コロナウイルスと日本、そして世界

夕べのNHKBS1スペシャルはコロナウイルス特集だった。

専門家として登場した東北大学大学院の押谷仁教授の最後の言葉が素晴らしかった。

Hope for the best, Prepare for the worst  最善を望み、最悪に備える  これが我々がとるべきスタンスなのだと教えてくれた

一人一人が主体性をもって考えることが求められている

仕事はどうか、これからの生活はどうなるのか、など様々に悩むことは多い。国民も不安を抱えているし、刻刻と変わる状況変化、その対応に全員が右往左往している。それで当たり前なのだ、と言っている。

専門家会議でも意見が分かれることも多く、何が絶対的に正しいという事もわからない。これは人類が初めて直面する出来事なのだということだ。

世界では「戦争」という言葉で例えられ始めている。人類とウイルスとの戦いである。戦線は二つ。医療のラインと経済のラインである。

医療は病院に患者が集中しすぎて、助かる人も助からなくなることが出てきている。中国の武漢で起きたことだった。そしていま、イタリアがそうだ。

経済の戦線にどう対応するのか

同時に、経済の戦線でも宿泊やレストラン等の観光産業やイベント業界では極めて厳しい状況にある。すでに店主の自殺話が届き始めた。

株価の下落に対応するべく、米国は極めて素早い対応を取っている。

米国の対策

はっきり言ってうらやましい。

日本と米国でどうしてこんなにも違うのだろうか。米国だけではなく、香港もドイツも世界各国で個人に現金を渡す現金給付処置がとられている。

麻生財務大臣をはじめとした財務省職員全員が、いま何が起きているのかをいちばん理解できていないのだろう。

森友学園問題でもそうだったように、人の痛みや苦しみに、部下や同僚といった人も含めて極めて鈍感なのである。彼らには人を死に追いやったという自責の念はないのだろう。

貯蓄の無い人が仕事を失うと一か月も家にいることは出来ない。家賃すら払えなくなる。しかも直前の消費税増税で売り上げが激減した飲食店も多い。そういった人たちがどんな思いで、いま過ごしているか

お金を貸すだけでやっていけるわけがないだろう。創造力の欠如、ひとことでいうとそういう感じがするのである。

図1

さすがに日本でも議論は始まっている。30兆という金額を出したのは自民党若手有志からの提言である。なかなか心強いものがある。

東日本大震災の時に千年に一度の災害というのに、復興増税なるものが打ち出された。次の災害は千年後なのだから、国債発行で賄えばよいものをわざわざ増税したのがこの国の経済学者である。

いま税金を上げたら一番苦しむのは、家を建てないといけない被災者だ、と叫んだ民主党の若手議員を知っている。この人には心があった。

復興増税だけではない。「税と社会保障の一体改革」というものまで持ち出してきて増えると予測される社会保障費のために、消費税が二度も引き上げられた。米中貿易摩擦で経済が変調する中、世界中の経済学者がやめるようにアドバイスする中、消費税は引き上げられた。

この間、ステルス的に社会保険料も少しずつ着実に引き上げられ、国民負担率は44.6%と過去最高である。

前回、シニョレッジ(通貨発行益)について書いたが、それを利用しようとしないのはなぜだろう。シニョレッジが存在することを経済学者が否定するため、国民が理解できていないからだろう。現代貨幣論・MMTといわれる人たちが「税は財源ではない」と主張しているが、反対意見も多い。

いちばん困っているのは、財政再建を主張している財務省とその関連の経済学者たちである。自分たちの言っていることと全く違う事を海外の経済学者が言い出しているからだ。

しかし、海外の状況はそうではない。クリントン政権で政府を黒字にしたラリー・サマーズ元財務長官も「日本の財政危機は誇張され過ぎている」と言っているし、IMFのエコノミストだったブランシャールはわざわざ日本語で積極財政に打ち出すべきだと提言してくれている

いま、サマーズは日本だけでなくアメリカの危機に対しても強く財政を出すよう主張している。経済学会の潮目が変わったのだ。

しかし、このウイルスとの戦争はいつ終わるかわからない。給付は一月ではなく、半年、一年かかるかもしれない。果たして30兆でたりるのだろうか

経済学が新しいフレームワークを求めているのだ。単なる理論ではなく、恐慌を乗り越える、危機対応の経済学へと社会が変化を突き付けているのだ。






この記事が参加している募集

お金について考える

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?