Cyber-shot_修理後1_084

上も下もないけど 上での立ち方は ある

たいした寒さでなくても、冬は、布団から出たばかりの身にとって、とても暴力的だ。カーテンを開けると、まだ暗い。夜みたいなもんだ。窓が結露している。外の空気をいれるだなんて、とんでもない。

そろそろと這いだして、玄関へ向かう。トイレに寄ってから、新聞をとりに、ドアを開ける。予想どおり、暴力的だった。遠くの山が、昨日よりも、白さを増している。

ああ、今日も、わたしはこんなにつらい朝を迎えなくてはいけなかった。昨日もそうだった。先週もそうだった。もうすぐ年末年始の休暇があるけれど、たった数日だ。無数に働きにでる日々と比べて、たったの数日。だいたい生き物というものは、冬は気温がさがって活動量が減るのだから、冬眠するのが生き方として正しい。どうして夏とおなじだけ働かなくてはいけないのか……

ふとマンションの駐車場を見ると、一台の車のライトがついて、排気ガスを上げている。エンジンをかけて暖気運転をしているのだ。

ほどなく、太陽の光がさしてくる。紅色の雲は流れながら、金へとかわっていく。

人と比べれば、苦しい。人の芝生は、青く見える。能力も才能もない自分は、そんな他人とおなじだけの人生を、気力を振りしぼることで、実現している。人より、ずっとエネルギーをつかって、苦しい思いをして、ここに立っているのだ。

と、比べて、自分をつらい立場に置くことは、かんたんにできる。つらい立場に置き、自分はつらいぞと宣言し、その努力量で優越感を得ようとするのだ。

暗い6時に起きることが、なんだというのだ。もう、出発の時間の人だって、このマンションには住んでいるのに。

比べれば、つらくなることもある。けれど、比べて、らくになることもある。人の状況と自分の状況を、比べることが、わるいことなのではない。比べて、自分を貶めることこそが、自分を奈落の底へ落としこむ、まさにその作業なのだ。

22日、金曜日。冬至まで、もうすぐだ。



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