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《書評》相対主義vsソクラテス│「テアイテトス」プラトン

 本書は、プラトンの中期対話篇。ソクラテスが、少年のテアイテトスに対し、知識とは何かを尋ね、それを論駁していくというもの。具体的には、知識は「感覚」「真なる思いなし」「真なる思いなしに言論を加えたもの」であるという3つの説が順に提示され、それらはソクラテスによって全て否定される。そして、知識とは何であるかは示されないまま、ソクラテスは役所に向かい、彼らを後にする。

 この対話篇のあらすじだが、既にWikipediaにて極めて優れた要約が乗っているので、そちらを参照して欲しい。(※しかし、非常に長い為、出来れば2000文字程度の本書評を先に読んで欲しい

 さて、なぜ、この問答では、知識とは何かについて明らかにされないのか。どうやら、これは、後にプラトンが提起するイデア説の為の布石なようだ。つまり、「知識とはイデアの観賞によって成立する」という説の為に、「知識とは○○によって成立する」とする他の論を尽く論駁し尽くす必要があったという事になる。

 論敵に上げられるのは相対主義のプロタゴラス、万物流転主義のヘラクレイトス。しかし、プラトンがイデアという超越的なものを仮定して、到達すべき真理は存在すると宣言したのは、恐らく、ひとつの真理を探求する西洋哲学・科学の源流となっているのだろう。

 果たして、現代において主張される相対主義が、このソクラテスの通りの主張で論駁出来るものであろうか?例えば、その人が思いついたある主張は、その人にとって真であるとする。すると「相対主義は誤りである」も真となり、矛盾する。これは現代においても有効である。もし、「相対主義は誤りである」が偽だとするなら、その人にとって真なる主張が、客観的には偽であるとする事であり、するとそれぞれの人が真と思うものが真であるという主張と矛盾する。

 相対主義自体、それを絶対的なものだと主張出来ないという厳しさを抱えており、実際、そういった真理の放棄的態度を放棄して、哲学から科学へと、人類を発展させてきたという経緯がある。その人にとって真であるものが真であると言っても、ならばジャンプで月に行けるのだろうか。少なくとも、世界法則については、客観的真理の探求がある程度成功してしまった事によって、絶対主義は意味があったと言わざるを得なくなっている。

 ただし、客観的真理というものが存在しない領域はないのか?例えば文化相対主義などはダメなのか?これに関しては答えるのが難しい。無論、こうした場面においても絶対主義を適用するとすれば、それは排他的一神教のように絶え間ない争いを産む事になるだろう。しかし、本当に真理があったとして、それを放棄したとしたら、それはそれで恐ろしい問題でもある。この問いはひとまずここではやめておこう。

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 本書の見所は幾つかある。まず、冒頭からテアイテトスに対し、知識の外延(知識の具体,例えば料理の知識)を述べた事に対して論破する。この論破の箇所が一番に爽快であり、かつ最も酷い(「笑い草」などの言葉を間接的に使っている)。また、産婆の例えも面白い。妊婦が頑張って産んだ子供(=ここでは、ある種の論説)を、不要なものとし次々間引くソクラテスを想像すると、これもまたあまりにも酷い。実際、本書においては3人の子供が間引かれて終わる。

 ソクラテスの議論姿勢は、イデア論に到達する為に、尽く既存の論説を論破していくという所にある。この手の議論姿勢は、真理の探求者としては正しいものだが、同時代人の反感を買って当然である。プラトンの対話篇を一冊でも読めば、ソクラテスが処刑されるまで恨みを買った理由がよく分かるだろう。特に、皮肉的な言い回しを多様したり、攻撃的で、議論の敗者を愚者とするかのような物言いは問題がある。

 しかし、こういった、ある種勝ち負けを争うような議論そのものは、競技的に魅力的だと思ってしまう。現代のディベートがどういうものなのかは、競技ディベートなどに参加した事が無い為に分からないが、恐らく、相当に楽しいものなのだろうと予測が着く。議論自体が、知を使う営みとして楽しいものだし、勝ち負けを競う楽しみもあるだろう。

 現代において、議論は極めてハードルが高い。何故ならば、学問について広範な知識がなければ、あらゆる命題について検討するのが難しくなっているからだ。もしくは、昔からある命題も、幾つかの哲学的議論を参照する事が求められる。しかし、本書はそういった蓄積がない時代の、純粋に思考だけで辿り着こうとする議論である。

 その為、オーソドックスで、かつ細かいテクニック不要の議論を楽しむ事が出来る。近代的なテクニックは不要だが、議論の純度はとても高い。オーソドックスで、かつハイレベル。一方的に自説が展開される哲学書と比較しても、わざわざこちらの思い付きでの反駁を検討しなくてすみ、流れに沿って着いていけばいいのは優れている。

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 まとめとしては、本書はプラトンの対話篇で、ソクラテスが三つの知識説を論破する。相対主義を否定し、イデア説を提起した事は、後の西洋哲学・科学にも大きな影響を与えただろう。ソクラテスの議論姿勢は中々酷いが、このような議論はある種魅力的である。本書はオーソドックスでハイレベルな議論という点で、十分に楽しめるが、嫌味なソクラテスを楽しめれば、本書はその人にとって、最高評価になるのではないか。という所で、筆を置こうと思う。


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