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【市子】無力感ではなく、ただ無力

市子は3年間同棲する恋人・長谷川からプロポーズをされ、嬉しいと泣いて喜びましたが、その翌日に姿を消しました。
家出にしては逃げ方が普通じゃありません。
長谷川が帰宅する気配を感じ取り、2階のベランダから飛び降りたのです。鞄も持たずに。
絶対に今日、いや今じゃなきゃだめだったことがわかります。

長谷川は刑事に事情を話しますが、刑事は「川辺市子という人はいない」と告げます。
長谷川は時には単独で、時には刑事と、過去に市子と関わりがあった人々に会いに行きます。

そこで彼女の過去を知るのでした――なんていうあらすじが、公式サイトや映画情報サイトなどで公開されているところです。

以下、物語の非公開部分に触れます。
(よろしい方だけご覧ください)




市子の家庭にはいくつかのハイリスクたる要素があります。明らかに要支援家庭です。
難病患者、シングルマザー、ヤングケアラー、マルトリートメント(あるいは虐待)、貧困など。
母親の内縁男性がソーシャルワーカーらしいことから、全く支援を受けていなかったわけではないことは見てとれますが、渡辺大知さん演じる男は昼から酒を飲み母親だけでなく市子とも性的関係をもっている様子。
全ての要素はつながっていて、こっちにテンションがかかるとあっちが引っ張られて、小さな団地の一部屋のなかで4人の均衡は崩れてしまった。

家族にテンションがかかった大きな起点として、月子の病気があります。
筋ジストロフィー。平成27年7月に指定難病となった病気です。
西暦でいうと2015年の夏です。それは市子が長谷川のもとから消えた頃。
あまりに種々が通り過ぎた後。

病人が人一倍働かなきゃいけない

過去の記事にも書いていますが私は難病法の要件には当てはまらない難病のひとつ、線維筋痛症の患者です。


健康な方は指定難病と未指定難病、そんなに違うの?と思われるかもしれません。
あまりに違いがあります。
支援が受けられないということは、患者あるいは患者家族が、人一倍働かなきゃいけないということなんです。
私は線維筋痛症のことしか当事者として語れませんが、この病気の場合毎日グサグサ刺されるような激痛がありながら、その痛みを抑えるためには大量の服薬や注射や電気治療などの対症療法が必要なために、当然健康な人以上の医療費がかかります。

私は自分の住んでいる自治体の取り組みを検索しまくって自分の病気が適応外だと知った時、このカラクリを、「バグじゃん」と思いました。
死ねってことじゃん。普通の人より動けないのに、と。

そもそも『未指定難病』などという言葉自体、多分正式にはありません。未指定の難病患者や患者団体が時々言うだけで。
福祉はよくセーフティネットと例えられますが、ネット(網目)の隙間からこぼれ落ちた人は、死や破産との距離が一気に近づくんです。

無力感ではなく、ただ無力

このことに関しては私は当事者ですから被害者ヅラといいますか、不均衡に声をあげていますが、私は病気になる1秒前まで税金なんぞ1円たりとも払いたくないと思っていました。
報道や映画やドラマで難病患者をみたら「かわいそう」という言葉を巧みに使わずに「かわいそう」とだけ思っていました。
「もしあの子が私だったらどうしよう。いや、怖くなってきた、考えるのやめよ」と。

だけどある日突然病気になりました。
みるみる金が足りなくなりました。
せめて何か啓発がしたいと未指定難病に関わる企画書を作りましたが有名な編集者(長)からは「[私可哀想でしょネタ]はウケない」との評価をいただきました。
ああ、そうでした。病気になる1秒前まで、私もそちら側に居たのでした。
こちらからしたらネタじゃないんだけど、世間から見たら、ネタなのです。

何に勝てないのか、何が敵なのかも分からないのです。

市子には手を差し伸べてくれる子も居たし、夢を与え分かち合えた子も居たし、抱きしめてくれた恋人も居た。あの子に手を差し伸べてくれる人が居たらねえ…なんて、そんな問題じゃない。何かもっととてつもなく大きな、一粒の虫が山を見上げるような現実感の無さ。
お金の資本となる労働、労働の資本となるカラダや公的証明が無いということは、そういうこと。

そして当人に関わる人もまた、無力感、いや実際にただ無力であることを知るんです。

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