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【小説レビュー】地獄のように完璧な夏 -『UFOの空、イリヤの夏』


泥沼でもがいている夢から覚めると、汗の沼の中だった。なぜかエアコンが切れている。背中の感触で、寝相の悪さでエアコンを切ったと悟る。昨夜寝る直前に飲んで冷蔵庫にしまい忘れたポカリが、机の上で白く濁ったお湯になっている。

時間がない。

せめてもの抵抗に帰ってくる時間には部屋が冷えているようクーラーのタイマーをセットし、なにか飲もうとポカリか水道水か迷い、手に取ったペットボトルのカエルの卵みたいなぶよっと生暖かい感触に怖気づいて水道水にする。風呂の残り湯みたいなぬるい水を飲み干し家を飛び出すさなか、三角コーナーの隅で黒い何かが動いたような気がしたが、見なかったことにする。

出勤。

蝉時雨よりも蝉スコールのほうが合っているような大歓声に出迎えられて会社へ向かう。夏は生命の盛りの季節とか言うけど、嘘ではないかと思う。だってほら、ミミズが道路で干からびている。蝉だって、元気なんじゃなくて断末魔なんじゃないのか。死の気配に抗おうとして光る命たちのフェスが夏なんだ。蛍もさもありなん。

帰宅。

なぜか熱気がこもっている。タイマーをセットしたはずだぞ!? 三角コーナーを見ないように部屋へ入ると、そこはサウナであった。サウナの中心に鎮座なさるリモコン様のご宣託によると、暖房をセットしていたらしい。汗をかくのは美容にいいしとポジティブに考えながら暖房を切り、窓を開ける。サウナが広くなった。蚊に刺された。死にたい。


これは私が過ごした最悪の夏の一日の記録である。
夏は出会いの季節というけど、虫にばっかり好かれる生活。ちくしょう。だから外に出たくないんだ。
まあここまで汚くはなくても、運命の相手と出会うような完璧に美しい夏というのは、現実にはそうそうない。映画や小説の中にしかない。たとえば、『UFOの空、イリヤの夏』みたいな。

UFOが出ると噂される都会でも田舎でもない町に住む少年と、転校して来た奇妙な少女・イリヤのひと夏の交流を描いたこの小説は、完璧なボーイ・ミーツ・ガールの青春だ。ネタバレしたくないので詳しく書けないけれど、竹取物語に似ていると思う。主人公の少年は、月の軍勢を前にした竹取の翁のように無力だ。勝手に与えられて、なすすべもなく取り上げられて、それでも、もがいてあがいて、天の羽衣だけはイリヤに着せずにすむような、イリヤに自分のことを覚えておいてだけはもらえるような、そういう話だ。


じゃあバッドエンドなのかというと、そうでもない、と思う。
「恋の成就=付き合う」という行為において起こるディズニーに行くとか指輪を贈るとか同棲するとかそういうイベントはドライフラワーのように恋愛を生活の中へチューニングする手法であって、根本的には相手を自分の腕の中に抱きとめたその一瞬が、私は恋だと思う。だけどもちろん相手を永遠に抱きしめておくことはできず、朝は来て仕事が始まり二人は離れ離れになるわけで、生活の中で不満は募り、やがて二人は別れる。

恋は実った瞬間に終わり始めている。満月が欠けるしかなく、盛りの蝉が死ぬしかないように、結合の先には別れの予感が待ち受けている。だから、新海誠監督の映画は完璧には出会わないのだ。二人の物語を、永遠の可能性へと引き伸ばすために。

『イリヤ』も、そんな物語だ。離れ離れに蝉の声を聞きながら、お互いの体温のぬくもりを永遠に胸に抱き続けるような。

『イリヤ』を読み終える。カーテンをめくる。『イリヤ』に出てくるみたいに完璧な入道雲が昇っている。ちょっと外に出て、夏を感じてみようかと思う。そんな小説です。できれば夏に読んでください。

『イリヤの空、UFOの夏』(電撃文庫)

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