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「人と熊は違うものなんですね」~川上弘美著「神様」のこと

この物語は、ある日隣にくまさんが引っ越してくるとことから始まります。そしてくまさんは言うのです。「一緒にピクニックに行きませんか?」と。

主人公はそうしてくまさんとピクニックに行き、思います。

「ああ、この熊はやっぱり熊なんだ」と。

それは夢の中で、これは夢なんだ、と分かっているようなものかもしれません。

僕はたまにそういう夢を見ることがあるのですが、そういう時、一瞬思うのです。夢の中で夢と認識しているのなら、それはもはや夢ではなく、現実なんじゃないかと。

「いやいやいや、そんなわけないじゃないか」と、もちろん僕はそう思いながら頭を振るのですが。

ええ。もちろん、夢の中で。

なんてね。

この本には9つの短編が収められています。その最初と最後がくまさんのお話です。

この本を初めて読んだとき、最後のくまさんの話のところで僕はちょっと泣きそうになりました。

そして泣きそうになりながら、思ったのです。

「おいおい、ちょっと待て。これは熊の話だぞ。熊とピクニックに行く、そんな話だぞ。お前、何泣きそうになってんだ?」と。  

幻想を現実に近づけること、というのは、あらゆる小説家の試みることでしょう。

普通の小説なら、くまさんとピクニックする、ということがいかにも当たり前であるかのように描かれますし、読者にそう思わせることこそが作者の技術でしょう。

でもこの物語は主人公自身が(そしておそらく熊自身も)くまさんとピクニックする、ということを当たり前だと思っていないのです。読者と同じように。

最初から夢の世界を完全に描いて読者に見せるというよりも、主人公自身が読者と一緒に少しずつ夢の中に入ってゆくような、そういう物語なのです。

まるで、隣にくまさんが引っ越してきてピクニックに誘われるように。

だけどそこで気づくのは、ここは夢なんだ、ということ。

人は熊ではないし、熊もまた人ではない。分かりあえた気がするからこそ、結局気づくのは分かり合えないということだけ。

それでも触れ合えることができてよかった、そんな気持ちになるのです。分かり合えないからこそつながることができた何かがあるんじゃないかと。

夢だからこそよかったね、と言えるものもあるんじゃないかと。

震災後、この物語は「神様2011」としてセルフカバーされました。

それはそれで意味深くもあるのですが、僕はやっぱりオリジナルのこの本が好きです。

今でも時折この本を読み返し、やっぱり最後にちょっと泣きそうになって、そしてやっぱり、そんな自分に「おいおい」と思うのです。  

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