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ドイツに来て6年、次に進む

海外留学という自己研鑽


丁度6年前の2018年3月31日、ドイツに来た。
来る直前の心境は今でも覚えている。
不安と不安と楽しみが混在し、最終的には不安ばかりだった、笑

その後、渡独してから語学学校生活が始まり、
研究フェロー → 臨床フェロー → 常勤 → Oberarzt
という風に進んできた。

家族や子供達の事、生活にまつわるトラブルなど数え切れないが、今回は仕事にFocusしてブログを書いてみたい。

正直、それぞれのターニングポイントで出会った細かいイベントは細かく覚えてはいないが、常々書いてきたブログ記事に自分が記録してきたであろうと願うのみだ。 

この6年間、振り返って見てみれば、ひたすら自己研鑽・自己投資してきた。

研究、論文、執刀経験、国際学会のコネクション、語学能力、コミュ力。

それに加えて、異文化の中をマイノリティとして入り込み、成し遂げるメンタル (決して意図していたわけではないが。。。)

そもそも留学というのは、そういうものなのだろう。

海外留学というのは、
1. 環境が変わり
2. 周りの人間が変わり
3. 時間の使い方が変わる

この3つは、とある人が言った話だが、人間が変わるために必要な3要素らしい。

2024年、今41歳。
これからは次のフェーズに向かいたい。

専門家としての医師

医師という仕事は、医療の専門家だ。
特に昨今では、より細分化が進んだり、技術職がメインの医師もいる。

自分も、今の組織の中では自分の専門分野に特化する事で生き残ってきた。

概念的な話にはなるが、個人の能力と時間には限界がある。

自分がドイツに来て助けられているのは、この分業制のおかげだ。正直、自分はドイツで医学教育を受けてきたわけではないし、病棟管理をやってきたわけではないし、集中治療を担当しているわけでもない。したがって、これらが自分の弱みであり足りない点、となる。

ではこれを克服していき、自分でカバーできるようにするのがよいのか。

そういった形も良いだろう。こういう風に色んな事ができる人は、重宝されるのかもしれない。

より細分化し専門化する事を続けると、他の組織において同等の価値を提供できない可能性が高まるジレンマが生じる。異論はあるかもしれないが、これが例えば大学病院の教員が、条件が悪いにも関わらず大学に居続ける理由だったりする。

専門性を高めすぎると、給料は上がっていくが、その後の選択肢は狭まる。

これからの目標

人生は短い。おそらく仕事を全速力で走れるのは、あと15年くらいだろう。

自分のビジネスを構築していきたい。
ドイツ・ヨーロッパ留学のネットワーキング
海外キャリアのサポート
日米欧のファカルティーとして最先端のメンバーに
弁膜症治療デバイスの開発

あるカテーテル治療システムに関して、術者プロクターの話も貰っているし来年以降、USや日本で承認されるであろう治療システムも、経験を積み重ねてきている。

日本にいる君には想像がつかないかもしれないが、6年間住んだドイツを離れ、共に働いてきた職場を離れるのは、大きなパワーがいる。

家は賃貸アパートで、隣人の騒音も聞こえてきたりするし、電車の通る音も騒がしいが、家族がゆっくりと生活できている。みんなが集まってカードゲームをしたり、ゲームをしたり、夕食を食べながらおしゃべりをしたり。

家族と過ごす、かけがえのない時間だ。

この子供と過ごす時間が多い人生のピリオドを、実際に家族子供と過ごす時間を与えてくれたドイツには感謝しかない。

勇気を持って、次のステップに飛び出す時だと信じている。


 

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