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何歳になっても自分では20代のつもりなおじさん

昨日の日記で「僕は思春期の子どもたちの気持ちがわかる」みたいなことを書きましたが、改めて自分で読み返してみるとちょっと気持ち悪いですね。そういう、変に脚色しない部分も含めて日記だと思うので修正はしませんが。なので、今日はあえてその部分に焦点を当ててみたい。

「いくつになっても自分が20代のつもりなおじさん」という存在がいます。僕も今のままだといずれそうなるでしょう。現に昨日「僕は思春期の子どもの気持ちがわかる」なんてド痛い文章を書いているわけですし。というのも、自分のなかでは中高生の頃と何ら変わっていないような気持ちでいるんですよね。当時と同じように漫画やアニメを観て、ゲームをして、ネットで動画を観て・・・気持ちは10代のままなのです。しかし、他人から見れば僕はただのアラサーなわけです。つまり、自分の内面の変化と外観の変化にズレが生じている。10代の頃に比べて風貌はだいぶ変わっているのに、精神面の成長が追いついていない。この内面と外面の成長ギャップに悩む人が多いという記事を読んだことがありますが、僕はそれは仕方のないことだと思います。

14〜15歳くらいの年頃で好きになった音楽は、その人の後の嗜好や価値観に大いに影響を与えるそうです。つまり、いくつになってもつい中学生の頃にハマったのと同じような音楽に惹かれてしまうということだ。それは大いに自覚があります。僕は今でもボカロや電子音楽ばかり聴いてしまう。つまり、内面の大まかな人格形成は思春期に出来上がると言って差し支えないのではないでしょうか。身体的にはまだまだ未熟かもしれませんが、感受性がもっとも鋭い思春期に外界から得た刺激は、その人の心の中に半永久的に残り続けるはずです。初めてパチンコに行って当たりを引いた時の多幸感が忘れられずに、何度も何度も「あの時の刺激をもう1度」と追い求めてギャンブル沼にハマってしまうのと似ている気がします。

であれば、大人になってから「内面の成長が追いついていない・・・」と悩む必要はないように思います。なぜなら、若い時にすでに大枠が出来上がっているからです。肉体的な変化は目で見てわかるのでとても分かりやすい。それに比べて精神面の変化はわかりにくい。まして10代のころに大部分が完成しているとなると、あとは色々な経験を通じて荒削りな部分を1つずつブラッシュアップしていくという地味な作業を繰り返していくことになる。それが大人の精神面の成長なのでしょう。

僕が中学生の頃というと、今から約15年前です。そして、大人になると中高生と関わる機会など皆無です。ネットやTVで彼・彼女らの存在を認知することはあれど、生の声を聞いたり直接会話をすることはまずない。となると、自分の中の「中高生像」は15年前のままほぼアップデートされていないのです。マズいのは、その古の感覚のまま「自分は今でも中高生の気持ちがわかる」と思ってしまうことだ。正しくは「15年前に中高生だった頃の感覚をおぼえている」くらいでしょうか。自分では若いつもりでいても、現役の中高生から見たら僕たちは立派なおじさんなのです。そんなおじさんが「ふへへぇ…きみたちの気持ちわかるよぉ」と言ってきたら気持ち悪いに決まっている。とはいえ、時代を問わず若い世代に特有のナイーブな悩みは共通しているでしょう。堅物な大人にならず、そうした部分への理解は忘れずにいたいものですね。子どもな部分と大人な部分のバランスを保つのって難しいなあ。

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