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父を送る(14) 覚悟

父親から無茶苦茶なこと聞いた翌朝、急いで井田さんに電話をかけた。留守電になったので昨晩、父親から井田さんに説明を受けると聞いたことを話し、ご迷惑をお掛けしていないでしょうか。と伝言を残した。気になって仕事の合間に電話がかかってきていないか、何度もロッカーの電話を覗く。何度目かのチェックで井田さんの携帯から着信が残っていたのを見てすぐに折り返した。今度は井田さんと繋がり、父親との詳しいやりとりを伺うことができた。父親の言った通りで、費用など詳しい説明が聞きたい、と阿部さんに言い出して阿部さん経由で井田さんに依頼が来たらしい。井田さんはどちらにしても事前にご本人との面会が必要だったので大丈夫ですよ、説明しておきますね。と明るく答えてくれた。電話越しにすみません、お願いしますと何度も頭を下げて電話を切った。

叔母にもLINEでメッセージを送った。父親がここに来て施設には入らないかもと言っていて、もし入らないとなったら叔母に面倒を看てもらうつもりでいるらしいことを伝えた。私としては冗談じゃないと思っているので、父親から連絡が来ても無視してくれて構わない、と付け加えた。叔母からは分かりました、私も仕事があってそこまではできないので、言われた通りにさせてもらいますと返信があった。

とりあえずできることはした。あとは祈るしかない。これでもし父親が本当に施設を拒否するなら、もう好きにさせよう。その代わり、今後私には一切連絡しないでくれと言おう。最後まで自分の勝手にしたらいい。自分で勝手に決めたのだから、もう私は知らない。縁を切ろう。

そして父親と電話をするたびに聞かれて、連絡がつかないと誤魔化していた弟のことも、もう会わせない、と決めた。気管を切って、ごはんも食べられなくなって、一人で生きることが難しくなっても父親の自分本位な態度は全く変わらない。弟は会いたくないと言った。家を飛び出して30年以上、弟は一人で苦労して生きてきた。あの父親じゃなかったら、しなくて良かった苦労だ。『なんだかんだ言っても親子だから』『もう長くないから』…そんなのは第三者の綺麗ごとだろう。余命いくばくもない老いた父親と長年仲たがいしていた息子の仲直りなんて、外野の勝手な願望と妄想でしかない。父親は自分が悪かったとは決して認めないだろう。父親の相変わらずな態度と、怒りをぶつけるにはあまりにも老いた弱々しい姿を見て、何も言えなくても、ざまぁみろと吐き捨てたとしても、どんな言動を選んでも弟は傷つくだろう。もうこれ以上弟を傷つけるようなことはさせない。たとえ父親から、弟から、あるいは二人ともから死に目に会わせなかったと恨まれても良い。二人の恨みも、会わせなかったことで起きる何かしらの差し障りも、全部私が引き受ける。

逐一状況を共有していた夫に、父親と縁を切るかもしれないということを話した。夫は、家庭内の幸せっていうのは総量が決まっていて、お義父さんはそれを独り占めしていた、あなたや弟さんの犠牲のうえに成り立っていた幸せを当然のように享受していたんだよ。『家長』だから。それを今も同じように考えているんだよね。というような話をしてくれてから、あなたがそう言う可能性も考えていた。仕方ないと思うよ。と肯定してくれた。
続けて弟と父親はもう会わせないと決めた、という話もした。夫は私の言い分を黙って聞いてから、さいごにポツっと「お姉ちゃんだね」と言ってくれた。父親の具合が悪くなってから初めて泣いた。




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