見出し画像

私はおろしハンバーグを、やめる

それは唐突な実感でした。なんだろう、今までの私はおろしハンバーグのような斜に構えた記事を書いていたような気がすると思ったのです。いつからか過去の自分を癒すために書くようになっていたと気付きました。

果たして私はそういった方向性のものを書きたくて、このnoteをやっていたのだったかとしばらく考え込みました。


米津玄師、久々の降臨

先日真夜中に菅田くんのラジオがやっていることをフォロワーさんの呟きで知りました。ゲストは私が大ファンである米津さんです。後日二人のトークをわくわくしながら聴きました。すると米津さんが冒頭にある「おろしハンバーグは斜に構えている」というような発言をしたのです。

そしてその後の言葉に私は深く感銘を受けることになりました。「ケンタッキーとかチーズハンバーグカレードリアみたいな誰でも好きになるようなものが最強だし、そうなりたい」のだと。私に今までずっと足りなかったものはそれだ!と思いました。

米津さんは最初のアルバムで自分の一番いいと思うもの、世界観を詰め込んだそうです。以降は「誰かに届けたい」とか「普遍的なものを作りたい」とか、最近では「笑いの要素が入っているものっていいと思って」とだんだん音楽への姿勢も変化してきています。

「変わっていくことは、美しい」

米津玄師2018年 LIVE/Flamingoにて

今回まさかチーズハンバーグカレードリアなんていうパワーワードが出てくるとは思いませんでした。なんておいしそうなんだ――じゃなくて。


自分のための美しさだった

そのときに私は数か月前まで「普遍的な、それでいて本質的なものをすくい上げるのが美しい」と思っていた自分を忘れていたことに気付きました。最近の私は自分の痛みに寄り添うことを優先しすぎて、客観性を完全に見失ってしまっていたのです。

美しいものとは、自分にとってのみ美しいものであってほしい――もしそう思うのならどんどん私の世界が狭くなってしまいます。

どういうことが書くとよくなくて、どういうことなら受け取ってもらえるのかをたまに分析しています。大体数字的にも関係があるのは、文章に私の持っている過去の痛みがどんな形で入っているかなのだというのはわかっていました。

私自身はそういった人生を長く送ってきたので、ある程度入っていても違和感がありません。けれども、そうでない方にとってはきっと後ろ向きな文章に見えていたことでしょう。


それなのに今も見に来て下さっている読者の方、本当にありがとうございます。これからは過去の痛みをただ見せるような記事よりも、もう一歩前進した記事を書いていけたらと思います。

その方向性がまさに米津さんの口にしたチーズハンバーグカレードリアという表現だったのです。

自分でも影響されすぎているような気もしますが、やっぱり米津さんがいうことは自分に刺さる真理だと思っています。俗にいうメンターというやつでしょうね。


ハンバーグは何も悪くない

ということで米津さんのハンバーグの話から少しぶっ飛んだメッセージを受け取ってしまった気もしますが、誓って言います。おろしハンバーグは何も悪くありません。私はおろしハンバーグ、大好きです。ポン酢で頂きます。

逆にチーズハンバーグカレードリアというものを食べたことの方がありません。存在していることも知りませんでした。チーズハンバーグはわかるのですが……さすが米津さんの語彙力といったところでしょうか。

今検索してみたのですが、チーズハンバーグカレードリアというものは実在していました。デニーズです。なんておいしそうなんでしょうか。チーズハンバーグってだけで最高なのに、カレーとドリアまでついてくるとは。


うまくまとまりませんでしたが、今回の菅田くんと米津さんのトークを聴いていて、なんか自分のnoteにおけるすごく大きな転機をもらえたと感じた話でした。

「原点回帰を」「自分の好きな記事を」「美しい文章を」と今までいろんなことを言ってきましたし、これからだって迷うこともあるかもしれません。それでも、今後もお付き合い頂けたら嬉しいです。


ここまで読んで下さってありがとうございました。



この記事が参加している募集

最近の学び

サポートして頂けるととても励みになります🙌頂いたサポートは元気をチャージしていくことに使っています🔥