色々な人に言われた大丈夫で今がある
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大丈夫だよと言葉をかけるとき、その人が本当に大丈夫だと思えるときと、聞かされたその状況で本当に大丈夫と言っていいのか迷ってしまうときがある。
でも後であの時そう言ってくれて嬉しかったと言われると、こっちまでほっとして気持ちが落ち着く。
その声かけは大丈夫だから大丈夫だと言っているのではなく、気持ちで支えたい、背中に手を置いて擦りたい、そういう意味でかける大丈夫なのである。
私は、何かにつけて自信が無い。ことあるごとに大丈夫だよ、を言って欲しい。心が遠くに行ってしまう時も、戻ってくる様にそう言って欲しい。
それでも不安感が大丈夫の盾を突き破ってしまいそうな時、ストレス回避の方法もなんとなくわかっている。
「神様に預けてしまう」ことだ。神様と言っても宗教ではなく、私の道を作ってくれている私の神様。私が彷徨っていてもその神様が必ず進む方向を微調整してくれている。そういう風にしんどい時は自分自身を俯瞰で眺める。この境地の時ははかなり大丈夫でない感じだけど、普段使いもちょこちょこOK。
因みにトマトの栽培の話だが、トマトは水を控えてストレスを与えたら粒は小さいが甘くなるという。ひとも程度ものだけどストレスを与えないと無機質できっと不味くなってしまうのでは。
と、偉そうに言っても今もまだまだ色々な人達の大丈夫に支えて貰いながら、なんとか毎日を安寧に過ごしているのである。
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大丈夫は力強い言葉なのだけど、実際その漢字もその通り。
丈夫に大がついて、もうこれはしっかりしているに決まっている。発音も濁点という重りのような点々が3つも付いていて座りが良い。たいしょうふ、ならこれはもうへたりでもこんでしまうしかない。
そして字体も左右対称でほんとにこっちへ来いとどんと胸を叩いて両手を広げて立っている。そして平仮名にすると、だいじょうぶはとてもしなやかになり、そっと横に寄り添ってくれている感じがする。
大丈夫と言えば一昔前、若林正恭さんのコトバが気になっていた時があり、発売されてすぐ買った本がある。今本棚から探してきて開いて見たら色々なエッセイに5、6枚の付箋が付けられていた。その頃きっと何かに悩んでいたんだろうなぁ。
その付箋を付けた中で、「大丈夫だよ」というエッセイがある。まだ下積み時代の彼の話である。
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短歌 )))
荷物置き
手ぶらでふわりと歩き出す
君の手に渡すロッカーのかぎ
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