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敗者だから伝えたい こうして会社は倒産しました ⑩

~社内で不思議と人材が消えていく~

 前回までのあらすじ。粉飾決算を整理して見えてきたのは、3社が全て債務超過だという事実でした。

 これまでは、時系列的にお話してきました。
 新社長就任直後の話を数話書いてみたのですが、資金もあり事業再生意欲に燃える問屋業・製造業として、専門用語バシバシで、しかも少しいい話になってきました。
 ということで、そういういい話は、あちこちで開催している結果的に成功したラッキーな人セミナーで聞いてもらうことにして削除したので、少し遅れました。
 タイトル通りのお話で続けますが、就任後はいろいろありすぎて、思い出しながら書いているところがあるので時系列は無視していると思ってください。

良い人材が消えていく

 これは製造メーカであるA社の話です。元教員で非常に優秀な方が入社してきました。まじめで頭も切れて、提案も度々してきます。

彼が時折神妙な顔つきで相談してくる言葉がありました。
「あの工場長は少し変じゃないですか?」

いちおう工場長は、父親方の祖母の兄弟の子。従叔父(いとこおじ)と言うみたいですが、こんな聞きなれない言葉は今調べて知りました。
親戚筋で若いころから会社で働いてたいので、全幅の信頼を置いていました。

というより、赤字幅が巨額なB社の再建が最優先に考えていたので、A社は実質的に放置していました。裏切る可能性が低い身内が見ているということに対する甘えがあったのでしょう。
実質的に職人として、仕事を率いているのは彼だけでしたし、簡単に変わりが見つかるような人材でも無かったことも大きな要因でした。

ということで、「少し変じゃないですか?」の言葉はとりあえず見過ごします。ほどなくして、彼は辞めてしまいました。多少の赤字で済んでいたA社は、こうした真面目な従業員が離脱するごとに、その赤字は増加していくのです。

見過ごされていたやらかしの数々

 工場長がやっていた仕事ぶりの不始末は、実は倒産後に発覚します。

倒産した際に、A社の従業員は50代以上の割合が非常に多く、再就職が困難なことを懸念して、紆余曲折あって従前に取引の無い別の企業に従業員ごと事業を承継してもらうことができました。
 その際に、私もしばらくの間そこの従業員として仕事をすることになり、初めて終日A社の現場で業務を行うことになったのです。

その当時得た情報や、現場で働いて分かったことは、
・自分の親しい人(商店経営)に無償で商品提供(毎日)
・親しい人(個人)が来たら、無償で商品提供(不定期)
・社内でマルチをやり、協力しない人を解雇に追いやる
・半製品の先入れ先出しをしない
・欠品すると面倒だから余分に送り込む
・新商品のアイデアは、全て仕入業者が持ってきたレシピ
・職人としてのノウハウなど、実は既にこの会社にはほとんど無かった

初代社長が亡くなってから、A社が急激に採算が悪化したのは、悲しいかな身内の不始末がほとんどの原因でした。

 私が帰郷してから、父が亡くなるまでの5年間。A社に関して新規販売先の開拓は行っていましたが、順調に回っているように見えたA社の製造部門には興味を示していませんでした。それは社長になってからも同様です。

 A社が再生するだけの時間と能力と権限があったにも関わらず、何もしていなかったのは自分であることに、倒産した時でさえ気付いていないことが、情けない事実でした。

倒産社長が伝えたい経営の教訓


安心できる人材がいなくなっても大丈夫な体制を敷け

 現実的に、一番の信頼を置いている人物が不正やそれに近い行為をしたり、手抜きをするケースは非常に多いです。それは血縁者だろうが、幼馴染であろうが同じです。社労士の業務を行いながら、そういうケースに合うことも頻繁にあります。信頼しきった部下の巨額の横領で倒産した会社もありました。

 相談を受けた案件では、銀行が融資の条件に紹介したコンサルタントの言動はどうみても倒産する方向にしか導いていないこともありました。

人を信頼することは大事です。それでも裏切りがあっても大丈夫な体制を敷いていくことも大事ですし、不正ができない仕組みを生むことも大切です。


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