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いのちの重さ~感染症と経済的苦境

バズる

Twitterでバズッた。過去最高の(・∀・)イイネ!!をもらった。

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一方でたくさんのコメントをもらった。
GOTOはまだ早い、取り返しのつかない事態となる。
あなたにも家族がいるはずで、その大切な人を失う事になる。

読んでいて分かったこと。
コメントをくれた人々は、よき人なのだ。
ただ、ある情報に気が付いていないのだ。
COVID-19に感染して失われる命もあるが、経済的苦境や生活不安で自殺という形で失われる命もあることを。そして命の重さに違いはないことを。

自殺、経済的理由で失われる命について

発端となったツィートを書かなくてはと思ったのは、三浦春馬さんの自殺のニュースだった。才能ある若者が大きな不安を抱えて自殺した。
このようなことが数多く続くのは本当につらい。
SNSで経済クラスタと呼ばれるところに属する私だ。この界隈では不況が「自殺」という形で人を死に追いやるのは、ずっと前から常識だった。

日経サイエンスの古い記事に詳しいが日本では2000年代の初頭から自殺率の高さと不況が紐づけられて語られてきた。

自殺者数推移

警視庁のデータから見ると平成10年に自殺者数が前年より8500人、1.34倍と急上昇している。前年平成9年に消費税が引き上げられ、急激に景気が悪化したことが原因だった。

2019年、自殺者数は2万人を割った。国内のコロナ感染による死亡者数と比較すると、まだ圧倒的に多いともいえるが、ピーク時の6割にまで落ちてきたのである。日本の長期低迷がなく、平成2年の2万人のまま推移していたら年間12000~1500人、20年間合計20~30万人が救われていたかもしれない。
アベノミクスの最大の成果は、この自殺者数を減らせたことにあると思う。

さらに言われるのは一人の自殺者の陰には、その二十倍もの潜在的自殺未遂者がいることだ。詳細な自殺報道がタブーといわれるのは、自殺願望のある人の引き金とならない配慮だ。

経済政策の失敗、不況で人の命が失われることを医療の観点から分析した本「経済政策で人は死ぬか・公衆衛生学からみた不況対策」がある

経済政策で人は

これまで健康・医療の対象とはみなさなれてこなかった「不況」という経済の問題を、精神的に不健康な状態「自殺」の真の原因と捉え、医療の立場から不況という経済状態に対して解決を図るべきだと提言している

サブタイトルにもあるように、これは経済学の本ではなく「公衆衛生」に関する本だ。
コロナ感染症の拡大防止が人の死を防ぐ公衆衛生(疫学)の問題であるとしたら、経済的苦境・失業も自殺を防ぐ公衆衛生の問題として同様にとらえる必要がある。それを教えてくれる本である。

注意しないといけないのは、平成10年の急激な自殺者数の上昇は消費税増税が行われた平成9年ではなく、翌年に起きたことだ。
経済的苦境は年度決算を終えたあと、資金繰りに詰まるころから起きてくる。いまの経済的苦境が表面化するのは、来年の今頃だろう。

だからこそ、今の数字、いまの売り上げが重要なのだ。
GOTOキャンペーンに関して、社会につたえなくてはいけないこと。

来年、膨大な自殺者が出る恐れがあります。過去には、年間8500人もの自殺者が増えました。場合によっては、一万人を超えるかもしれません。しかもこれは長期化する可能性が高いです。過去の事例、失われた30年から予測されるのは、私たちは再び30万人近い自殺者を出すような事態に直面しているのです。これは感染死者数42万人というの予測値とは異なります。
日本の平成に起きた不況による自殺者数増の再現であり、現実に起きる可能性の高い未来です。

私たちは暴走する路面電車の運転手

2010年の話題の本に、サンデルの「これからの正義の話をしよう」がある。
ここに「暴走する路面電車」についての話がでてくる。

時速100キロで走る路面電車の運転手はどうするべきか大混乱している。
目の前に5人の作業員がいるのにブレーキが効かない。
ふとみると右に待避線があることに気が付く。そこには作業員が1人だ。
5人を助けるためにハンドルを右に切ると1人が犠牲になる。

暴走する路面電車

いま、まさに我々が直面していることは、この事態だ
「公衆衛生」に元づいて他者の「死」をどう決定するか

まっすぐ コロナ感染防止策をこのまま継続し拡大を防ぐ
右に行く 政府のGOTOキャンペーンを皮切りに経済活動を再開する

これは経済の話ではなく、どちらも人のいのちの話なのだ。
さらには、現在のコロナ感染症による死亡数はわかっているが、今後拡大することで死者がどれほど増えるのか、まだ明らかではない。
同時に、不況による自殺には時間差が存在する。
これが問題を複雑にしている。
一つ言えること、私たち日本人は「経済的に追い込まれて自殺する人々を見殺しにしてきた」という明確な過去がある

私たち一人一人が路面電車の運転手の立場にある
ということになる。
この問題に正解はない。

どの決断であっても人の命にかかわる重い決断だからだ。
だから「まっすぐ」を選ぶ人がいてもいい。しかし「右に行く」と決めた人を遮らないでほしい。こんな複雑な状況で異なる意見を持つ人がいることは当たり前だ。その前提に立って「異なる意見を持つ人」の権利をあなたは尊重しているか? それを冷静に考えてほしいのだ。


安全率と接触削減8割

八割おじさんとして、北海道大学大学院医学研究院教授西浦博さんが有名になった。COVID-19の感染拡大で、日本で最大42万人が死亡するという数理モデルを発表し、政府に緊急事態宣言を促した。ここでは接触を「8割削減する」ことを目標に掲げて、都市封鎖ではなく国民理解に基づく、日本独自の市民の自発的自粛で感染拡大を防止がポイントだった。

西浦氏の専門分野は、危機管理、統計的モデル論、生物統計、疫学 、数理モデル 、感染症 、理論疫学となっている。公衆衛生の特に疫学に基づいて市民に自制を呼びかけたのだ。

西浦氏の言葉からは経済とのバランスは全く出てこなかった。純粋に感染症の拡大をいかに防ぐかということのみを考え、公衆衛生学上の自殺の防止については、全く語られることはなかった。人類が初めて出会う感染症にリスクを極限まで封じる必要があった、この時には、これしかなかったかもしれない。しかし、今後もこのままでよいのだろうか。

安全性と経済とのバランスについて、検証してみる必要がある。
列車事故、工事現場などでよく聞く言葉に安全率がある
あるシステムが破壊または正常に作動しなくなり、システムが崩壊する最小の負荷と、予測されるシステムへの最大の負荷との比(前者/後者)のことである。設計者はそれらの事象を想定し、設計時にできる限りの計算を行う。全てのことを計算し尽くせるわけではないため、実際にはある程度の余裕をもって設計される。

例えば、ダムのコンクリートの強度は、河川管理施設等構造令施行規則などで強度を「4」と定めている。これは一般的なコンクリートを「1」とした場合、四倍の強度をもつよう設計することが義務付けらている。ダムは台風や大雨の際に貯水することで、地域の災害を防ぐ重要な役割がある。万が一にも決壊はあってはならない。

目標の「4」を達成するためには、コンクリートの成分を増やし水分を減らして強度を高める必要がある。その結果として材料費が高くつくだけでなく、ばらつき無く強度を持たせるよう、極めて難しく困難な作業が求められる。もちろん、工事費は高くつくが、大規模災害となるダムの決壊「リスク」に備えるために、安全率の順守は極めて重要なことだ。

西浦氏をはじめとした感染症専門家チームの行ったことは、感染症拡大による医療崩壊という社会的「リスク」に対処するための「社会システムの設計」といえる。そして感染リスクを最大予測し、それを防ぐために相当程度の余裕をもって、社会の安全を保つようシステム設計をおこなった。
感染拡大を最小限に抑えることを目標に、社会全体に行動制限を要求した。つまり、ダムの強度「4」にあたるのが8割の行動制限だったわけである。
結果として42万人の死亡予測に対して、1000人未満の死者で押さえられて大成功だったといえる。

では、ダムの安全性の確保ために「4」で充分なのか、もっと強度を上げて「5」「6」でも、いや「10」でも良いのではないか、という疑問がわく。しかし、「4」以上に強度を増すには、技術的に困難が伴う上に、費用はさらに増えてくる。
一方、ここ数年の大雨でも日本のダムは決壊していない。つまり、これ以上の強度を求めなくても安全と判断される合理的な数字が「4」といえそうだ。つまり、数字が大きすぎると無駄が出てくるのである。経済とリスク管理のバランスを考えて「4」と設定しているのである。

これを行動制限8割に当てはめてみたらどうだろう。はっきり言って、緊急事態宣言中、経済は大ダメージである。もともとインバウンドを失った観光はもちろんのこと、飲食店、百貨店などの物販、コンサートやイベントなど、ありとあらゆるサービス産業が苦しむことになった。
それだけでなく、肝心の医療の分野、病院経営の赤字の話も聞こえてきた。

7月9日に発表になった日本経済研究センターの民間エコノミスト予測では4~6月の前期比は23%減と戦後最悪の結果が提示されている。
わかりやすく言うと、全国民の総収入が1/4になった。つまり4人に1人が収入がゼロで生活している状態にある。

その中には公務員や年金生活者は含まれない。全世帯5000万世帯の半分が年金等の受給世帯である。また公務員は給与世帯の20%である。それ以外に、安定企業としてNHKや電力・ガス等の事業体がある。35%の現役世帯が属する民間企業がGDP25%の消失を背負っているのだ。

民間企業の大半が経営に行き詰まっている。しわ寄せは企業と個人事業主に、そしてそれに資金を貸している金融機関に向かっている。しかも民間企業は赤字経営というレベルの問題ではない。売上が0の状態が続いているのだ。観光に関して言えば、前年対比5~10%というレベルが半年続いている。

はっきり言ってあまりに締め付けが厳しすぎた。経済専門誌を開けば、どことどこの会社が合併しないとまずいとか、旅行代理店が閉店しているとか。

さらに目を覆いたくなるのは地方銀行である。
あたらこちらで店舗の閉鎖が続いている。このまま放置すると、2000年代前半の再来、いやそれよりも恐ろしい経済状況になりそうな気配がひたひたと押し寄せてきているのだ。

物語る存在としての人間

ダムの場合、安全率を「10」とすると大変な無駄が出る。適正な数字がどこにあるのかを模索して「4」を割り出したように、感染症対策においても、経済と感染症とのバランスを模索しなくてはならないタイミングとなった。感染症対策はダムとは違い、一部地域ではなく国全体の経済活動を締め付けているため、その弊害は大きく、低迷は長期にわたるだろう。
このままだと将来の自殺者数がたいへんなことになると予測される。
しかもそのほとんどは現役か若年層の自殺という形をとるだろう。

これは「公衆衛生」における死者の数の最小化の問題でもある。感染症による死亡者数と経済的苦境による死亡者数の最小化の話だ。この両立を目指すために第三の道も含め模索しなくてはいけない。前のままではいけない。これだけがいま分かっていることだ。

われわれは、今起きていることをしっかりと受け止めて、どうすすむかを考えることが大切だ。いま、4人に1人が収入を失って、たいへんな危機に直面している、という危機感をもつことだ。サンデルはどれが正しくて、どれが間違っているか解決策の無い問題に対し、「これからの正義の話をしよう」の中で一つの提示を示してくれている。それが「物語る存在」だ。

「架空の物語の登場人物(路面電車の運転手)と同様に、われわれも次に何が起こるかを知らないが、それでも、我々に人生は、未来に向けて投影された何らかの形をもっている」
人生を生きるのは、ある程度のまとまりと首尾一貫性を指向する探究の物語を演じることだ。分かれ道に差し掛かれば、どちらの道が自分の人生全体と自分の関心事にとって意味があるか見極めようとする。
道徳的熟考とは、自らの意思を実現する事ではなく、みずからの人生の物語を解釈することだ。
そこには選択が含まれるが、選択とはそうした解釈から生まれるもので、意思が支配するものではない。(サンデル)

COVID-19は私たち一人一人に、大きな選択を突き付けている。
「それはいかに良く生きるか」という極めて哲学的で本質的な問いでもある。

「人生の物語を解釈する」とは自分の思いだけで行動するのではなく、自らの行動を身の回りの人々や社会への影響を考えつつ行動することだ。それを考えることによって、自分の行動を客観的に見えるようになる。自分の行為は社会的にどのような作用をもたらすのか、またどのような意味を持つのか、「メタ」思考によって判断しよう、という意味だ。
これが現代を「よく生きる」「正しくいきる」ための秘訣かもしれない。

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