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世間噺と夢見の徒然#8 供養

まじめにもほどがある

昨年、師走に義母を見送りました。
享年96歳。
結婚して1年ほどで義家族との暮らしが始まり
40年以上。
いや~、大変でしたよ。

家風の違いって大きい。
そのあたりは愚痴になるのでやめましょう。

義母はきっちりした人でした。
官吏の家に育ち、女学生時代は成績優秀。
結婚して子供をもうけてからは、良妻賢母の誉高く。
無駄な口はきかない。
冗談も言わない。
鼻歌も歌わない。
実家の母とは大違い。

義母は寡欲な人でした。
以前、彼女が継母を見送り形見分けをした
ときは、長女だったので率先して着物や
帯、アクセサリーなど貴重品を座敷に
並べる一方で自分は何一つ手を出さず
兄弟の嫁たちに譲り
吝嗇な継母が貯めこんだ粗品のタオルや
手ぬぐいを雑巾にして施設に寄付しました。

さて、義母本人の形見分けの話です。
自身は貴金属を持っていないわけでは
なかったのですが転勤族だったので、夫の
赴任先で妙な競争になってはいけないと
身に着けなかったと話していました。

遺品には何冊もの日記がありました。
日記をつけていたのは知っていたけれど
亡くなってからも読む気にはなれませんでした。
大雑把で物忘れがひどく、何か聞いても
トンチンカンな返事をする嫁に
業を煮やして、文句のひとつも書いてあるに
違いない。
そんなの読みたくはないじゃないですか。

それを開いたのは長男でした。
初孫で特別可愛がられていたので、躊躇なかったのでしょうね。
通夜に家族の前で感嘆して叫びました。
「おばあちゃんの日記には、感情が一切書かれていないよ。すごくない?」
書いてあったのは、その日の天候と出来事、そして大きな
お金の流れくらい。
まことにあっぱれな限りであります。

嫁の私からすると、窮屈な人ではありました。
まじめな上司と一緒に暮らしている
ようなものです。
しかも嫁姑の仲がいい事を世間にアピール
したかったようで
なんだかなぁ。と思う事もたびたび。
パフォーマンスとしての嫁姑関係というか。
それにつきあったのは、義母のあっぱれさを
リスペクトする気持ちが
あったし、彼女なりの人としての善き在り方と
私のそれと
近いものがあったからでしょう。
言ってしまうなら、ステレオタイプの
嫁姑美談だと想像してください。

王家の谷か宝の山か

戦中戦後の物のない時代に青春時代を
過ごした義母はとても物持ちのいい人でした。
家具など大きなものを買う時には、いちおう母に相談しましたが
そのほとんどは物置から
「これでどうかしら?」と埃を払いながら
出してきました。
まるで、どらえもんの「四次元ポケット」状態。
あるとき、書棚を買いたいと伝えると
「これでどうかしら?」
出してきたのは鮮魚を入れるトロ箱。
本を愛してやまない私、これには大泣きしました。
ひどいじゃないかっ!!!

恐らく意地悪ではなかったと思いたい。

そんな具合で“「もったいない」精神のために
衣類ばかりか家財も捨てられず、納戸や物置が
使わない物でいっぱいでした。
だから義母を見送ってからでは遅いと判断して
認知症を発症し始めたころから、義母スペースの処分を
ぼちぼちと励んでいましたが、亡くなってからの
遺品整理もこれまた大変でした。

ま、とりあえず、それも形見分けで一段落。
処分すべきものを整理していた時のことです。
手を付けずにいた書類の山に色褪せた大判の
茶封筒があり中を確かめてみると、義母の女学生時代の
日記ではありませんか。
そこには、空襲など戦災に遭った記録が、詳細に綴られていました。
崩すことなく、読みやすくて几帳面な字は、義母そのもの。
福井の空襲で実母を喪った時の記録は、なまなましく胸に迫って来ますし
若くして一家の主婦になろうという、17歳なりの決意に
強く心を打たれました。
昭和初期の写真もたくさん。
その中に義祖母の膝の上に抱かれ、義祖父や
親戚に囲まれた義母の写真がありました。
親戚から、いただいたのでしょう。
上にハトロン紙がかけられ、そこに映っている人の名前が
記されていました。

ファミリーヒストリーのピース


初めて見る義祖母の写真は、私の夫や叔父たちの面影に重なります。
若い義祖父は、なんと凛々しいことか。
大正時代、中流家庭における恋愛結婚は珍しかったと想像しますが
義祖父・祖母はさもありなん、というカップルで絵になる美しさです。
これを処分するわけにはいかない。
家族だけでなく、義母方の親戚とも共有しよう。
小冊子を作って親族の皆さまにお配りしよう。
そう突然ひらめいたのは、義母の家族への
思いが伝わってきたからかもしれません。
それに、ルーツを知る事は、人生の支えになるに違いない。
夫や息子たち提案したところ、二人とも
口をそろえて
「ぜひそうしよう」と賛成してくれました。

不思議なのですが、なぜか私は義母の出自について、夫より
詳しいのです。
その部分は加筆しなければなりません。
そして義母の趣味の編物作品の写真もカラーで加えて
と具体的なイメージが
湧いてきますが、煩雑な作業になるでしょう。
それでも、1周忌を目標に完成させたいと
考えています。

そんなこんなを考えていると、義母との葛藤や屈折した
感情が薄らいでいくのはなぜでしょう。
冊子を作ることを供養とするならば、供養とは
する側のためのものかもしれません。

とはいえ、ぐーたら昼寝して美味しいものを
食べて、というノンキなシニア生活を目指しているのに
めんどくさいことを思いついてしまったなぁ
と、ほんの少し後悔していることを白状しておきます。


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