世界から「ファション」が消えたら
どうも、SOZO(ソウゾウ)です。noteにてファションイラストを投稿してます。イラストも楽しいですが、文章も楽しいなぁと。。。ということで、今回はファションとはなんのか、その本質を、見つけてみようという、企画です。
問1:もしもこの世から、「ファッション」が消えたら?
物語形式で思案することによって、ファッションの本質を解き明かしていきたいという試みです。
想像1:神様はファション文化をこの世から消し去りました。。。という妄想。
みな同じ格好をしていました。機能的なカットソー、ジーンズ、冬にはダウンジャケット。それだけ。みなそれだけしか着ていません。大統領から労働者まで、7大陸全ての人間が、80憶人が同じような格好をしていました。
気候の激しい地域もあるので、レイヤードという概念はありました。ですがみなが同じ格好になったために、重ね着しただけでは判別がつきません。どこの誰なのか。階級は? 年齢は? 職業は? どのような人間もファッションにしばられることがない、人生です。
ですがそこには「おしゃれ」という存在がありました。
想像してみてください。学生の頃。みな制服を着ていましたが、スカートの丈が短い人。腰履きをする人。ソックスの履き方ひとつとってもみても。体操着の重ね着の人もいましたね。そこには集団的な意識。区別意識のようなものから、自尊心のようなものまで見え隠れしていました。個性という区別が存在したのです。
うーむ、うーむ、神様は考えました。
神様はみな平等であってほしかったのです。
想像2:神様はサイジングから着方にまで、同じように見える格好を望みました。そして実行したのです。
ですがなぜかまだ「おしゃれ」という存在が残っていました。
それは清潔度でした。おなじような恰好をしても毎日洗濯している者、1週間洗わない者、労働環境によって汚れている者、接客業の為清潔にしているもの、さまざまです。
おしゃれは変動制がありました。まるでFXのようでした。基本的には清潔であることがおしゃれであっても、社会の変革。ライフスタイルで変化するのです。
例えば社会現象で一世を風靡したのがワイルドな人なら、不潔さがクールさに直結するので、一概に清潔さがおしゃれだとも言い切れませんでした。
想像3:神様は理解しました。ファッションは消せても、おしゃれを消し去ることはできない。
それは人間が集団の中で見出す「違い」だからです。
ですから神様はみなが平等であるために、逆の考え方をしてみました。
個性を創造する機会を与えたのです。文字通り機械を。
人類、総デザイナー計画を。
みな理想の自分を演出できるのなら平等だと。
人々のどこの家にも、洋服製造マシーンがありました。脳波を読み取ってデザインしてくれるマシーンです。ですが人々は見たことがあるようなパターンやシルエットの服装しか、着ませんでした。もちろんド派手な衣装を身にまとっている人もいますが、動きにくさがあり、機能性にすぐれていませんでした。
人々は毎日、毎日、デザインを考えるのに疲れていました。そこにビジネスチャンスがありました。マシーン代行です。ある代行屋がデザインした服が、クールだ、カワイイと評判になりました。みな同じようなデザインにしたがりました。そうして初のマシーンデザイナーが誕生したのでした。
ファションが誕生したのです。
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