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岡田斗司夫氏の遺言が面白い、アートの定義、ホモ・ルーデンス(遊ぶひと)

 今日は最近面白いと思ったことをまとめて書きます。


岡田斗司夫氏の遺言

 岡田斗司夫氏のYouTubeチャンネルには無料のものと、有料の「ゼミ」、さらに上のプレミアムがある。
 ガンダムやアニメの考察が多いのかなと想像して、無料部分の人生相談だけで充分面白いからゼミには入っていない。
 
 彼は自分の寿命が尽きたら有料部分をすべて無料公開するそうだ。
 こういう遺言は面白い。
 ちょっと不謹慎だが彼が亡くなったら見たかった動画を見られる人がたくさん出てくる。

 権利関係の問題があるのかもしれないが、稼いだものは身内に残さず社会に還元して土に還る覚悟は清々しい。

アートの定義

 私とちょっとした縁がある芸術家の村上隆氏が「アートの定義とはなにか」と訊かれたそうだ。訊いた者は深淵な答えを期待したのだろう。村上氏の答えは、「芸術大学を卒業していることです」

 そして少し考えて、「あぁ、もう一つありました」質問者は今度こそ期待したか。「論文も書いているといいですね」

 定義できるとはその分野を修めるのと同義だと彼は言ったのだ。

 法学でも物理でも論理によって説明可能な学問すべて、いや文学も含め論理によって説明できなければ学問ではないのであらゆる学問は出来れば高等教育プラス論文、もしくは機会がなかった場合、実務から逆に論理を学ぶ。

 木工の職人、彫金師、料理人などは毎日の仕事から、自分の中になにかをつかむのだろう。

 私は苦手だがスポーツや音楽の世界にもそれがあってその道を究めるにはただ漫然と練習しているだけではないくらい分かる。

ホモ・ルーデンス(遊ぶひと)

 ホモ・ルーデンスは「遊ぶ人」と訳され1938年に発表された。
 作者はヨハン・ホイジンガ、私の愛するオランダのひとである。
 
 これだけは最近ではなく小さなころ図書館で見た。中学生のころになってちゃんと読んだ。
 内容は人類の進化は遊びから生まれたという真っ当な内容なのだが、若い私はこの言葉が気に入った。

 私は裕福なほうだがさみしい家庭で育ち、「今回の人生は面白おかしく生きよう」と小学校3年生で自分に誓ったのだ。

 人間は働きすぎだ。
 労働集約の時代は終わって久しい。
 大手の航空会社の海外法人にいたことがあるが、働いているのは6~7割、時間も8時間のうち5時間も働いていない。

 拘束時間が無駄に長い。
 延々とつづく会議。そして答えは出ない。

 また人類の6~7割くらいしか働いていない、というのが
 先進国からそうじゃない国まで見た感想だ。

 それは富裕で働かないのと、そうじゃなくて働かない違いがあったが。

 私は漢の時代の無名の詩が好きだ、

「百年も生きられないのに千年先を憂う、昼は短くて夜の長さに苦しむ。なんでロウソクを持って夜遊ばない、楽しいことは今するべきで来年を待つのは間違いだ。
愚か者は出費を惜しみ後世の嗤いになるだけだ。(不老不死の)仙人王子喬と寿命を同じにはできないのです」

「生年不満百」生年百に満たずで検索すれば白文も読み下し文もあるのでご興味のあるかたは是非。

 それでは今日はこのへんで。

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計算でつまったらノートに写してみてください。考えてむつかしい場合、コトバでナニが分からないか記入してノートのコピーを送ってください。