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いったいなにを考えているんだ。 ~宮沢章夫著「考えない人」のこと

2002年のことになりますが、新潮社から「考える人」という雑誌が創刊されました。

僕はこの雑誌を本屋で見かけるや、「あ、これは好きな雑誌に違いない!」と思ってすぐさま購入して家に帰ったのです。

一番の目当ては後に「ぐるりのこと」として出版された梨木香歩さんのエッセイだったのですが、この雑誌を読みながら、あるページで僕の目は釘付けになってしまったのです。

それが宮沢章夫さんの「考えない」というエッセイだったのでした。

「考えない、だと! まさか!! この雑誌、『考える人』なのに!!」

そこで僕はしばらく考え込んでしまったのですが、とにかく読んでみないと始まりません。

宮沢さんは、言うのでした。

「考えてはいけない。考えているとろくなことが起こらない。かつて私はしばしば考えごとをしながら道を歩いていたものだが、人は考えごとをしている場合、どうもうつむきがちになるので、下にばかり目をやって前方が見えず、商店の店先から道につき出た看板に頭をよくぶつけた。痛かった。すごく痛い。この「痛み」の原因はいったいなんだろう。店先の看板が道につき出ていたからだろうか。前をしっかり見ないで歩いていたからだろうか。そうではない。考えていたからだ。」

さらに宮沢さんは、こんなことを言うのでした。

「そうだ。考えたってろくなことはないのだ。考えるなんて無駄である。人生の展望。将来の生活設計。老後の見通し。考えるな。考えたところで、それほど大差はないのであって、考えたからってビル・ゲイツの住むような豪邸に住めるかといったらそんなばかなことはないし、ビル・ゲイツとマイクロソフトが考えていまのような状態になったかと言ったら、たまたまIBMがビル・ゲイツの作ったオペレーティングシステムを採用したからで、気がついたらそうなっていたのにちがいない。」

さて、そんな感じで宮沢さんは、ありとあらゆる「考えない」ことについて考え始めるのです。

たとえば奈良の大仏を観に行って、思わずこう呟いてしまう人。

「でかいなあ」

でかいさ。当然じゃないか。「大」仏なのだから。でも、そんなことは分かっていても、ついそう呟いてしまう。なぜか。

考えていないからです。

とある日の新聞記事。

パチンコ店内、バイクで激走!
3万円負け「むしゃくしゃ」

「むしゃくしゃ」ってなんだ。パチンコで負けて「むしゃくしゃ」するのはまだ分かる。でも、どうしてそこで「店内をバイクで激走」するんだ。そうしたら「むしゃくしゃ」が晴れるのか? いや、晴れない。なにを考えているんだ。

なにも考えていないのです。

インターネットの「教えて!goo」に投稿されていた質問。

「コピーガードがかかったDVDでもコピーするソフトって売ってるのでしょうか?」

違法だよ。答えられるわけないじゃないか。なにを考えているんだ。

なにも考えていないのです。

とあるバンドのメンバー募集。

「シンプルなROCKをいかに日本語でかっこよくキャッチ―にやるかで勝負してます」

これはもう、なにも考えていないのです。

そんな感じで「考えない」ことを考え続けたこのエッセイは、季刊とはいえ2002年から2010年まで続くことになるのです。

まさかそんなに続くとは、宮沢さんも考えていなかったでしょう。

「考えない」と言い続けた宮沢さんは、図らずも「考える人」誌上もっとも「考える人」となったと言っても過言ではありません。

ただ、宮沢さんは、「考えなくてもいいことを考える人」だったのでした。

ちなみに、本書には「考えない」のほかに、「がけっぷちからの言葉」「今月の書き出し」「プログレッシブ人生と、自己責任」というエッセイも含まれています。

それらをレビューすることについては……あ、なにも考えていませんでした。  ごめんなさい。

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