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平日に繰り広げられる「自分との戦い」に勝利するには

満員電車を見るとブラック企業で悪戦苦闘を繰り広げていた頃を思い出す。
平日早朝において、K王線新宿からJRに乗り換えるところとか
人混みが多くて、本当に空気が醜悪。

乗り換えで向かっていく一人一人が
屠畜場に連れて行かれる牛や豚のような目をしている。

そのせいで私は満員電車に対して、
奴隷を収監施設に送り込む護送車、
あるいは家畜を屠殺場に送り込むトラックのような印象を抱いている。

この生活から抜け出すには、
意を決して屠殺場行きのトラックから飛び降りる豚のように
飛び出す勇気を持たねばならない。

生き延びた家畜が動物愛好家に拾われ、命の大切さを伝えるように。

懸命に生きるから、命は美しい。
さて私たちは日々懸命に生きれているだろうか?

自分との戦い

私がブラック企業にいた時は会社を辞めるまでの日数だけが、心の癒しだった。
「早く会社を辞めたい」というのは
「死にたい」と連呼しているようなものなんだろうか。

自分が目指す他者貢献と関係ない行為に対しては
モチベーションが上がらないということ。

そんなわけで会社の仕事をやっている私のモチベーションは下がる一方。

自分があちこち転戦することが向かないというのと
焦りがあるのは重々承知であるが。

会社という制約があるフィールドで、
自分の意志と方向性が違うところにずっとい続けること、

そこで時間を使うということは
どうしても辛いことを受け入れなければならない部分がある、

つまりストレスが嵩んで辛いという部分も出てくる。

1日も早く辞めたいという気持ちはずっと持っていた。
会社を辞める画策をしていたときは、思いの丈は何度も伝えてきた。

伝えてどうにかなるもんでもないが、
伝えないと何も始まらないので、伝えることが大事だと思った。

会社辞めるまでの速度が加速度的に高まったわけでないが
言わずにいられなかった。

会社を辞めた後は…?

会社にいる限りは、労働力を対価に金をもらう。
しかし会社の方向性と自分の方向性というのは、必ずしも一致しない。

だからモチベーションというのはある時からずっと下がっていく。
人間は世界平和に関係ないことをやると、どんどんやる気が下がるのだ。

会社に振り回されることがどんだけ理不尽だろうが耐え抜くしかない。
会社に所属しているってことはそういうことなんだから。

「金の代わりにオレのことを振り回してもいい」
と会社に宣言したようなものなのだ。

会社を辞めたい、世界平和と何の関係もない、
だからと言ってノープランで会社を辞めて何かやることあるか?

できることあるのか?というのが最大のネックになる。

「好きを仕事に」っていうけど、
現実にそこまで到達するには時間がかかる事実がある。

だから、出来ることの目処が立つまでは、
辞めるということは歯を食いしばってでも耐え抜かないとならない。

これだけいうと、まるで会社に弱みを握られているようだが…。

終わりに

「好きを仕事に」そこをゴールにするとなると相当な努力が必要。
誰もが希望する仕事をつけるわけでない。

どれだけ「好き」になるか。
どれだけ「仕事」に繋げられるか。

「好きを仕事に」においては、そうでない限りは、
なかなか自分を新たな領域に連れて行ってもらえないのだ。

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