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身体と心のゼロから始まる旅。


日々の生活に、
瞑想を取り入れて過ごしているのですが、

今日は、
この瞑想で小旅行並みの体験が出来ますよ!
というご提案?ご紹介をしたいと思っています。

瞑想は、
あぐらの姿勢で瞑想を行うことが
ほとんどなのですが、

瞑想を開始して10〜15分が経った頃、

私の個人的な感覚なのですが、
つま先から指先、頭頂まで身体の至る箇所全てが、
”在るべき場所にすっぽり収まった”感覚が訪れます。

ちょうど身体の全てが拮抗して静止している状態になるのです。



拮抗による静止

拮抗とは、
反作用し合うもの同士が、
互いの力を打ち消し合うというものなのですが、
これにより静止という状態が保たれます。

楽に座る姿勢でも、
筋肉を使っていないわけではありません。

大腿四頭筋、ハムストリングス、腹直筋、僧帽筋、
その他多数のいろんな筋肉が使われて姿勢が保たれるわけですが、

それらの拮抗する力により、
身体は静止していられます。


あぐらの姿勢でもつらい

あぐらの姿勢は、
ヨガにおいて安楽座と呼ばれます。
(あぐらと安楽座は違うという諸説もありますが今回は割愛)

楽に座れる姿勢だからと言って、
上記にも書いた通り様々な筋肉を使っており、

誰しもが初めから楽に座れるとは限りません。
筋肉のしなやかさや強さが必要なのです。


私も、

本当に何一つ無理のないあぐらの姿勢
にたどりつくまでは、時間がかかりました。


やはり、
様々なヨガのポーズ(アーサナ)によって
身体のしなやかさや強さを手に入れたからこその(まだまだですが…)

真の安楽座に近づけたのだと思います。
(完全に手に入れたとは言わないポリシー)

身体のゼロ地点とは

身体がすっぽり在るべき場所に在る時、

例えば、
股関節が痛い、

もしくは、
背骨が伸びて気持ちいいなどの
身体の表層的な感覚をもはや感じ無くなります。

楽な姿勢は、
痛いなどの身体感覚がないのはもちろん、
伸びて気持ちいいなどの
プラスな感覚も無くなります。

プラスもマイナスもない

ゼロ地点にあることがわかります。


何もないというと語弊があるのですが、

ゼロ地点にはゼロ地点の、心地よさがあります。

そしてこのゼロ地点に来て初めて、

表層的な身体感覚ではなく、
もっと "内的な身体感覚" や "意識" といったものを感じられる気がしています。


身体の安楽が生む、心の安楽。

私の場合、身体がゼロ地点にくると、
「手はどこにおいたかな〜?」みたいな感じで、
身体の境界が曖昧になることがあって、

その状態になるまで
冒頭に書いたように10〜15分ほどかかります。

心が荒れている時は、
肩がすくんだり、
お腹に力が入ったりしているので、

意識的に肩を下げたり、
骨盤を立てたり、
呼吸を深めたり、

身体の微調整をしながら
安楽座まで辿り着きます。

身体の調整は心の調整であり、

また、ゼロ地点に来れば、
前述した通り身体は静かな状態となっているので、

さらに心も静かになっていることに気づきます。

心もプラスやマイナスがないゼロ地点、
静止していて作用のない状態となり、

チッタ・ブリッティ・ニローダハ
(心の作用を止滅させる)


ヨガの本来の目的へ辿り着きます。


ゼロ地点にきてようやく楽しめる世界がある

さて、今まで書いたことを全消しするようなことを書きますが、


心の作用があるから人間は面白いんです。笑

でもそれに囚われすぎると"苦"が際立つ。
だから作用を止滅させる訓練をする。

塩梅です。何事も、いい塩梅。

そして、
この安楽座のゼロ地点は何もないのではなく、
ここを出発点として内的世界の旅ができます。


ただ感じていく世界です。
おもしろいです。
たまに気づきもあります。

それはちょうど、
旅行に行って何か違う文化に触れた時ような
そんな気づきの感覚があります。

人生一回はスカイダイビングしときたい!
みたいな調子で、
(あ、個人的にはやりたくないんですけど笑)

人生一回は安楽座でゼロ地点行っときたい!
みたいな大衆意識のポジションを取ってもいいくらいです。

ということで、ゼロ地点から始まる旅へ
今日も行って来たいと思います!シュッパーツ!


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