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反日のエロス~日韓関係とSM共依存(前編)

ある手紙

 ある妙齢の婦人からお手紙をもらいました。とはいっても、私がフリーの編集者としてSM系マニア雑誌の制作に携わっていたときのことですから、25年も前の話になります。
 水仙の柄のすかしの入った水色の封筒にある差出人の下の名前は「寿美子」。当時としても古風な名前ですし、おそらくは変名で、彼女のパートナーがつけたものでしょう。この手の雑誌に女性名で手紙や投稿してくる場合、筆跡が明らかに女性のものであっても、その横にパートナーの男性がいて、あれこれ指示して書かせているパターンがほとんどです。「ご主人様にあんなことされました、こんなことされました」などと手紙に書き綴ることもまた、二人にとってのプレイの一貫というわけです。封を開けると、手紙の他に数葉の写真が同封されていました。写真の一枚目を見ると、なるほど、彼女のパートナーが「寿美子」と名づけたくなるような、色白の瓜実顔の和風美人が寂しげな笑みをたたえています。年の頃は30を少し越えたくらい。職業はイベントコンパニオンとのことでした。そして2枚目の写真。私は思わず息を呑みました。画面いっぱいに広がる彼女のなで肩の白い背中の右ほぼ中央に、紅鮭色のミミズが大きく這っていて、それはかろうじて人のイニシャルであることがわかりました。彼女の"ご主人様"が手ずから針の先で彫り上げた所有の刻印です。
 案の定、手紙には、「寿美子」さんとパートナーの密室でのさまざまな儀式の様子がこと細かく記されていました。それによると、彼女の"ご主人様"……イニシャルでいえばK・T氏(以下ミスターK)は、彼女を他の男に抱かせ、その狂おしい嫉妬の情念を愛欲に変えるタイプのサディストのようでした。このタイプの性癖の持ち主は決して珍しいものではなく、たとえば、『O嬢の物語』で、O(オー)を禁断の館へ誘う恋人ルネがそうです。もっとも当のミスターKからは、「わしはステファン卿の方じゃ」といわれるかもしれませんが。後編で触れる「小口末吉の妻」事件は、この性癖が極端な形で現れた特異例といえます。他に、どこで手に入れたのか金属製の貞操帯や当時はまだ珍しかった性器ピアスをつけた「寿美子」さんの写真もありました。
「寿美子」さんが他の男に抱かれるたびに、K氏は「おしおき」を兼ねて、彼女の白魚のような体に何かしら所有の印を残すのだそうです。それにしても、コンパニオンという仕事柄、着替えなどの機会も多いでしょうし、背中のイニシャルや体に装着した金属類を同僚に気づかれなかったかと、こちらの方が心配になりましたが、そういったスリルがまた快感なのかもしれません。マニアの世界は奥が深いのです。

竹島の哀れな姿

 ここで話は急に変わります。
 あれだけマスコミが騒ぎ立てていた韓流ブームなるものが終焉し、それと同時に、まるでビールの栓を抜いたかのように一気に噴出したのが、日本人の嫌韓の感情です。それまで、嫌韓というのは、ネット中心のムーブメントでした。シリーズ公称総発行部数は90万部といわれる山野車輪氏の『マンガ嫌韓流』もその延長線にあるだけです。なぜなら、『マンガ嫌韓流』は発刊当事、大手新聞が広告の掲載を拒否しています。つまり、嫌韓は当事、アンダー・グランドなものだったのです。「韓国が嫌い」を公言するのはむろんのこと、真っ当な韓国批判さえ公の場では口にしてはいけないという空気がまだまだ支配的でした。
 第2次嫌韓ブームとも呼ぶべき(?)近年の流れは、明らかににそれとは趣きが違います。文春や新潮といったメジャー週刊誌やテレビ(といってもまだ限定的ですが)という明らかにオーバー・グランドなメディアが、韓国批判の特集を組み出したのです。また、それらは読者や視聴者の反応がいいと聞きます。この現象、嫌韓の顕在化、メジャー化ともいえるかもしれません。
 今回のこの嫌韓ブームの火つけ役となったのが、李明博(イ・ミョンバク)韓国大統領(当時)だといわれています。李氏は政権末期の2012年8月10日、現役の大統領として初めて竹島に上陸、返す刀で8月14日には、「日王(天皇)が訪韓したければ、独立運動家の墓の前に土下座しろ」と発言、これに対し多くの日本人の怒りが臨界点を超え、あちらこちらで核分裂を始めたのです。知人で韓流タレント雑誌を出している某出版社の営業部長も「あれ(李氏の竹島上陸)以来、雑誌の売れ行きがめっきり売り落ちた」と肩を落としていました。韓流の聖地と呼ばれた新大久保は閑古鳥が鳴き、TVからは韓国タレントの姿が消えました。反日にトチ狂うあまり、反日不感症となってしまった韓国が、ついに一線を越えてしまったというところでしょう。
 竹島の岩肌を削り「韓国領」と大きく彫られた文字を撫でさする李大統領の姿は日本のメディアでも大々的に報じられました。私は、あの「韓国領」の文字を見るたびに、「寿美子」さんの背中に踊るケロイド状のK・Tのイニシャルを思い出さずにいられないのです。

「韓国領」と彫られた岩肌を撫でる李明博。

 韓国では竹島のことを独島(ドクト)と呼びます。韓国人は「独島愛」という言葉が大好きです。ちょっと検索しただけでも、「独島キャンペーン」、「独島愛コンサート」、「独島愛カフェ」、「独島愛リレー」などの珍妙な単語がそれこそ無数に目に飛び込んできます。
 そんなに愛してやまないはずの「独島」の岩肌に、文字を刻み込み永遠に修復不可能な傷跡を残すことの意味が、私には今ひとつよくわかりません。日本がもし同じ立場であったとしても、せいぜい「日本領土」を示す小さな碑かプレートを建てるに止まるでしょう。岩肌の文字だけでは飽き足らず、韓国は竹島にヘリポートや船着場を作り、武装警官を常駐させ、さらに観光用のロープウェイを引き、この後、ホテルの建設も予定されているとか。明らかに日本に対する威嚇行為(韓国側からすれば、防衛行為)です。
 島の景観や環境の保全などどうでもいいということらしい。これが彼らのいう「独島愛」の実態なのです。私には、あの小さな島に次々と建てられるコンクリートの建造物が、まるでサディストの愛人の手によってほどこされた貞操帯や性器ピアスの類にさえ見えてくるのです。「これも愛なのだ」、と言われれば、「そうなのかもしれませんね」としか答えるしかありませんが。

竹島に次々と現れる建造物。それは醜いコンクリートの貞操帯だ。

「独島=妻」論の奇怪さ

 日本は竹島の領有権に関してこれまで何度もハーグの国際司法裁判所での決着を打診してきましたが、韓国側はこれを拒否し続け今日まできています。04年1月の記者会見で、盧武鉉(ノ・ムヒョン)大統領(当時)は「独島が韓国領であることを証明しろ? 私が私の妻をなぜ他人に向かって証明しなければならないんだ」と発言し、改めて国際司法裁判所への出廷の意思がないことを明らかにしました。
 なんだか子供の屁理屈を聞かされているかのようですが、冷静になって考えれば、この「私の妻」という比喩自体、日本人の感覚からすればちょっと異様な響きがあるのも確かです。
 実は「独島(竹島)=私の妻」論は、盧武鉉が元祖でなく、およそ45年も前、第6代国会外務委員会で当時の李東元(イ・ドンウォン)外務部長官が持ち出したのが最初だといわれています。彼は日韓基本条約調印の韓国側の使者だったことでも知られており、年配の韓国ウォッチャーの中には、その名に記憶のある人もおられるでしょう。李氏の発言時、野党の一議員だった金大中(キム・デジュン)氏(のちの第15代大統領)は、「長官の発言としては品位に欠ける」としながらも、「あえてその喩えを使わせてもらうなら、見知らぬ男が私の妻を自分の妻と主張するようなことがあれば警告して怒鳴るべきことではないか」と述べています。金氏も「独島=妻」論の信奉者だったようです。
 また、漢陽大学の愼鏞廈(シン・ヨンハ)漢陽大学碩座教授(当時)(註・碩座教授とは寄付金で研究活動をするよう大学が指定した教授)も「もし、戸籍上に登録された自分の妻を、隣の家の首相が自分の妻だと世界に妄言をするとすれば、そのつど、『その主張は妄言であり、彼女は私の妻だ』と主張するのが正しい」(朝鮮日報04年1月15日付)と同様の発言を残しています。
 政治家や学者だけではありません。『殴り殺される覚悟で書いた親日宣言』の著書で知られるタレントの趙英男(チョ・ヨンナム)氏は、自著の日本版発売を記念しての産経新聞(05年4月24日付)のインタビューで、「(竹島問題、教科書問題で)冷静に対応するなら日本の方が一段上」と答えた部分が「親日的」だと韓国国内で非難の的になるや、聯合ニュースのインタビュー(4月25日)に答えこう弁明しています。「これについて話したとき、次のような例を挙げた。もし、自分の妻に対して誰かが『私の妻だ』と主張をしたとしよう。この場合、二通りの反応があるはずだ。1つは『気でも狂ったのではないか』と無視してしまう人、そして、そいつを叩きのめす人。私は無視してしまうタイプだ」。言っていることの意味はよくはわかりませんが、殴り殺される覚悟が足りなかったのは確かなようです。

日韓基本条約締結で握手する李東元外務部長官(左・日本の外務大臣に相当)と椎名悦三郎外相。日韓のSM共依存はここから始まった。

 これらからわかるように、「独島=妻」は、韓国ではわりとポピュラーな表現なのです。
 最近でいえば、東亜日報(2013年2月23日付け)が社説で、同月22日の「竹島の日」に島尻安伊子内閣府政務官(次官級)を政府代表として出席したことを受け、「独島は、韓国人にとって、ただの小さな無人島ではなく、苦しい植民支配の胸の痛い象徴であり、忘れたい歴史の序幕に登場する忘れることのできない恋人のような存在だ」 という言葉で日本政府を非難していたのが印象的でした。妻と恋人も意味するところは同じでしょう。
 独島(竹島)=「私の妻」であるならば、その竹島の領有を主張する日本は、韓国からすれば、他人の妻を寝取ろうと狙っている不埒な男ということになります。男にとって自分の女房を他の男に奪われることほど屈辱的なものはありません。儒教的男性原理社会にあり、今なお姦通罪が存在する韓国(但馬註・2015年に廃止)においてはさらに強烈な意味があるかと思います。

韓国は日本の竹島武力奪還を望んでいる?

 そもそも竹島問題がここまで大きな騒動になった原因の多くは韓国にあるといって差しつかえありません。日韓基本条約締結において、最後まで懸案として残っていたのは竹島問題でした(いうまでもなく、慰安婦問題などこの時点では影も形もありません)。当時、朝鮮労働党(北朝鮮)と友党関係にあった旧社会党などは、竹島問題が解決しないうちに韓国との国交樹立はありえないという立場を取っていたほどです。もっとも、その後の社会党=社民党の竹島問題に対するスタンスを見ると、建前論に過ぎなかったのは明らかですが。結局、日韓ともどもこの件は平行線に終始し、条約締結に際しては、問題を棚上げするという密約が両国間の間で結ばれたのです。
「両国は相互に領有権の主張を認め合い、互いに反論する場合には異議を唱えない」とした上で、「日本は軍事を含めた物理的行動に出ない」「韓国は島に人造物を建てたり人を常駐させない」という取り決めがなされました。今後は領土問題よりも漁業問題として協議するという暗黙の了解をもって政治決着がなされたのです。この密約を韓国が一方的に破り、突如島の要塞化を始めたのは、金泳三(キム・ヨンサム)政権下の1993年のことでした。むろん、漁業問題の方も一切の進展はありません。

金泳三。初めての文民大統領として期待されるが、経済音痴が祟り自国を「IMF危機」と呼ばれる経済危機に陥れた。政権運営のために反日を積極的に利用した最初の大統領でもあった。

 あの悪名高き河野談話にしても、「軍の関与を一部認めてくれれば、今後、この問題を政治問題化しない。一切の金銭的要求も生じない」という韓国側の"甘言"等によって作文されたということは先の石原信雄元官房副長官の国会での発言(2014年2月20日)でも明らかにされています。韓国側の言い分を呑み談話を発表した結果、どのような事態となって返ってきたかは、ここに記すまでもありません。日本側が得たものといえば、韓国という国とは、いかなる密約、紳士協定、談合、男と男の約束、の類は結んではいけないという教訓ぐらいのものでしょうか。
 それにしても不思議です。竹島密約を守ることでむしろ利を得るのは韓国の方なのです。日本の領有権主張を適当にいなし続けながら、実行支配を続けていけばいいのですから。無意味に騒ぎ立てし続けたために、普段は領土問題にさほど関心を持たない日本の一般国民にまで問題が知れ渡り、日本政府も態度を明確にさせなければならなくなったのです。いっそ、このまま騒ぎを拡大させ国際的に竹島が紛争地域であるよう認知させてもらった方が日本にとってありがたいことかもしれません。通常、領土主権を叫ぶのは領土を不当に占拠された側であって、占拠している側が騒ぐというのは実に不可解といえます。つまり、韓国にとって竹島問題は、通常の国際社会の論理では読み解くことのできない、非合理的で、ひどく情念的な、もうひとついうならば、性愛的な部分に係わる問題と化しているのではないかと思えるのです。
 韓国の「私の妻」論を拝借して私なりに論じれば、隣に住む日本という男が、なかなか「妻」にちょっかいを出してくれないので、自分の方から「お前、うちの女房と寝たいんだろう!」「俺の女房を狙っているな!」と大騒ぎをし、「このままでは日本に女房が寝取られる」と被害妄想をふくらませ、可愛い「妻」に貞操帯やらピアスやらを施し、後戻りのできないまでに体を改造してしまった変態亭主――それが韓国ということになります。
 彼の中で「妻を寝取られる」という恐怖と「寝取られたい」という願望が複雑に絡み合っているのです。もしかしたら、韓国は日本による実力行使を含めた竹島への物理的アプローチを意識の底では望んでいるのかもしれません。野蛮な倭奴に「妻」が陵辱される姿を想像して興奮の高みにあるのです。竹島の日の制定や、教科書への「固有の領土」の記述といった、日本にしてみれば、内政にすぎない問題に、まるで宣戦布告されたかのような過剰な反応を見せるのも、彼らの目に実は、それらが生ぬるい"挑発"と映るからに他なりません。兵士を竹島に上陸させるぐらいの強行な姿勢を見せて、初めて彼らは怒りと恐怖のエクスタシーに到達できるのです。竹島の現状維持は彼らにとって射精不全の生殺し状態といっていいでしょう。

トリオリズムとは

 愛する(あるいは崇拝の対象である)女性が第三者と関係することを夢想したり、三角関係の嫉妬に身を焦がすことを悦びとする、あるいは、自分と恋人(妻)の関係に第三者の男を引き込もうとする男性マゾヒズムの類型を「トリオリズム」(Triorism)といいます。
 谷崎潤一郎やザッヘル・マゾッホの作品の根幹をなす要素です。谷崎作品では『鍵』、『痴人の愛』、『蓼食う蟲』などが挙げられますし、マゾッホの『毛皮を着たヴィーナス』はまさにこれです。実際、谷崎はよく知られているように、最初の夫人である千代夫人を介して親友の佐藤春夫とトリオリズムの関係にありました。意外な作品では、ツルゲーネフの『初恋』もこのカテゴリーに入れていいかもしれません。自分と崇拝対象の女性、主人公の父親のトライアングルな関係が描かれているのですが、それぞれが支配と従属という縦糸で結ばれている点で、SM的な視点で読み解くことのできる作品です。
 また、芥川龍之介の『藪の中』はトリオズムを語る上で貴重なテクストかと思われます。作品の主要登場人物は、侍・武弘、その妻・真砂、盗賊・多襄丸の3人です。盗賊が夫の目の前でその妻を陵辱するという衝撃的なシークエンスを軸に、事件の細部に関して盗賊、夫の死霊、妻の証言がそれぞれ食い違い矛盾し合い、真相は読者にもわかないという内的多元焦点化の構成を取っています。それぞれの証言を並列に扱っているため、他人の妻を犯すサディズムの視点、妻が目前で第三者によって陵辱されるというマゾヒズムの視点、さらに、犯される人妻の視点が用意されており、それぞれに感情移入が可能です。ちなみにSM小説の大御所・団鬼六氏はこの『藪の中』を自身の原風景的作品に挙げています。
 パートナーの不貞が発覚したときの男の行動はかなり類型的です。順番としては、1・問い詰める(責める)。2・ベッドに押し倒す。です。人によっては1をすっ飛ばし、いきなり2に行く場合もあるでしょう。とにかく、妻の体に残っている他の男の臭いを自分の臭いで上書きし消してやりたいと思うのだそうです。ここまでくると、動物的なオスの本能に係わってくるのかもしれません。私の知っている数人のケースに限ってですが、妻に不貞されたという男性のほぼ全員が、その後行為に及び、「悲しいが、いつもより燃えた」、といっています。スワッピング(夫婦交換)愛好家の心理はこれに近いものがあるのでしょう。

黒澤映画の不貞

 黒澤明監督の名作『羅生門』(50)は今いった『藪の中』を原作としています。ご承知のように芥川には『羅生門』という題名の別作品もあり、子供のころ映画を観たときずいぶんと混乱したものです。
 余談ついでにいえば、これは意外と指摘する人がいないのですが、初期~中期の黒澤映画には『羅生門』を含め、女性の不貞がたびたび描かれてきました。『酔いどれ天使』(48)では、結核持ちのヤクザ・松永(三船敏郎)の情婦・奈々江(木暮実千代)が松永を捨て兄貴分の岡田(山本礼三郎)とねんごろになります。『七人の侍』(54)の百姓・利吉(土屋嘉男)の女房(島崎雪子)は野武士たちとよろしくやり、『赤ひげ』(65)の保本(加山雄三)は許婚を他の男に寝取られ、ふて腐れているという設定でした。同作品には、女房と娘婿との不義の関係を知りながら、それを胸にしまいつつ臨終を迎える老人・六助(藤原釜足)も登場します。

黒澤明監督『羅生門』(50)。ヴェネチア国際映画祭グランプリ受賞。日本映画を世界の檜舞台に上げた功績はあまりに大きい。

 これらのシークエンスや人物設計に、黒澤本人の実体験や女性観がどこまで反映しているのかは知りえませんが、続く『どですかでん』(70)では、浮気好きの妻が生んだ他人の種である子供たちを「みんな父ちゃんの子だ」と、すべてを容認して愛情を注ぐ人のいい職人(三波伸介)が登場したり、兄弟(井川比佐志・田中邦衛)夫妻の牧歌的なスワッピングが描かれたりと、その強烈な色彩の印象(同作は黒澤初のカラー作品)もあいまって、性に関してはそれまでどちらかといえば禁欲的で女嫌いという評判さえ立っていた黒澤明が、この作品をきっかけに何か吹っ切れたかのような印象を受けました。これ以降、黒澤作品から「不貞」は消えます。いろいろな意味で『どですかでん』は黒澤明の分岐点であり、再評価が待たれる作品です。
 それはさておき、韓国の独島愛なるエモーションには、トリオリズムが内在しているという私の説明は一応ご理解いただけたかと思います。

(後編に続く)

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(初出)『韓国呪術と反日』(青林堂)

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