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言葉じゃなくても伝え合える、「家屋調査」で知ったリハビリで一番大事なこと

言語聴覚士として、
高齢者に元気な未来を届けている
八田理絵のこれまでのストーリーです。

第2回の記事はこちらから。

病院併設の施設に異動になる


2010年、言語聴覚士4年目を迎えた春。
急性期病棟と回復期病棟で3年勤務した後、
私は、病院併設の保健福祉総合施設に異動になる。


保健福祉総合施設には、有床診療所、介護老人保健施設、特別養護老人ホーム、デイサービスセンター、グループホーム、ケアハウスがあった。


私はその中で、有床診療所(19床)、特別養護老人ホーム(100床)の兼務で、勤務する事になった。有床診療所は、通称リハセンターと呼ばれていた。

リハセンターでの経験


リハセンターで私が経験した貴重な経験の一つを、今回書こうと思う。それは、「家屋調査」だ。
色んな方の家屋調査に同行させてもらった。

「家屋調査」とは、患者さんが自宅へ退院する際、病院で担当していた理学療法士と作業療法士が同伴して、病前と体の変化を踏まえて必要な場所に手すりや踏み台設置等を提案すること。

多くの場合、患者様と一緒にご自宅を訪問し、実際に動作を行ってもらって手すりの必要性の有無などを判断する。

言語聴覚士が「家屋調査」に同行できる機会は稀だと思う。これは、リハビリの上司が、「生活を見ることは大切だ」という考えのもとにあった。


この経験が、後の私に大きな影響を与えているとを、何年か後に改めて、気付く事になる。


失語症の片麻痺の患者さん

ある時に、失語症の片麻痺の患者さんが、
お家に帰るための家屋調査に行く
理学療法士さん、作業療法士さんに
同行させてもらった。

どんな風に、玄関から家に入るのか、
お風呂のまたぎを行うのか等、
を何回も見せてもらった。
この日の、1番印象に残っているシーンは、
縁側の手すりがない場所から、
お家の中に入る場面だ。


語彙力がなくて恐縮ではあり、
細かいところの記憶に曖昧さもるものの、
縁側の廊下に、受け身のような体制で入り、
床から立ち上がりまでをされた事を覚えている。


この方は、お庭の植物にお水をやるのが楽しみだったそうで、今までも縁側からお家に入る事が多くあったそうだ。退院後も、同じように水やりをしたいとの事であった。


もちろん、言葉だけでは上手く伝える事が難しいため、YES、NOでの質問や、身振り手振り、ご家族さんとのやり取りでわかった事だった。


この時に、入院している方が、自宅でどのように暮らしていらっしゃったのかがとてもよくわかった。
どんな風に暮らしたいかも知る事ができた。


そして、この日をきっかけに、退院後の暮らしには、どんなやり取りやコミュニケーションが必要かを考えるようになった。

リハビリの機能を高める練習ももちろん大切だが、私は、このような生活場面で考えて、日々のリハビリをする事の大切さを学んだ。

月に1回の失語症友の会


リハセンターでは、月に1回、
失語症友の会の活動もあった。

ここには、失語症の方とご家族が来られて、
月に1回の定例会があった。
日々の近況報告から始まる。

また、定例会以外では、
県内の他の友の会との交流や、
年に1回友の会の皆さんで旅行をするというものがあった。会員さんもご家族さんも楽しみにしているのが旅行で、この旅行のためにリハビリを頑張っておられる方がほとんどだ。


旅行では、言語聴覚士の私たちも、
女性の片麻痺の患者さんと一緒に、
温泉に入る事があった。
事前に理学療法士さんから助言があり、
装具のつけ方や、湯船の段差昇降のサポート等に
気を付けながら、温泉を楽しんだ。


いつもとても緊張はしたものの、
ついつい鼻歌が出てしまう温泉で
のんびり湯船に浸かった思い出は
本当に楽しいものだった。 


その後は、美味しいお料理とカラオケ大会。
カラオケ大会を目標に、
日々のリハビリを頑張る。
年に1度のお披露目でもある。

旅のナビゲートをして下さる
旅行会社さんもプロ中のプロで、
御本人とご家族の身体の様子に合わせて、
部屋もきちんと割り振りがあり安心。

宿泊先のお料理は最高に美味しかった。
ほろ酔いな夜はあっという間に過ぎる。

次の日は、引き続き、観光もする。
お土産を買うところ、
外出先でのトイレへの導線。
車椅子の方が乗り降り出来るバスも
私はこの時に初めて知った。

言葉が不自由でも、
身体に麻痺があっても、
できることはたくさんあると
この時に教えてもらった。

そして、言語聴覚士として
自分に何ができるのだろうか?
改めて、考えるようになった。


長い文章をここまで読んでいただき、
ありがとうございます!
(第4回に、続く)



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