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乃木坂46"5期生"版 ミュージカル「美少女戦士セーラームーン」2024 Team MOON感想 #乃木坂46版セラミュー

(追記)

4月29日の千秋楽公演(12:00~)が楽天TV・Huluで配信!
アーカイブ配信は2週間(〜5月12日(日) 23:59)!
絶対に観よう!

(ここまで)

観てきた。4月25日(木)マチネである。

情報解禁からのなんやかんやはSTARの方の感想で軽く書いたとして、やはりチケットがかなり厳しかった。STARは最初の先行でどうにか1回分取れたが、MOONはそれで落ちるわ別の先行でも落ちるわまた別の先行は見逃すわでもう何が何だか頭がオットセイ。機材解放席をどうにか掠め取ることが出来たものの、あわよくば複数回観たかった……いや1回でも見れて本当に良かった。

感想を書く!

一応「※ネタバレ注意」でお願いします。


乃木坂46キャストについて

井上和(セーラームーン/月野うさぎ)

誰がどう考えても井上和ちゃんはうさぎちゃん役でしかありえなかったと思う。それはそれで残酷な話だが、「主役ポジション以外に配置しようのない存在」とでも言おうか。

それでいて、いざ舞台上の姿を観てみたら、それはそれは超最高だった。ちょっとクオリティの高すぎる芝居であったのだが、いやしかしそれは和ちゃん自身の人間性・存在感が現れていたという以上に、彼女から溢れる「気分」が手に取るようにわかり、そして今回の月野うさぎちゃん像をよりよくする鍵であった。

そもそも彼女、TeamSTARの菅原咲月ちゃんまで含めたこれまでの乃木坂46版セラミュの月野うさぎ役としては、明るくておちゃらけた「ふざけたがり」の部分が薄いように思う。彼女は積極的にボケるよりは、ツッコミかイジラれ役だ。「うぇっへへへ~ん」と笑ったり泣いたりすることも無い。

そういう意味では「元気でドジで甘えん坊なうさぎちゃん」とは最も距離があったキャストである、と評することも出来る。甘えん坊なところはなくもないようだが、いつの間にか横から無言でピトッとくっついてきてる(可愛い)のが和ちゃんであり、それはうさぎちゃんの感じとは違う。

今回観ていて、少なくとも「内側にある自分とうさぎちゃんの共通点を引っ張り出す」ような芝居の仕方を行ってはいなかったように思う。

だが、和ちゃんが演じた舞台上にいるうさぎちゃんは、まさに「月野うさぎ」それそのもの。天真爛漫な明るさから騒がしいアホっぽさから、良い意味で色気のない感じから何から、もう素晴らしかったのだが、言い換えればそこに立つ人物には「"井上和"性」が非常に薄かった。存分に「別人」を演じていたのだ。

そして何より、彼女はそんな風に「別人」を演じることをあまりにも楽しんでいた。これはもう、明らかにそうだった。Wキャストにしても主役で座長で、乃木坂メンバー以外は初対面の先輩ぞろい。プレッシャーもさぞ感じたことだろうが、プレッシャーよりも何よりも「楽しい」と感じていることが、舞台上の様子からよくわかった

とは言えそれは一観客として勝手に感じたこと……と思っていたら、いざブログを読み返してみるとこんなことが書いてあった。セラミュ開幕直後の4月15日に更新されたものだ。

そんな素敵な方々と舞台に立つのだから私も頑張らなくては!とこの現場ではずっと背伸びをしている感じ
それが辛いとかそういうわけではなく
背伸びして必死に手を伸ばしてる時間ってこんなに楽しいんだなーってこの現場で改めて思いました

https://www.nogizaka46.com/s/n46/diary/detail/102445

太字は筆者によるもの。

これまさに、「プレッシャーよりも何よりも「楽しい」と感じている」と和ちゃん自ら語っているようなものではないか! ほらやっぱり! これは「俺は見抜いたぞ!」ということじゃなく、見てハッキリわかるくらい彼女のその気分が表に出ていたってことである。

「月野うさぎでいることが楽しい」なんて、うさぎちゃんへのこれほどない祝福ではないか。あまりにも素晴らしいものを観た。

もちろんそれは、そもそもの演技力に裏打ちされたものだ。楽しそうな時も、辛そうな時も、それこそ手に取るようにわかる感情表現。和ちゃんは本当に卓越した俳優である。

更に言えば、セリフや動きのコント的な間が抜群にうまい。いちいち動きの多い感じが観ていて小気味よく、チョロチョロチョロッという足の細かい刻みだったり威勢を張る時にびよーんと背伸びする感じだったりには、一周回ってアニメーションの生み出す幸福が宿っている気さえする。早回し感ある台詞の抑揚も最高。

うさぎちゃんはコミカルな部分も重要なので、そこのテンポの良さ、いや鮮やかさには目を見張るものがあった。これくらい出来るだろう、の更に数段上をいっていた。これからもスキッツを続けてほしい。

歌については今さら何を言うことがあろうか。明らかな「歌おばけ」の一人である。気づきを一つ挙げるとしたらば、和ちゃんはポップソングよりも心を込めて歌うバラードや力強いロックの方が得意としていると今回改めて思った。

変身時のムーン組曲も可愛らしくて最高だが(〈月に変わってお仕置きよ〉のよッの上がり具合と歌い終わりのウフッが良すぎ)、タキシード仮面様と歌う『落下の夢』がなおのこと最高である。倍音の効いたやんごとない歌声がとことん冴え渡っていた。

小川彩(セーラーマーキュリー/水野亜美)

ナチュラルボーンの堂々とした落ち着きを持つ小川彩ちゃんだが、キャスティングについては、シルエットが公開された際に「このなで肩すぎる亜美ちゃん、絶対彩ちゃんだな」と思ったことを覚えている。実際、彩ちゃんだった。そして非常に安定感のある超最高な亜美ちゃんであった。

なんかこう、「ちゃっかりしてる感じ」が彩ちゃんにはある気がする。抜け目無いとか狡賢いとかともまた違うものだが、彼女はなんともさとい。その感じが、亜美ちゃんの頭脳を表現する解釈として活きていた気がする。

乃木坂46版セラミュでは、亜美ちゃんの頭脳によって何らかの状況を打開するような展開は用意されていない。しかし一つ一つの場面でなんだか妙な落ち着きがある。序盤では、自信なさげな、弱々しく困惑の色を見せるが、過剰にオロオロしない演技でありつつ、それだけには収まらない。

ナチュラルボーンの堂々とした落ち着き、とは上で書いたが、心が強くてブレないというよりかは、理解が早いが故の落ち着きのように勝手に見えてしまった。そういう頭の良さを彩ちゃんは元々から持っているし、亜美ちゃんがそういう風なキャラクターにより思えた。亜美ちゃんの控え目でおしとやかな雰囲気と、彩ちゃんのくりっとして無邪気でさとい感じが、どちらも綺麗に束ねられた亜美ちゃんであると感じた。

それでいて、動きに着目すると、なんだかキャラクターっぽい。ピコピコ動く感じがある。例えば仙台坂上のバス停の場面、魔の18時のバスについてうさぎちゃんが「何にも考えてなかった」と白状したところで亜美ちゃんはズッコケる(バルシャークっぽいポーズ)。彩ちゃんの場合その動きがピコっとしてコミカルで、小動物的。

その直後、「まるで正義の戦士だ」「そうよ、私達……」のところでも、アルノちゃんと動きが違っていた。彼女は口に指を当てて険しい顔で首をふるふるしていたが、彩ちゃんはうさぎの口を一生懸命両手でふさぐ。アルノ亜美ちゃんが大人っぽい印象であったこともあり、より手のひらサイズ感を感じてしまった。

一方で変身後を見ると、なで肩から続く縦になだらかなフォルムがセーラーマーキュリーとして映えすぎている。彩ちゃんの身体性が亜美ちゃんらしさでもあるのだ。変身して自信が出て「ハイ」な感じも、彩ちゃんらしい堂々とした態度と重なる。

そして何より歌が上手い。ちょっともう、凄い。そしてこれまた安定感がある。マーキュリー組曲って最高音の部分が4拍連続するので、地味に難しいのだが、そこも難なくクリアしてしまっていた。

声や歌い方にも癖がないので、そのぶん順応性も高いというか、合う合わない的なところがマイナスに働くような場面も見受けられなかった。年齢にいちいち触れるのもあれだが、しかし若さ(キャリアも浅い方)を鑑みると、やっぱりこの上手さは凄い。

ついでに勝手な想像を言うと、「Wキャスト同士の影響って強いのかも」とも思った。彩ちゃん自身とても歌が上手いのだが(繰り返すがマジで感動するほどに)、彩ちゃんの歌うマーキュリー組曲の歌い出し〈水と知性のセーラー戦士〉の辺りで、今回の並行同位体であるアルノちゃんの歌い方を感じたのだ。その後配信で聴いたらそこまででもない気がしたが、ともかくその匂いが微かに漂ったことを感じた。

2018年版においても、若くして歌おばけである伊藤理々杏ちゃん(TeamMOON)はとんでもねー上手さを感じさせてくれたが、TeamSTARの渡辺みり愛ちゃんの歌から伊藤理々杏ちゃんの歌い方を感じた気がしたのだ。

いや、どこまでいっても一観客の勝手な感想だが、Wキャスト同士で高いレベルに引き上げ合う効果が発揮していたのだとしたら、それは幸福であるほかない。

Wキャスト制は比較しながら観てしまいがちだが、上下でなくどちらも重ねて観ることで、こうした幸福を見逃さずにいることが出来る。実際、歌に限らずWキャストの片割れは、万一の負傷などによる離脱にも常に備えている。〈2 That's The Magic Number〉であるのだ。

岡本姫奈(セーラーマーズ/火野レイ)

仲良しトリオである中西アルノちゃん、池田瑛紗ちゃんからも「陽キャ」の呼び声が高い岡本姫奈ちゃん。キャスティングは美奈子ちゃんでは、いやでもレイちゃんもあり得る、と思っていたところレイちゃんであった。そして「陽キャ」さがとても良い方向に機能した、超最高なレイちゃんを彼女は見せてくれた。

元々の火野レイちゃんといえば、やはりクールさが際立った存在だ。それでいて原作漫画版では、うさぎちゃんがこそプリンセスの生まれ変わりであると判明する前、「プリンセス候補」として注目されていた。ルナがして以下のように評していた。

高貴な顔立ち
流れるようなモノゴシ
神に使える身
——まさかプリンセス!?

『美少女戦士セーラームーン』完全版(1)P101

個人的に、この「プリンセス感」をこれまでの乃木坂46版セラミュの火野レイちゃんの中でも、最も強く感じた。

しかしそれは、おごそかな雰囲気があるというより、むしろ明るさによって導かれたものだ。根本的な(漏れ出てしまう)根の明るさ、口角が上がっている感じ、透き通った声など、なんなら「レイちゃんっぽさ」とも少し違う要素を醸し出す姫奈ちゃん。

それこそ陽キャな姫奈ちゃんは、よく喋るしよく笑うし笑い声も大きいのだが、そんな「太陽」感が、「レイちゃんを演じるということ」を通してみると、「プリンセスの雰囲気」として形成されていたように感じた。

おしとやかでありつつ好奇心旺盛で、品が良くもテンションが上がる時には上がる。「外に飛び出す」願望のあるプリンセスのようにも思え、それはディズニープリンセスからも感じうる印象。

そういう意味では「主人公っぽさ」さえ感じた。この子の放つ推進力によって物語が駆動しそうな、良い意味で角がない感じ。姫奈ちゃんは見た目こそ一見クールだが(だからこそレイちゃん役が抜群に合うのだが)、上にも書いた通り口角が常に上がっているタイプの子であり、そんな状態で放たれる台詞一つ一つがまた「陽」ないし「元気」「明るさ」を纏う。裏表のない子だから、その真っ直ぐさもキャラクターに否応にも乗っかってくる。

魔の18時のバスに乗り込んだ場面、レイちゃんは止めようとするうさぎちゃんに「お爺様が守ってきた神社を変な噂で汚されたくないの」と言う。

このセリフは様々な表現しがいがある。例えば一ノ瀬美空ちゃんはお嬢様的な上品さがあるレイちゃんであり、そこに宿った受け継がれているプライドそのものを守ろうとする意志が現れているようであった。一方姫奈レイちゃんは、ある意味言葉通り。大切な家族、大切な生まれ育った場所、それらを守りたい気持ちと愛情がそのままストレートに現れたものだ。

そのストレートさは人を巻き込んで、そして救うものだ。それこそ中西アルノちゃん、池田瑛紗ちゃんは自らのことを「陰キャ」と称しつつ、姫奈ちゃんの明るさに救われていることを度々語る。そんな彼女自身が持つ「太陽」感が、今回のレイちゃん像をぐいぐいと良い方向に導いていた。

こうしたレイちゃん像は今までになかったようで、しかし一つの大きな「正解」であると感じた。明らかに姫奈ちゃんにしか出来ないレイちゃん像だし、観れて本当に良かった。その「陽」にこちらも救われた気が、本当にしたのだ。

っていう一方で、歌声はめちゃくちゃ「S」な感じですごく良かった。口角が常に上がった顔立ちは、ちょっと高圧的な、こちらを掌で転がそうというようなニュアンスにスライドしている(実際、笑い方が普段のそれとは明らかに違った)。マーズ組曲はそもそも「S」な演出の楽曲だが、特に表出した感じがあった。

元々が「陽」で純粋さのあるレイちゃんだった分、いざセーラーマーズに変身すると、そこが転じて全能感に満ちているようだった。これならば敵を倒せる、何でも出来る、ハイヒールでお仕置きよ!ってな感じの高揚を感じた。ダンスの動きもそうだ。バレエ仕込みの高い足の上がり方なんて最高すぎた。

そう、レイちゃんに限らずTeamMOONは皆、変身した際に全能感というか「ハイ」になっている印象があった。変身願望が満たされた充足、というよりも、何でも出来るというアッパーな「ハイ」。セーラームーンの時点で思ってはいたが、セーラーマーズの姿を通して確信に変わったのだ。

五百城茉央(セーラージュピター/木野まこと)

まこちゃん役しかありえないと思っていた五百城茉央ちゃん。その高身長から半ば自動的に導かれてしまった配役でもあるだろうが、文句の付け所がなく、そして今までとも少し違う木野まことちゃん像を提示してくれて超最高であった。むしろ、キャラクターとのあまりにも高い一致性を見せてくれて涙が溢れるくらいだった。

TeamSTAR冨里奈央ちゃんの演じたまこちゃんは、まずもって「格好良さ」なベクトルの表現が強く、それでいて内面の「少女らしさ」もまた(本人の元来持つ人間性として)溢れ出てくる、まこちゃんらしい二面性があった。

一方でこちらの五百城ちゃんは、これまでを踏まえても、群を抜いて役者の素の姿と限りなく近いまこちゃん像であったと思う。それこそ奈央ちゃんは宝塚の男役的な「王子様」感があったし、2018・2019年版では「スケバン」のような気の強さがフィーチャーされていたように感じていた。

五百城ちゃんの演じたまこちゃんは、五百城ちゃん自身の人格を根っこにしつつ、「やさぐれた」雰囲気があった。その堂々とした佇まいは、王子様のような凛々しさでもなく、スケバン的に気が強くピリピリしているでもなく、どこか達観した感じ

それこそまこちゃんは、その風貌や体力が災いして孤立したことをきっかけに十番中学校に転校してきたわけで、何かを諦めている(故に振る舞いがぶっきらぼうである)ニュアンスが最も感じられた。

四天王のような男役的格好良さとははっきり別物であったのだが、「その経歴を理由にこうした人格が形成された」と感じられた。まこちゃんの本質はむしろこれではと思う人物像が、ナチュラルに表れていた。それこそ、元々は五百城ちゃんのような柔らかくてにこやかな子だったかもしれない、とさえ思える。

だから、「五百城ちゃん自身がすれてしまった」ような印象を強く受けるまこちゃんだった。そういう意味で、役者の素の姿と限りなく近いと感じたのである。

奈央まことは「王子様」と「夢見る少女」の二面性が強く感じられたところ、五百城まことは表に見せる振る舞いと内面とが限りなくシームレスに繋がっている。だって元々はこうだったんだから。それなのに、周りの心無い声によってすれてしまったのだから。

っていうようなまこちゃんであると感じられたのだ。だからこそ、「本当の自分を見てくれる存在や環境を、当てもなく探している」ように思えたし、それ故に、ネフライトの甘い言葉に着いていってしまったり、うさぎちゃん達との出会いが大きな出来事であったと強く感じることが出来た。

そう考えると、すごく人間味のあるまこちゃんだったとも言える。五百城ちゃんが素直に演じたら、あぁまこちゃんって本質的にこういう人だったよなと思える人物像に辿り着いた。

実は歴代セラミュにおいては、「格好良い」イメージが強調されがちな分、人物造形に偏ることもあったまこちゃんだが、限りなく「等身大なまこちゃん」であったのが五百城まことであったと言い切ってしまえるかもしれない。

さて歌については、正直10人の中では最も苦戦していたのではと思った。下手であったわけでは全くない。そう感じたならばそれは歌を聴いて上手い下手を判断できる能力がないことを意味している。

そもそもは、5期生の中でもトップレベルで歌が上手い子である。個性的な声質と楽器の経験に基づいた音感などレベル高く、個人的には「五百城ちゃんの歌声が一番好きだし一番惹かれる」。超好き。以前『超・乃木坂スター誕生!』で奈央ちゃんと共に歌ったkiroroの『BEST FRIEND』は長らく録画を取っておく予定である。

しかしながら、元から上手い分、おそらくジャンル的に得意不得意がはっきりあるタイプでないかと思う。特にジュピター組曲は深く低く潜るような音程の取り方が多く上下も激しいため、おそらく、特に得意としていない音域や発声を求められてしまっていたのではないかと思う。

これまたしかし、歌えてないわけでは全くない。観てみて「苦戦してそう」と思っただけなのだ。組曲の〈我が守護木星〉あたりを聴くとわかるが、キーが合う部分はむしろめちゃくちゃ良い。殺陣でのヤッという掛け声や、必殺技の発声もまたキーがマッチしており、これまためちゃくちゃ映えていた。

喉は筋肉。鍛錬でいくらでも鍛えうる。つまり、明らかな伸びしろがそこには宿っているのだ。元の上手さはわかりきっていたことなので、逆を言えば弱点とはまだ上手くなる余地があるということだ。ってことは、あんなに良いのにまだ良くなる可能性があるというのか……!? ちょっと恐ろしいくらいである。五百城ちゃんの歌をこれからも聴き続けたいし、聴き続ける所存だ。

池田瑛紗(セーラーヴィーナス/愛野美奈子)

元々は全く予想外だった。しかしいざキャスト発表されてみると、なるほど池田瑛紗ちゃん=愛野美奈子ちゃんであると、あまりにも理解できる。観る前から既に理解完了してしまったほどの超最高キャスティングであり、いざ観てみたら納得のさらに上をいくものであった。

何はともあれ可愛い。瑛紗ちゃんといえば、黒目がちで唇が立っていて頬から顎にかけてのラインが通っていて、とても可愛い。お人形さんみたい。

そして、おそらく彼女は自分自身の顔立ちの整いをとても理解している。鼻にかけているとか自分に酔っているとか、そんなつまらない認識ではない。正確に自分の「美」を把握している。あえて強引に紐づけるとしたら、美術方面の感覚に卓越した彼女は、自身のその造形的な美しさを客観的に捉えることが出来ている。

かつそれは、瑛紗ちゃんの普段の振る舞いも現れている。可愛さの自覚とはブレーキをかけないことだ。その想いを信じて突き進み、自身が求めるひとつひとつを断念することなく生きることが出来る。諦めずブレーキをかけないでいることが出来る姿勢だ。そんな姿勢には、性別や立場を問わず、憧れを感じてならない。

瑛紗ちゃんの演じる美奈子ちゃんには、そうした憧れを抱いてしまう佇まいがあった。そして美奈子ちゃんが元来、そうした人物像でもある。その一致具合がこそ、瑛紗ちゃん=美奈子ちゃんであると断定できる所以だ。

瑛紗ちゃんは「陰キャ」だと自覚的に語ることも度々あるが、それも自身の可愛さの認識を押さえ込むには至らない。

時折、やけにキャピキャピとした可愛いノリが溢れる時がある。見ている限りでは、自然発生的に出る部分だろう。もちろんそれは、瑛紗ちゃんの「一部分」であるが、その「一部分」をごっそり美奈子ちゃんの演技として用いてしまった。そしてばっちり合っている。そうした存在感を彼女は放っていたのだ。

ふざけるのが好きな彼女は、元のコミカルな感じもふんだんに出し、ノリノリでちょける場面も見せる。細かい所作も独自の色が現れていた。仲間の顔を逐一見たり、そっと手を添えたり、ぱたぱたと動いたりと、アドリブであろう細かな動きも印象的だった。総じて感情表現が「濃い」感じがある。

ある種それは、「美奈子ちゃんに寄せていく」というより「美奈子ちゃんを自分に引き寄せる」ような方法論であり、それにしても妙なほど成立してしまった。

重要なポイントとして、単に「可愛さ」だけが要点であったわけではないということだ。何より瑛紗ちゃんは、「(今自分が)美奈子ちゃんである喜び」を強く感じており、それが演技にも出ていたように思う。セラミュへの意欲や想いが当初の不安を超えて次第に強まっていたことをブログ・メッセージなどでも語っていた彼女。上で書いた「ハイ」な感じは、瑛紗ちゃん自身の気分と美奈子ちゃんが(仲間と出逢って)感じた喜びとが共鳴して、舞台上に現出していた。

また乃木坂46版セラミュは原作漫画1部を基にしており、実はそのストーリーにおいては、美奈子ちゃんははっちゃける姿をあまり見せず「リーダー」「先輩」に徹しようとしている。

その覚悟が芝居の「外連味ケレンみ」として、舞台上の瑛紗ちゃんに宿っていた。ダーク・キングダム勢に厳しく投げかける言葉や、セーラームーンを思って放つ悲壮的なセリフ、クリン・ベリルに剣を振り下ろし引導を渡す場面など、鋭いヒステリックな声(感情表現ではなく、声そのものの出し方)も使いこなし、「乃木坂46版セラミュにおける美奈子ちゃん」としての存在感も十二分にあった。

そしてその声の使いこなし方は、歌においても存分に表れている。

推測になるが、稽古を通してその良さを活かしつつ得意不得意を見定め、高い音程なり難しい箇所なり、「こう発声すれば良い」と手法を見出したのではないか。そうしたやり方の元、「池田瑛紗ちゃんが今歌える最高のもう一段階上の歌」に辿り着いていたように思う。それこそ『超・乃木坂スター誕生!』などでも歌声を披露する場面はあるが、個人的には今までで最も良かったと本当に思えるものであった。

そのほか

TeamSTARの感想でもいろいろと書いたが、まだ気づいた点や書きそびれていた点があったので、出来る限り書いていこう。

タキシード仮面がキザ

天寿 光希 ⭐︎ 𝑴𝒊𝒕𝒔𝒖𝒌𝒊 𝑻𝒆𝒏𝒋𝒖 on Instagram: "#乃木坂46版セラミュー #moonteam #座長 . #井上和 ちゃん ⁡ . 彼女の計り知れない実力と努力 会えば会う程好きになる彼女の誠実な人としての魅力 そんな中に垣間見える真っ直ぐで繊細すぎるハート 瞳を交わし和と向き合ってお芝居する時間は 心地良さを感じる幸せな時間です 彼女の演じるうさこが いつどんな時でも 手を差し伸べることができる衛でいたいと思います 井上和うさことの出会いに感謝しています ⁡ . セラミュ、第1週目は無事moon teamで終わりました 沢山のあたたかい拍手とご声援 本当にありがとうございました ⁡ . #乃木坂46 #5期生 彼女たちの輝きが 分毎に秒毎にキラッキラにカッコ可愛いくなっていく一生懸命すぎる姿に 同じ舞台に立ちながら ハートの奥が焼けるような感動を覚えます 改めまして、初舞台おめでとうございます 若い情熱をもった彼女たちと パワフルすぎる実力派、キラキラアンサンブルの皆んな 頼もしくて裏でも表でも声がデカイお姉様方 優しさとあたたかさに包まれたスタッフ&カンパニーの皆さんと共に 次はstar teamの初日に向けて 心新たに前進していきます お陰様でとても幸せに満ちた日々です この作品を愛する方、 推しが出演されているビックLoveな方、 ご観劇して下さる全ての人に この作品の愛が届きますように ⁡ 引き続き、熱いご声援を 宜しくお願い致します いつもありがとう #天寿光希" mitsuki_ten10 on April 15, 2024: "#乃木坂46版セラミュー #moonteam #座長 www.instagram.com

「なーんかキザな奴」となるちゃんも言うが、2018年・2019年版で石井美絵子さんの演じた地葉衛/タキシード仮面と比べても、天寿光希さんの演じた今回の彼は、かなり「キザな奴」であった。道明寺みたいというと行きすぎだが、演者の違いも寄与してか、人物像がひとつ変わっていたのだ。

なんというか、「気取ってる」感じ。美絵子さんの時は「年上の余裕」みたいなものが滲み出ていたが、今回の天寿さんはどこかうさぎと同じレベルなくらいに子どもっぽさがあると言うか、それが転じて、やけに可愛げがあった。もちろん、まもちゃんらしい頼もしさも存分に放たれていたが、小憎たらしさ=愛おしさをより強く感じた。

またタキシード仮面様の場面について、2018年⇒2019年の時点で気になっていた変化がある。

2部のクライマックス、既に命を落とした四天王が幻想として現れ、タキシード仮面は「お前たちが石となって剣先を止めてくれたのか」と気付く。その際、2018年版は涙混じりで名残惜しむように噛み締めるように名前を呼んだ(四天王は優しく頷いて応える)。

2019年版では、涙がこぼれそうなところを堪え、毅然とした堂々とした態度で呼び掛ける(四天王は家臣として礼を返す)。今回の2024年"5期生"版でも、こちらに準拠している。

感情が溢れている2018年版の方が好きだと最初は思っていた。しかし今回で演出が更に変わり、より「エンディミオン:四天王」の関係性が「セーラームーン:4戦士」の鏡像としてあること示されたことで、彼らの感情がはっきりと理解できた。

タキシード仮面=エンディミオンは「彼らの忠義に応えるため、友としてではなく彼らの主君マスターとしての態度を取ったのだ」と理解できた。

それこそ命を落とす場面でも、クンツァイトらは「我ら四天王、命に代えても王子の大切な人を救い出す!」と決意を露にする。それは友情以上に主君マスターへの忠義・奉仕に他ならない。エンディミオンも彼らの気持ちをよく理解している。それが現れた場面と台詞なのだ。

それでいて、ずっと変わらない部分としてはクンツァイトの「会えて良かった」が好きぃ。これは主従を超えた心からの想いが宿った言葉だ。忠義に準じながらも、こうした言葉を思わずかけてしまう関係性なのだ、彼らは……。

改めて、乃木坂46版セラミュは「うさぎと衛のラブストーリー」ではなく「うさぎ達5人の出会いと絆の物語」だなと感じた。そうだからこそ、鏡像関係としてある「タキシード仮面=エンディミオンと四天王の関係性」を膨らませて引き立てる必要があったのだ。

声を揃えて言うセリフが好きぃ

さようなら、我らのマスター

必ず貴方を救い出すわ!だからお願い、目覚めて!プリンセス!

月の上の王国、シルバーミレニアム。私たちの……プリンセス!

好きになっちゃダメ、でも、もう遅い!

お仕置きよ!

5戦士ないし4戦士、あるいは四天王が声をそろえて台詞を言う時、それはどうにも涙を誘うのだ。

相当な練習量がうかがえるし、声がぴったり揃うこと自体が絆の証。このミュージカルセーラームーンとは、テーマやストーリーにおいても、完成に向けた役者たちの営みにしても、「絆」が主題である。

「セーラームーンとタキシード仮面のラブロマンス」が色濃いようで、乃木坂46版として行われることで、「5戦士=メンバー間の絆」により重点が置かれる。だからこそ、「エンディミオン:四天王」の関係性が「セーラームーン:4戦士」の鏡像として機能するのだ。ラブロマンスよりもここのワンチームの絆こそが見せるものである。

だからこそ、声が揃うことがエモいのだ。彼ら彼女らの息がぴったりで、想いが一つで、だから同じ言葉を言える

同時に言うところ以外で言うと、2部前半のシルバー・ミレニアムでの場面において、四天王が「僕たちはプリンスの護衛に来たのだけど」「ちょっとぐらい……良いだろ?」「……ああ!」のところ。

寄り集まって冗談めかして話す、この「男の子たち」感がめっちゃ好き……! これこそ友情によって成り立つ軽いやり取り……!

今回は現れる順に4戦士と手を取り合いながら言う形だったので、2018・2019年版での四天王が寄り集まってこのやり取りを交わす感じから変わってしまったのがちょっとばかり残念ではあったが、いやもう良いもんは良い。

いろはちゃんのクイーン良かった

ここは個人の解釈・好みで別れるかもしれないが、とても良かった。いろはちゃんのさらさらとした声質も相まって「妖精」感があり、凄まじく透き通って、どこか浮世離れした存在感は、残留思念としてのクイーン・セレニティらしさに働いていた。

前クイーン役である、まいやん=白石麻衣ちゃんの深い愛を携えた「ママ感」がまず良すぎたし、あまりにも文句を付けようがないクイーン・セレニティであった。

一方、いろはちゃんは5期と同期だし同年代ないし年下。見え方的にはかなり異なる。しかしあの「ママ感」、決して必須要素でもないとは原作から見出だしていきたい。

そもそも月の住人は「国民の平均寿命は約1000年で、青年期を最後に成長が止まる」。ちびうさの母としてのうさぎも同様で、設定的にはおかしくはないのだ。

とは言え若すぎるかも?笑 と思わなくもないが、いずれにしても、乃木坂ファンとしては、ここを出じろに「5期生11人全員出演」という要件を満たしてくれたことが嬉しい。「いろはちゃんはロミジュリがあるので休み、セラミュに出るのは10人だけ」なんて寂しすぎるじゃないか。

ある角度の意見として、かつてうさぎちゃんを演じた美月・久保ちゃんが演ったら……というものがある。それはそれでエモかったかもしれない。俺も妄想した。

しかし、どこにプライオリティを置いたかの結果がこれなのだ。5期生11人で挑んだセラミュ、それがこうして完成しているのだ。

ワイヤーアクション

今回は「飛ぶ」と耳にしていたが、冒頭からやってくれて驚くと同時にめっちゃテンションが上がった。それこそ冒頭は、うさぎちゃんが空から落ちていく夢を見ているところであり、ワイヤーで空を飛ぶ演出はばっちり合うところ。かつ、これまでとは別物ですよと示す意味合いも持っている。「挨拶」としてはこれ以上ないものなのだ。

1部終盤、ヴィーナス初登場のあたりでもワイヤーアクションは使われ、東京タワーを舞台にした戦いでセーラームーンが落下するさなかタキシード仮面が手を取って宙を舞う。変な話、場所が東京タワーであるとわかりにくくもあったが(2018・2019年版では赤い柱を模した階段セットを用いていた)、その見せ方は『千と千尋の神隠し』ないし『天気の子』的な、クライマックスらしい演出としては極上のもの。

だし、「飛ぶ」を生でやる強さは舞台演劇の醍醐味である。榊原郁恵さんの『ピーターパン』よろしく、ここにこそ演出的ピークがあり、観ていて幸福を感じる場面だった。

あと、実は細かくワイヤーが用いられており、ジュピターの「肉弾戦」表現にそれは使われていた。妖魔をぶん殴って宙に浮かせたり、腕力によって持ち上げたり、そうした「派手なアクション」にしっかり導入されているあたり信頼感がある。場面的クライマックスだけではなく、「ワイヤーで表現できること」を余さず見せてくれたのだ。

冒頭の授業のシーンが良かった

それでいうと的な細かい部分なのだけど、生でやる舞台演劇だからこそな、大好きな演出があった。それはまだ変身にも辿り着いていない場面、冒頭のうさぎが授業に遅刻してきたあたりである。

2018・2019年版は、廊下に立たされているうさぎにフォーカスが当たり、教室内はセットの向こうにあるとして壁で隔てられていた(から、たまに窓を開けてなるちゃんやぐりおが話しかけてきていた)。

今回は壁は無く、ステージ上で椅子を並べて生徒役が揃って座っていた。壁はあくまで「あるという設定」で、うさぎちゃんも視覚的には同じ空間にいる。

そこで、ちょこちょこお喋りしては怒られながら、カメラアングルが、横から、後ろから、反対の横から、と変化する。これを演者たちが椅子ごと向きを変えて(カメラ位置=客席として固定したまま)自分たちの移動によってアングルの変化を表現していた!

この肉体を使った物理的な見せ方、とても舞台演劇的! 生身で表現する演出がやっぱり好きだ。だってその時見ているものは、映像ではなく生身の役者さんたちなのだから。

舞台『ハリーポッター』でも、魔法によって人や物が宙を舞ったり、杖の先から炎を拭いたりしたけど、一番感動したのは「魔法の圧力を受けている表現としてパントマイムで動くことで表していた」こと。ふわっと魔法で動かされている、と見えるように、受け手がふわっとパントマイムで表現するのだ。

肉体的な表現を目の当たりにするよろこびこそが観劇の本質である。それこそ今回の布を使ったクイン・ベリルの表現とか、舞台『千と千尋の神隠し』での小道具の使い方とか、とにかく「アナログ感」「生身感」にこそ舞台演劇の美しさが宿る

そう言う意味ではセラミュにおいて、変身シーンも該当する。

特撮ヒーロー系の舞台、『牙狼<GARO> -神ノ牙 覚醒-』(伊藤純奈ちゃんも出演していた!)や『仮面ライダー斬月』は、ヒーローの「変身」を、表現としてはとても高レベルであったことは間違いないが、変身前と後の演者が幕の後ろで入れ替わる形で表現していた。

一方で、乃木坂46版ミュージカル『美少女戦士セーラームーン』においては「その人そのもの」が早着替えを基に目の前で一瞬で変身する。それでいてティアラやチョーカーは自分で着けたりしていて、「手作業」の余地がある。諸々含め、「今、生身でやっている」からこその変身シーンなのだ。

少し違ったポイントで言うと、今回は見せ方の魅せ方によりこだわりがあったように思う。

特に戦士達の戦闘シーン。そもそもの殺陣の完成度から更に発展し、ダンス・フォーメーションの色が濃くなっていた。

変身前の戦士を取り囲む妖魔の様子や、一斉に襲いかかりながら攻撃を交わし合う表現などが、円を描いたフォーメーションであったり、ダンスに乗せて動いていたりと、リズム感ある構成が際立っていた。散文だったものが五七調に整えられるような、整えられた気持ち良さが舞台演劇的表現としてこちらにアプローチされていたのだ。

投影されたアニメーション演出も含め、「その場で行われ、それを目の当たりにする」多幸感が凄い。舞台演劇の醍醐味はやはり、「肉体性」と「その場性」なのだ。それを感じさせてくれる乃木坂46版ミュージカル『美少女戦士セーラームーン』はやはり最高の演目のひとつである。

てなことでTeamMOONの感想であった。観た当日に一生懸命書いているので、またちょっとずつ整理されて変わることもあるだろうが、それはただ「良くなる」だけなので、心配無用である。

特に、この後(劇場での観劇予定はないが)千秋楽公演の配信がある。それを観てあらためて発見や気づきがあることも大いに考えられる。

いずれにせよ、「超良い」という大前提の感想がある。4年半ぶりの乃木坂46版セラミュ、この気持ちにたどり着けて本当に良かった。復活すると聞いて、正直不安だった。そして杞憂だった。

乃木坂46とセーラームーンという作品への愛が増すばかり。今後も末永くよろしくお願いします。

以上。




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