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もみの木という童話が、伝えるもの。

私は、大人になっても童話が好きだ。そこには教訓も含め、執筆された時代背景、作者の個性がよく出ている。

たくさんの童話を読むと、ただただ悲しいものが結構ある。めでたしめでたしと子どもの前では終わりたいところだが、翻訳された童話集なんかを読むと、えぇぇ…となってしまうものもなかなか多い。そこが童話の面白いところでもあるのだが笑

童話の中にはクリスマスを題材にしたものがたくさんある。
クリスマスなので、もみの木という話をざっくりと。

主人公のもみの木は、自分の周りにたくさん生えている立派なもみの木たちに憧れていた。自分はまだ小さく、早く大きくて立派なもみの木になるのを毎日夢見ていた。大きく立派なもみの木たちは、クリスマスが来る前になるとクリスマスツリーとして切り倒され、人間たちのの家へ運ばれていく。大きくなった主人公のもみの木は自分がクリスマスツリーとして輝く日をずっと心待ちにし、たくさんの妄想を膨らませ、早くクリスマスツリーなることだけを考えていた。早く、早くともみの木はその時が来るのを待ち望んでいた。いよいよもみの木がクリスマスツリーとして切り倒され、ある家のツリーとして運ばれていった。飾りつけをされ、温かい家族たちの前に立派なツリーとして立つその姿はもみの木がずっと夢見ていたものだった。しかし、クリスマスが終わるともみの木はあっという間に装飾を取られ、埃っぽい屋根裏部へと運ばれてしまった。もみの木は、悲しみに暮れた。もみの木がずっと夢見ていた時間はほんの一瞬のようなひとときだった。そして、もみの木は屋根裏部で家族たちにも存在を忘れられ、ひとり寂しくすごしていった。もみの木は自分の一生を振り返り、早く大きくなりたいとたくさんのもみの木の中に囲まれて過ごした時間がどれだけ幸せな時間であったかを思い出していた。

たしか、こんな話だった気がする。この話には、先を急ぐことより今の時間と向き合っていくことの大切さが伝わってくる。ついつい、先のことに縛られて今この瞬間の自分を見ることを忘れてがちになる。たとえ、未熟な自分でもその未熟さ故の経験が大切だったと思う時期がいつかくる。そんなことを、思わせてくれる話なのだが、もみの木の最後があまりにも悲しくて、結構ショックを受けた記憶がある。だけど、童話にはそれくらい心に残る引っ掛かりのようなものがあるからこそ、教訓として長く心に留まるのではないかと私なりに勝手に解釈している。




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