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学校のMeeting for Worshipに参加しました

知識編3でも触れた通り、クエーカースクールでは学校主催のクエーカーの会合(Meeting for Worship)が開催されますが、保護者の参加も許されています。コロナ下では保護者が学校に立ち入ることができず、学校でもしばらく様々なイベントを自粛していたのですが、この9月から始まった新学期(アメリカでは新学期は9月にはじまります)ではいろいろなことが通常に戻り、保護者もイベントに参加できるようになってきました。そこで、わたしも今学年最初の大規模なMeeting for Worshipに参加してきました。

クエーカーの学校にはMeeting for Worshipを開催するミーティングハウスといわれる建物があり、普段はその中で行われるのですが、今回はコロナ後初の開催であることと、たくさんの保護者が参加するのが見込まれたため、学校の校庭の芝生エリアで行われました。

一般的なミーティングの建物 演説台などがないのが特徴
By Smallbones - Own work, Public Domain, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=10011336

参加者は四角に向き合った形を作って芝生ににすわります。特にリードする人がいないのがミーティングの特徴です。息子のクラスの先生が、親が来ている子供は親と一緒に座るように促してくれて、私も子供と一緒に座りました。もう少ししたら、「離れて座れよ」とか「学校に来るなよ」とかっていわれるんだろうなあと思いつつ。まだまだかわいいとしごろです。ま、来るなと言われても行くけど。

ミーティングが始まると、私語は一切禁止。とはいえつつきあったり、芝生をいじったりしている子たちはたくさん居て、瞑想状態とはいいがたいです。私は普段仕事やらなにやらに追われ、こういった機会はなかなかないので、呼吸に集中するなんちゃって瞑想をやってみました。瞑想しなれてないのでやっぱりどうしても雑念が出てきてしまいましたが、秋の天気がいい日だったのでとても気持ちが良かったです。

しばらくすると、皆に向かって話しだすひとがでてきました。クエーカーのミーティングはそんな感じで、話したいとおもったら、話したいことを好き勝手に話すんだそうです。無理やり話す必要はありません。20分くらいでミーティングはおわり、会合はお開きになりました。

子供に聞いてみると、普段のMeeting for Worshipでは、生徒がクラスごとにクエーカーの価値観に基づいた「質問」(Query)を準備し、ひと月ごとくらいに、順番にミーティングの中でそのことについてみなで静かに考えるんだそうです。「質問」の例としては:

  • AAPI月間(アジア・太平洋諸島系米国人の文化遺産継承月間)に、どのように平等という意識を作り出せるか。

  • お互いに話すこと以外に、コミュニティを作り上げるには何が有効か。

など、小学生にしては難しいお題ばかり。そして明確な答えはないようなものばかり。これを生徒が準備したんだからおどろきです。

また、クラスごとに一週間に30分はリフレクションジャーナル(自分が思ったことを書く日記)を書く時間があるそうです。

私は日本で周りに合わせるカルチャーで育ってきたので、まわりの空気を読んで打たれないように行動するスキルは得たものの、自分が何を本当に好きで、欲しくて、やりたいのかなどを考える機会がなかなかなかったように思います。

でも実際自分の幸せは自分の尺度ではかるもので、自分が感じるはずのもの。他人や世間の尺度が自分に合うわけではないし、それは自分を幸せにはしてくれません。そういった意味では小さいころから自分がどう感じているのかに敏感になることは、人生の指針となるとてもいいスキルなんだろうなと思います。


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