おさかなかあさん

こどもとの日々に感じたあれこれ。忘れちゃうから、記録する。むすめ3歳、むすこ0歳。

おさかなかあさん

こどもとの日々に感じたあれこれ。忘れちゃうから、記録する。むすめ3歳、むすこ0歳。

最近の記事

シンプル

我が子達とお散歩をしていた時のこと。 下校中の男の子(小学校低学年くらい)に出会った。 私たちと小学生が近づいたときに、 「こんにちはー!!!」 と、その男の子が元気な挨拶をしてくれて、びっくりしちゃった。 私はすれ違うまで「挨拶しよう」なんてやたら意気込んじゃったり、「いや、怪しいかな?」なんて余計なこと考えたりしてたのにね。 元気な挨拶一言に、ものすごいパワーを感じた。 頭の中で考えていたあれこれなんて、その小学生がさーっと吹き飛ばしてしまうんだから。 人

    • 身近なものがおもちゃ

      最近は両面印刷のもの増えていると感じるけど、片面印刷のチラシはお絵描きに活躍する。 近所のおばあちゃんがチラシをとっておいて、お孫さんにお絵描きさせていたという話を聞いてから、より意識してチラシを使いたいと思うようになった。 折り紙にもなるし。 お菓子や食べ物の袋・パッケージはプラでも紙でも、はさみでキャラクターの部分とかを切ってあげたりすると、それでとても嬉しそうに遊ぶ。 その裏にテープを貼ってあげて、シールに変えて遊んだりもした。 身近なものがどんなものでもおもちゃ

      • としうえ

        3つほど歳の離れたおねぇちゃんや、ひとつ上のおにいちゃん。 追いかけて、真似して。 小さな体で、全身を使って。 年上の子たちを追いかける娘の姿を思い出しながら、振り返って書いている。 遊びながら体の使い方を学んでいくんだとこどもの姿を見ながら感じているけど、見ながら学んで、真似しながらできるようになるんだね。 そんな真似ることのできる存在が、こどもの成長には大切で必要だ。と再実感した。 近くに住む子たちと、たっぷりと遊べる幸せ。 その姿を笑いながら、ほほえみながら、

        • かんじるまま

          娘がソファや布団でごろごろとしているのを見ながら、気持ちよさそうだなぁと思う私。 かんじるままに行動するのが、ちーさなこどもの尊い姿だ。 まだおしゃべりというおしゃべりをしない0歳の頃から、音楽に合わせて身体を動かしていた娘。 そんな姿を見て、人ってもともと、歌うことや踊ることが好きなのかな?と思った。 私は自分自身を音痴だと思っていて、人前で歌うことや踊ることに恥ずかしさを感じている。 けど、音楽を聞くことは好きで、音楽に合わせて体が動いちゃったりすることもあるもん

          たのしーーんだもーん

          と言いながら、自分の鼻を強くつまみ続ける娘。 私から見たら痛そうすぎる。 ジャイアンのものまねをするときには加減なく胸をどんどこたたくし、[こぶたぬきつねこ]を歌いながらぶたをやる時の鼻の押しつぶし方も過激。 (きつねのところのツリ目は、目をものすごくつぶすから見ててこわいよ。) 私から見たらびっくりな力加減だけど、本人はへっちゃらだから、そんなに痛くないのかな。 少しずつ少しずつ覚えていくのかな、力加減というものを。 これは、娘が2歳の頃のはなし。 この力で押す

          たのしーーんだもーん

          草を食べるを見届けた先に

          娘が、1歳になる前頃かな。 広い芝生のある大きな公園に、家族で遊びに行った時のこと。 芝生を掴んで口に入れようとした我が子を見て「食べちゃだめ!」ととっさに思い、止めた私がいた。 「この草に毒があったらどうしよう!」 「まだ離乳食もそこまで進んでいないのに、こんなもの食べられるの?」 「あれ、私こういうとき止めるんだ?!」 色んな心配事や感情が頭にあった。 何が大きなきっかけだったかは忘れたけど、結果的にその掴んだ芝生を食べるのをそんな気持ちと共に見守った。 草を

          草を食べるを見届けた先に

          今思う、絵本。

          こどもと関わる仕事を目指していた大学生の頃も、それを仕事とすることができた社会人のときも。 こどもたちに絵本を読む機会はあった。  が、正直、当時の私は絵本を読むことに苦手意識をもっていた。 今になって思うのは、他者からの評価や反応を気にして、私自身があまり絵本を楽しめていなかったのだろうな、ということ。 実習であれば、先生やこどもたちの反応が気になった。 発達段階や季節に合わせて絵本を選ぶ必要があると考えていたし(もちろん大事だけど)、『自分が楽しい』と思えたり『読み

          今思う、絵本。

          明日

          私は、明日を楽しみにして眠れる娘のことを、尊敬しているよ。 明日ドーナツ食べる。 肉まん食べる。 そんなふうにその時の欲求を我慢して、翌日を楽しみにして待つことのできる感情、すごいなぁ。って。 我慢できずに駄々をこねて泣き続ける時も沢山あるけど、気持ちを自分なりに切り替えたりもしているんだよね。 早く寝なきゃおばけがくるんじゃなくて、早く眠ると早く朝が来るから、楽しいことがまた始まるよ。って思って眠ってほしいなぁ。 ドキドキと怖がらす言葉を使って早く寝かしつけようと

          今なんだ

          待たせることが多い。 娘を、私が。 これをしてからこれをしていいよ。 ちょっとまって。 〇〇してからね。    ………。 娘よ。 今、それがしたいんだよね。 こどもを甘くみてやしないか、と、自分に。 待ってくれるからと、こちら側の都合ばかりを優先して、我が子の気持ちにゆっくり向き合う努力をしていますか? こちら側の都合、もしかしたらどうしても今。じゃなくてもいいんじゃない? 洗濯とか夕飯仕込みとか。 ほんの少し、そちらを後回しにしてもいいときもあるのでは。

          肌着

          赤ちゃんの肌着を着せるのに慣れてくると、赤ちゃんとの日々に、すこーしずつ慣れてきたんだな、と感じる。 小さな体には小さいサイズの肌着でもまだぶかぶかで、ちょっと複雑なボタンのかけ方や紐の場所に最初は戸惑ったりして。 うちはおさがりばかり着せているからどれも大きめで、なおさら着せるのが難しかったり。 着替えや授乳、おむつ替えなど、何度も何度も繰り返すことの多い赤ちゃんの子育ては、繰り返すことで段々と慣れてくることも多い。  最近でいうと、愛用しているスリングの装着スピード

          たまねぎのかわ

          を、娘に初めて剥いてもらった、2歳後半の時のこと。 ここまで剥いてほしいと言わなくても、茶色い部分だけを剥いて私に渡してくれて、とっても感動したのを覚えてる。 教えなくてもできるのは、きっといっぱい見ているからで。 手に対して大きすぎる箸を持たせてみても、上手にそれっぽく使うから驚く。 私の考える「まだできないだろう」は私が思っているだけで、実際とは全然違ったりするよね。 見て学ぶ、まねぶ。 親や周りの人の姿から、学んでいるんだね。 私もあなたの姿から気づかされる

          我慢

          赤ちゃんが生まれ、おねーちゃんという存在に突然なった娘。 娘の存在が大切で大きいからこそ、娘にかまってあげられず我慢させていることに、娘に怒ったりイライラしている自分に、とってもイヤな気持ちになることが多々ある。 赤ちゃんの抱っこをしていると、娘の寝かしつけでいつもしていたギューができないことがある。 ギューを求めて娘は何度も言ってくるが「抱っこしてるからできない」とこちらも何度も断る。 立って抱っこし続けないと赤ちゃんが泣き続けてしまうから。 ギューしてほしいと何度も

          耳が痒いからまんぼうやってよ

          めんぼうを、まんぼう。 こどもの言い間違いの、なんとかわいいことか。 この間違える姿って、とっても愛おしい。 ぴーすの手の動きがなかなかできなかった娘、わりと最近できるようになって。 あっという間に指を一本ずつ足していって表現する『ぜろ〜ご』までの手の動きをも習得した。 じゃんけん(まだルールは理解していないけど)やぐーちょきぱーでなにつくろーとかが楽しめてしまう。   ぴーすのできなかった娘は期間限定で、今思えば、とても貴重な姿だったね。  もうぴーすのできる娘に進

          耳が痒いからまんぼうやってよ

          あまいもの

          おやつに買ってきてくれた人形焼。 色々な表情があるので、見ているだけでも楽しいお菓子。 そして、美味しい。 娘が前日から食べたいと楽しみにしていたので、朝食後のおやつとしてあげることにした。 (娘のすごいなと思うところは、次の日を楽しみにして『待つ』ということができるところ。) ただあげるのではなく、食べる前に顔真似をしてほしいと娘にリクエスト。 よーく観察して、人形焼の顔真似をしてくれた。 …面白い!!! よく見ている!! 人形焼で遊ぶの、楽しいね。 あまいもの

          ダッコ。

          -------- お腹の中にいた子は、無事に生まれてきてくれました。 当たり前にあるのではなく、奇跡と、多くの人の助けや支えで今があること。 忘れそうになっても、思い出すようにするよ。 ありがとう。 -------- 「娘のこと、いつまで抱っこできるんだろう。」 と、ふと思った深夜。 お腹にいた子が生まれ(息子)、授乳におむつ替えに寝かしつけにと、まとまった睡眠がとれず深夜も起き続ける日々。 睡眠不足は時に人を狂わす。と、上の子の深夜のお世話で痛感した私は、久しぶり

          上の子の存在

          現在、妊娠9ヶ月。 妊娠中に感じた上の子(2歳の娘)の存在についての記録。 お世話の大変さ つわりも重く他にも様々なことがあったため、おむつ替えや食事の準備など最低限やる必要のある上の子のお世話が妊娠初期からとても大変だった。 安静が必要な時期もあり、夫に仕事の休憩中一時的に家へ帰ってきてもらってそのお世話をお願いする日々がしばらく続いた。 匂いにも敏感になりおむつをなかなか変えることができず、当時布おむつだったことも更に影響しておむつかぶれを誘発させてしまったりもし