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面白い巨塔

山崎豊子の小説「白い巨塔」には大学という組織の理不尽さが嫌というほど描かれている.当時はその言葉がなかったが,彼女の描いた「浪速大学」医学部は今なら「パワハラ」「アカハラ」「バカハラ」の総合商社といった感じだろう.時代背景が異なるので一概に悪と決めつけるわけにはいかないかもしれないが,それでもあんまりである.

そこで,個別の事例はさておき「白い巨塔」に描かれたような大学の闇が現在でもあるのか考察してみたい.

「白い巨塔」と言えば,同じ教室の東教授と財前助教授の確執つまりは「お家騒動」である.そして「白い巨塔」がベストセラーになり,何度も繰り返し映像化されている理由とも言えるのが,大学に見られる,いや日本社会に普遍的に見られるであろう「男の嫉妬」であり,また高潔ぶった支配者の後継者が叩き上げの女房役で良いのかという「お血筋」の話である.

「お血筋」と言っても,だいたい日本の学術界などは明治のころに出来たものなので,京都や奈良の古いお家のような家柄の話ではない.「白い巨塔」時代のお血筋とは,父親も同分野の学者だったかどうかと言ったところで,よほど良い「お血筋」と言ってもせいぜいが3代である.ただそれでも「お血筋」信仰みたいなものはあって「お血筋」が良くないと伝統校の教授にはなれないような空気が当時はあったらしい.「白い巨塔」の東教授は都会的な学者一家である一方,財前助教授の方は田舎出身の叩き上げである.

なお現在でも「お血筋」に近い考え方は残っている.学部時代から名門研究室にいた,つまりは高校時代の成績が良くて伝統校に入学し,成績が良くて有力研究室に配属され,ストレートで大学院まで修了することを「お育ち」と言って「お育ち」がかつての「お血筋」のような位置付けになっている.特に権威主義的な大学では,教授を同校出身者で固めるようなところがある.

生まれながらの,いや本人は至って生真面目に自身で勝ち取ったと主張するだろうが,それでもほぼ生まれながらの権威者と,その挑戦者の戦いのストーリーというのは普遍的な興味を掻き立てるものだ.権威者が地位を追われる悲劇と,慣れない汚れ仕事に手を出す喜劇とが混じり合う一方,また挑戦者のほうも不屈のあざとさは喜劇的でありながら,その内心の虚しさは悲劇的であったりする.例えて言うなら,清和源氏の流れをくむ明智光秀と,出自のはっきりしない羽柴秀吉の対立のようなものだろうか.そう言えば,比較的浮いた話の無い光秀と浮いた話しか無い秀吉の対比もどことなく,東教授と財前助教授との対比を思わせる.

さて「白い巨塔」で描かれた大学はどのぐらいリアルなのだろうか.以下にいくつかの疑問への回答という形で述べていきたい.

疑問:白い巨塔で描かれたような上下関係はまだある?

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