんて、少年は思っていなかったのかもしれない。たどり着いたのが、たまたま『月』だった。ただそれだけのことなのかもしれなかった。


少年はただ、 気球に乗る 」という 始まりの選択をしただけだ。そこから先は、すべて自然に逆らうことなく、いつのまにか 本人の意思とは関係なく、『月』にたどり着いていた。

けれど それは、決して 『 流されている 』のではなく
あるがままを 『 受け入れる 』ことなのかもしれない。

  自分の意に そぐわないことが起こったとしても、
  現状を 怒ることなく 受け入れること。

  そもそも「 自分の思い通りになる 」なんていう、
  自己中心的な 思い込みを、手放すこと。

  そうすることで、
  なぜか わからないけれど、上手くいくようになる。


わたしも「 会社をやめて、直島で暮らす 」という 一番初めの選択をしただけで、そこから先は、出会いとタイミングによって、人生が進んでいった。" 人との縁 " に 恵まれて、運良く今日までを、生きてくることができたのだと思う。

良いことばかりではなかった。時間だけに換算すれば、しんどかった時間の方が、長いくらいかもしれない。
けれどそれでも振り返ったとき、「この辛さなんかで お釣が来るほど、ここで暮らせたことは素晴らしかった」と、心から思えるのだから 不思議だ。

 そうして 新たな決意で  移り住んだ 場所も また、
 わたしが 心から 、大好きになる 街だった。


がむしゃらになっても、無理なものは 無理なのだ。
それをねじ曲げようとするのではなく、潔く受け入れて次に進むこと。そうすると、次に行く場所は、今よりももっと良くなっている。

マイナスに思える要因から 始まったはずの出来事が、いつのまにか、ポジティブな発想のもとになっている。不思議だけれど、そんなことの繰り返しだ。


「 あなたは自分に起こった様々な出来事を、関連づけて考えることができるんやね。普通のひとが見過ごすようなことでも、ちゃんと拾うことができる。それは とても素敵なことだよ 」


  親子ほども 年の離れた人と、
  父や母とも できないような  話ができること。


わたしは ずっと長いこと、ネガティブな人間だったんです。でも考え方や 世界観が 変わってから、 " 他者と関わることでしか、自分が成長できない " ということを、痛感するような 日々なんです

それは本当にそうやね。これからも沢山の、それも
" 前向きな人たち " に出会えると思うよ。あなたのまわりには、そういう人だけが おるようになる 


  わたしも このひとのように、誰かを助けたり、
  勇気づけられるような 人間になりたい。


「あなたは文章が上手だし、お遍路の話も聞いていて すごく面白いから、それをちゃんと、かたちに残るように書くといいよ。これから歩く人たちの参考にもなる」

 またひとつ、やりたいことが見つかった。


東京にいた頃、" そんな人生にしたい " と思った言葉が、「 やりたくないことは、やらないだけなんです 」だった。大好きな『かもめ食堂』という映画で、主人公の 店主・サチエさんが言っていた言葉だ。

『 かもめ食堂 』  (2006)


よく聞く言葉だけれど、「やりたいことをして生きる」というのは、どこか違和感があって苦手だった。まるでそれが、良いことかのような響き。ポジティブの押し売りとでも言うのだろうか。(ちょっと言い過ぎ?)

やりたいことは、もちろん沢山ある。けれど それを、全部 叶えようとは 思わない。『 運 』『 タイミング 』『 出会う人 』によって 、自分の気持ちも、できることも変わっていく。そのときに、わたしが できること、「今」したいことを、すればいい。

  やりたくないことは やらない。それが、丁度いい。
  自分の 心のままに、「今」を 楽しく 生きること。



誕生日の 1ヶ月後、20年前の自分から、手紙が届いた。

学校の授業で書いたもので、つたない字と、下手な絵で埋めつくされた葉書に、思わずわらってしまった。
(当時は これでも「クラスで一番 絵が上手」だと 皆がほめてくれて嬉しかったのだから、可愛いなと思う。)

     「 20年後の私 、なにしてますか 。
      今の私は 、おえかきが大好きです 。」


きっと、何を書いていいか分からなかったのだろう。
幼いながらに、あの狭く 小さな教室で、キラキラした未来を思い描けなかったであろう " 20年前の自分 " の心情が、ありありと伝わってくる。


『 20年前のわたし。今のわたしも、アートが心から大好きです。あなたはこれから、沢山の人たちに出会う。20年後の いまが、一番 幸せだよ! 』


悩み多き子どもだった自分に、胸をはって そう言ってあげられるようになったことが、何よりも嬉しかった。



誕生日のすこし前、瀬戸内海の むこう側の港町に住む
年下の女の子から、プレゼントと手紙をもらった。

出会って2回目で  宮古島に行き、そして9月には
一緒に 屋久島にいくことになった、大切な友だちだ。


封を そっと切り、取り出した便箋は、わたしたちが 毎日みている、美しい瀬戸内海の島々。そしてそこには、きれいな文字が綴られていた。

「 彼女の字を見るのは 初めてかもなぁ 」なんて優しい気持ちになりながら 読み進めていくと、思わず涙が
ぼろぼろと 溢れてきてしまった。


「 海さんの 日々を大切に生きる姿勢や、考え方に、
いつも刺激をもらっています。出会ってまだ間もないのに、こんなにも誰かから、影響を受けたのは初めてです。海さんが私の人生に入ってきてくれたことは、私にとって  最高の贈り物です。 」



「恥ずかしいので、家に帰ってから読んでください」と笑った彼女。誕生日に立ち寄ったカフェで、その手紙を開いてしまったのは、失敗だったかもしれない。手紙を読んで こんなに泣いてしまったのは、この誕生日が、はじめてだった。

  わたしの人生を 明るく照らしてくれたひとも 、
  わたしを 苦しめたひとも 、
  大事な友だちも 、かわりのいない家族も 。

  そのすべてが、『 いまのわたし 』を 作ってくれた。


  やりたくないことは、やらなくていい。
  自然のまま、心のままに、ただ素直に生きること 。

  これからも  あるがままの 自分を愛して 、
  そして わたしも、誰かのためになれる人でありたい。


──  七夕の夜に 、 願いをこめて 。

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お読みいただき、ありがとうございました。 あなたにとっても、 素敵な日々になりますように。