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小説「ヘブンズトリップ」_16話

 短時間でも車のシートで寝るのはやっぱり背中がやられる。腰の近くまで圧迫されてピーン張る感覚がする。
 史彦は運転席にいなかった。夜はまだ明けていなく、外は闇世界。
 車から出ると、冷たい冷気が顔全体を覆う。ピタッと顔がこわばる。夜明け前の山の気温は完全に冬になっている。
 草むらの木の陰に立っている史彦の様子がおかしくて、目を細める。
 俺は歩み寄ってその疑問に思った行動に近づく。
 「おう、目覚めたか」
 ヒョイと木の陰から姿を現した史彦の手はちょうど社会の窓を閉め終わったところだった。
 なんだ、トイレか。史彦は用を足していただけだった。
 「ずいぶん寒くなってるな。もう行くか?」
 「ああ」
 俺は穏やかな声で言った。

 マークⅡの古めかしいエンジンは暗い山道によく響いていた。タイヤが濡れた路面を進んでいく。風はほとんど吹いていない。ヘッドライトの灯りだけが道の先を照らしている。
コンクリートは濡れて黒っぽく、闇の量を増加させているように見える。
 道路を挟むように森が存在して淡々と道路が続く。動物もすでに眠っているだろうから、もし出くわすとしたら本物の幽霊くらいだろう。
 史彦は無口だった。俺はそんな彼の横で顔をまじまじと眺めていて、気持ち悪がられた。
 窓ガラスについたままの水滴を通して外の景色を見ても、暗闇に茂る植物の影がゆらゆらと映るのみ。

 ガードレールが急に途切れたことに俺も史彦もおどろいた。何にも気配は感じない。
 広々とした駐車場を数本の背の高い道路照明灯が照らしているだけで、俺たちの以外の車は見あたらない。
 「こんな場所あったのか?」
 一本道だからという理由で俺たちはすでに地図を見ることを止めていた。だが、間違いなく道は一本のはずだった。
 周囲を林で囲まれているので抜けたきた道路の外側からはここは全然見えないだろう。
 ここから先の道がわからなくなった。
 休憩して走りだしてからまだそんなにたっていないのに行き止まりをくらってしまった。
 史彦が車を駐車してエンジンを切る前に俺は視線の先の光景に気がついた。
 「おい、何かあるぞ」
 自然と目を細めていた。その一本で照明のみで照らされている百メートル以上先の光景は林ではなく芝生の領域になっていた。
 俺と史彦は車から降りて、すぐに確かめるためにその方向に向かって歩き出した。
 コンクリートの地面が終わると、夜の草原が目の前に広がった。
 すぐに目に飛びこんできたのは草の上に、要塞のように姿を現したジャングルジムだった。
 「ああ、なるほど。ここアスレチックなんだな」
 史彦は納得したように言った。
 草の下の土はふんだんに水を含んでいて歩くには十分注意が必要だった。
 雨による水滴で覆われたくたびれたジャングルジムはひとの手によって鎖が掛けられて、その機能を封じられていた。あたりには他にも滑り台やタイヤが吊るされた遊具があった。
 状況から、雨が降っているので禁止されているのだというのが予想できた。
 芝生の先は高い丘になっていてそこまで登らなければ、反対側は見えないようになっているので、俺と史彦は濡れた地面をピチャピチャと音を立てて進んだ。途中の水たまりを上手に避けないと靴に水が浸水してきそうだ。 
 ちょっとだけ息を切らしながら、明け方の冷たい空気の中で俺たちは立ち止まった。
 「ふう」
 史彦も俺も息を漏らした。歩いたことで体温が上昇したおかげで冷たい風が気持よく感じられた。
 「これくらいの高さなら、魔女の姿も確かめられるんじゃないか?」
 史彦は笑ってる。
 それを見ても俺も笑う。
 「魔女はいなかったな」
 意味もなく進んできた旅路は終わりを迎えようとしていた。
 「魔女探し」なんていうのは遠くに行くための目的であって、最初から本当に探そうなんて思っていなかった。あの雑誌の記事も信用していなかったけど、それがここまで俺を動かしてくれた。
 俺は車が置いてある駐車場の方角を見ながら、病院を抜け出してからここまでの出来事を思い返していた。しかし、史彦は反対の方角を向いていた。

 「風邪引く前に帰ろう」なんて言葉をかけようとしていた俺より先に、史彦の低くうなった声が耳に届いた。
 「あっちの方に道が続いてるみただぜ」
 俺の反応なんて待たずに史彦は歩き出した。
 アスレチックの行き止まりも林が繁っていた。水をかぶっているような森はやはりどんよりと人を寄せつけない雰囲気だった。
 俺は急ぎ足の史彦を追いかけようとした際に足場の悪い土を踏んづけてしまい、靴の中に水が染みこんできた。
 立ち止まった史彦は瞬きをせずにまっすぐに道の先を見ていた。
 俺も気づいた。
 森への道はまだ続いていた。

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